無作為に気になって観に行った展示なのに
行ってみたら、受けた印象がなんとなく似ていた
それに、たまたま二つとも写真(ソフィカルは映像も)
すごく詩的な展示
何枚かの一連の写真と言葉で構成されたもの
物語性がつよい
抽象的な写真は クレーとかの絵をみているよう 強いコントラストで切り取られた静寂の中で 悲しみや苦しみが掻きたてられて だけど、強い白に溶け込んで消えていく感じ 詩、ないしは、宗教的な祈りにとても近い http://syabi.com/contents/exhibition/index-1807.html |
こちらもすごくポエティック 静寂の中で悲しみとそこはかとないやるせなさが 波の音と壁の白さに、淡々と溶けていく感じ だけど、薄まることもなく、消えることもなく http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html |
視覚を失うことを考えると
恐ろしくて震えが来る
視覚に頼り過ぎた世界で生き過ぎているからかもしれない
でも、いつかその時が来たら、
自分は、本当に耐えられるのかな?
ほとんどの小説でも
視覚だけに頼り過ぎた感覚でしか、書かれていない気がする
視覚表現を取り除いてしまえば、もしかしたら
接続詞だけで終わってしまう小説だって、あるかもしれない
他人の眼球でモノをみることは、できないから
もしかしたら、色や形や認識さえも
まったく違うのかもしれないけど
それでも、私の目に写る世界は
色に溢れていて、息をのむほど美しい
聞いた話だけど、
視覚障害のヒトが、治療で視力が回復して
初めて「見た」世界に、
「余白」がないことに驚いたらしい
全てが色で埋まっているんだ、と
そして、
あまりに視覚情報が多いことに驚いて
どこを見たらいいのかわからなくて、
酔ってしまったり、疲れてしまうらしい
見えていない時の方が、色んなことが問題なく過ごせていたのに
見えたら、色んな事が上手く出来なくなってしまったそうだ
視覚が戻った方が、むしろ身体障害になったようだ、と
もしかしたら、その感覚や世界を
ほんの少しだけ体験出来るかもしれないのが
Dialogue in the Dark
(ダイアログ・イン・ザ・ダーク)
これも、4年前くらいから
いつか行きたいと思いながら
まだ行けてない
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