2019/12/31

落下傘部隊

『戦場のコックたち』(深緑野分著)

時間潰しに入った丸善で、新刊のチェックをしていた時、平積みで目に付いたのが、深緑野分著”ベルリンは晴れているか”
知らない作家だった。
変わった名前だなと思いながら、自分の中で第二次世界大戦ブームだったので記憶に残していた。
この間、何を読もうかなぁと図書館で考えて、急に思い出して探すとリクエスト待ちだったので、本棚にあった同作家の作品で”戦場のコックたち”を借りることにした。 
画像1
少しタイトルで損している気もするが…
とても面白かった。
刻一刻と悲惨さを増す過酷な戦場をベースに、戦いの最中に所属する部隊などで起こる不可解な事件を解決して行くミステリー仕立てになっている。
つい最近(数年前)まで、本当に恐怖でしかなく戦争物は徹底的に避けてきていて、映画も本もドキュメンタリーも関連するものは一切見ていなかった。
だから、興味が出てからは、なんでも目新しく、解禁した途端に、途方も無い刺激物が体内に流れ込んでくる感覚になった。
歴史的背景を知ると戦争物というジャンルの劇薬は、かなりの依存性を増すのだと感じる。

『Band of Brothers』(スティーブン・スピルバーグ)

で、作家が大好きで参考にしたと豪語していたスピルバーグとトム・ハンクス総指揮のドラマ”バンド・オブ・ブラザース”がどうしても見たくなって、見始た。
あーたしかに、完全に”戦場のコックたち”はこのドラマの影響を受けたスピンオフって感じだ!と、なんか全てが納得。
スピンオフって、文章がうまくないと興醒めするから、その点は全く問題ない、良い作家を見つけた。
というか、ドラマ見てからだと、戦況や状況とかが、つぶさにわかる。
本当にセットで見る(読む)のがお勧めです。
画像2
というか、そもそも”Band of Brothers(バンド・オブ・ブラザース)”がお勧めである。
詳しい取材を元にしたノンフィクションが原作で、ドラマだとおじいちゃんになった戦友たちのインタビューも各話の冒頭に入っている。
初見だと2話あたりまで名前と顔がなかなか一致しなくてストーリーを追う感じだが、1周目見終わってキャラクター性に愛着が湧いてから2周目に再度見だすと、俄然面白さが増す。

『プライベート・ライアン』(スティーブン・スピルバーグ)

で、この流れで、”プライベート・ライアン”も見たが…
これは、冒頭の20分間をひたすら耐える映画にしか思えない…。
画像3

*3つの共通点


ちなみに、”プライベート・ライアン”も”バンド・オブ・ブラザース”も”戦場のコックたち”も激戦のノルマンディー上陸作戦から始まる。

“プライベート・ライアン”のトム・ハンクスが演じたミラー大尉は、アメリカ陸軍第2レンジャー大隊C中隊隊長で、海上(オマハビーチ)から上陸。
で、タイトルにもなっているマット・デイモンが演じるライアン上等兵は、アメリカ陸軍第101空挺師団第506パラシュート歩兵連隊第1大隊B中隊所属。
“バンド・オブ・ブラザース”は、同じく第506パラシュート歩兵連隊第2大隊E中隊の面々の話。
“戦場のコックたち”も、同じく第506パラシュート歩兵連隊第3大隊G中隊の特技兵が主人公の話。
この小説だけは、一人称の”僕(キッド)”ことティモシー・コール五等特技兵(調理兵)の語りで最後まで描かれている。だから、戦争の悲哀も不安も不条理も、そして仲間への想いも”キッド”だけの視点で彼の感情が主軸に流れ、同調してくる。他の作品もすべて同じ部隊の話だからこそ、一人称の視点は、興味深く面白かった。
ちなみに歴史上最大の上陸作戦であるノルマンディー上陸作戦の開始は、夜間にパラシュート部隊の空からの降下による上陸から口火が切られた。
陸自の駐屯地が近いので、落下傘部隊は子供の頃からよく目にしていた。
日常の風景となっているが、落ちていく落下傘の一群が目に入ると、つい見上げてしばし見入ってしまう。
しかし、これらの作品を観た後では、なんだか違うものに見えてしまう。
しかも、ついこの間、落下傘に関しての裏話も聞いたばかりで、なんとも複雑な思いで空に漂うクラゲの一群を見入ってしまう。
願わくば、こんな悲しく虚しい戦いが世界中からすべて消えてくださいと、心から思う。 
画像4
にしても、”ベルリンは晴れているか”もだけど、”Band of Brothers ”の原作は読みたいな…
画像5

2019/12/26

㉔ 世界遺産の岩塩坑はイケメンパラダイス(2018/6月)

ひどいタイトルだな…苦笑

さて前回、私がGPSの誤作動で途方にくれた時に、現在地を指し示していた場所付近、つまりクラクフとニエポウォミツェのちょうど真ん中あたりにある世界遺産のヴィエリチカ岩塩坑へ行くことにした。
画像1
ホテルのフロントに聞いて、駅前からバスが出ているとのこと、時刻表も印刷してくれて、にこやかに送り出してくれた。
これまた前回、英語の通じない運転手さんが、ポーランド語の通じない私に必死に、
あんたの持ってる住所はここだから!このバス乗り込んじゃだめだよ、降りなさい!(意訳)
と伝えてくれていたのに、全く理解できずに途方にくれていたその運転手さんと同じ系列のマイクロバスで、
ヴィエリチカ岩塩坑も行く?
と、昨日とは違う運転手さんに聞いたら、
また、英語が通じなくて、住所見てからポーランド語で何か言ってうなづいたので、乗ることにした。
で、乗ること30-40分くらいしたところの停留所で乗客が乗り降りしている時に、バスの運転手さんが私を呼んで、身振り手振りで、ここではなくて、もう少し待ってろと言われる(たぶん…)。
で、数メートル先の十字路の信号の手前の停留所じゃないところで横づけで停車してくれて、
目の前の信号を渡って、左の道をまっすぐ行きなさい!と、身振り手振りで教えてくれる。ジェスチャーで、とにかくまっすぐだ!っと何度も言っていた。
降りてから信号を渡りながら、バスを振り返ると運転手のおじさんが私に、左だよー!ってまだ大ぶりのリアクションで教え続けていた…優しい…
ちなみにこの時、またしても地図も持たず、google mapさえも忘れていたので、とりあえず運転手さんを全面的に信じて左の下り坂をなんの標識も見当たらないが、とりあえず進んでいくことにした。(出会うポーランド人に悪い人はいないと、すでに確信していた。)
で、歩くこと10分くらい、本当につくのかな?と思い始めた頃に、駅前らしい場所が見えてくる。
あ、ヴィエリチカって書いてある!と思ったが、駅前はのんびりした雰囲気で観光地という感じもなく、肝心の岩塩坑がどこかわからない。とりあえず、観光客的な人について行ってみると、人が賑わう場所に到着!
画像2
廃坑になっていない岩塩坑としては世界最古(700年以上)で、同時に世界最古の製塩企業でもある。1978年 世界遺産登録(Wikipedia )
ガイドツアーに参加しないと見れないのだが、もちろん日本語ツアーはないから、無難に英語のツアーに参加。
30分おきくらいにツアーがあり、そんなに混んでいなかったので、タイミングが合いすぐに参加できた。荷物をロッカーに預けてから、軽装で参加。かなり地下に行くので、気温も下がるから薄手の上着も持っていく。
ちなみに、全長は300キロある岩塩採掘場(1都3県をまたぐ首都高が大体300キロくらい)で、観光できるのはその約1%なのだが、それだけで大満足できる。
ガイドツアーは多言語に及ぶのでたくさんあり、広大な坑内であっても、他のガイドツアーとすれ違ったり、一緒に休憩したりすることもある。
で、気づいたのだが、ガイドに美男美女が多い…!
そもそも、ポーランドの顔面偏差値は全体的にかなり高いのだけど。
クラシックなデザインの黒い制服が、美貌を余計に際立たせる。
しかも、親切で面白く爽やかなナイスガイばかり。
あれかな、空気の良さとかマイナスイオンの効果もあるのかな…とか考えてしまう。
それとも、たまたまだったのか…
岩塩窟も見応えあって面白く素晴らしいが、ガイドさんも含めてかなりおススメ。
ただ、足腰がしっかりしている人、閉所恐怖症じゃない人に限る。
スタート地点(地上)から、階段をひたすら降りたり、歩いたりして、行程は2時間半くらいで、下に下に降りていき(総数800段)、帰りはエレベーターで一気に地上に上がれる。
マップ↓
画像3
ツアーが始まると、アトラクション感にワクワクが止まらなくて、撮影もそぞろな私の携帯の写真は今見るとひどすぎたので、他人のflickrも交えお届けします。
最初は、底が見えないくらいの木製螺旋階段を降りていく
画像4
↑Photo by Davis Staedtler
↓ちなみに、私のひどい写真…
画像5
地下130mの洞窟だとか忘れるくらい、狭い坑道を歩いて行くと、ところどころひらけた場所に出て、そこがなんとも幻想的。
↓こんな坑道を歩いていきます。
画像6
画像7
塩で出来た祭壇とか彫刻とかシャンデリアとか湖とか…それはそれは綺麗。
岩塩の表面はキラキラして見えるから、まるで雪の女王の国に来た感じになる。(気温は寒くなく、涼しいくらい) 
画像8
壁とか舐めるとかなりしょっぱい。
で、壁を舐めていいですよーとガイドさんが言う…
私と一緒のグループのおじさんとかは舐めていたが…
画像9
photo by Jennifer Boyer
↓メインの礼拝堂。
床、壁、天井、階段、彫刻、祭壇…全てが岩塩製!
画像10
↑Photo by laslandes
↓Photo by 私
画像11
天井から吊るされた巨大なシャンデリアも塩製!↓
画像12
礼拝堂や彫刻などのほとんどが観光目的として作られたわけではなく、坑夫たちが、仕事の無事を祈りつつ自分たちのために作っていた。
画像13
Photo by robaall
画像14
塩湧き水。
これは舐めたけど、当然だがものすごい塩分濃度だった。
画像15
画像16
ツアー終了後は、その場で解散し地上直通のエレベーターまでの道のり、お土産物屋やレストランなど各々が寄りながら帰る。↓
画像17
さて、お土産も買い、クラクフに帰るために、バスに荷物を抱えて乗ると、ボックス席のおじいちゃんが手招きしていた。
近寄ると座らせてくれて、全てポーランド語だが、チケットをちゃんと買えたか、印字はしているか確認してくれて、尚且つ私のチケットが間違っていたらしく、前にいる違うおじいちゃんと確認して、距離が長いから、もう一つチケットを買った方がいい、じゃないと検札があった時に、悲しい思いをするからと、身振り手振りで教えてくれた。
案の定、途中で検札が来て、おじいちゃんたちと良かったね、と。しかも降りるところも、聞いてもいないのに、心配なのか一生懸命教えてくれた。
優しすぎて泣けてくる。
思えば、1日に2回以上はポーランド人の優しさに助けられていた。 
画像18

※ポーランド旅行記バックナンバーまとめ※随時更新①~

2019/12/15

㉓私が行方不明。古城ホテル泊(2018/6月)

↑クラクフのヴァヴェル城
ポーランドに訪れたことがある人に、何するのがおススメかを、出国数日前に聞いた中に、古城ホテルというキーワードがあった。
ユースホステル渡り歩いているし、何より一人旅だしな…と思いながらもExpediaを見ていたら、
なんとタイムセールで日本円で3000円という破格値で古城ホテルがヒット…評価もなかなか高い。
3000円ならいいかなと、一泊することにしてみた。
ちなみにポーランド来てから、宿は全て900〜1800円くらいのユースを泊まり歩いていた。(でもみんな清潔で立地もGood)
↓下の写真はヴロツワフの旧市街で泊まったユースホステル。
さて、古城ホテルは、郊外にあるので、まずは行き方を調べなければ…(事前に調べてないので…)と、ツーリストインフォメーションへ行き、行き方を聞くと、
路線バスを二つ乗り換えないと無理ね…
というか、今の時間から行くの?帰りのバスないから、明日の午前中にしなさい!と、綺麗なお姉さんに諭されてしまう。
いや、泊まりだから大丈夫です。ジェンクゥイエン!(ありがとう!)と伝えてから、路線バスの乗り換えの番号と降車駅名などを紙に書いてもらい、暗くなる前にとりあえず出発。 
ちなみに、本当に路線バスだった。
旧市街を抜け幹線道路をひた走り、郊外へどんどん向かうバスは、市民しか利用していないため、私(旅人の東洋人)は、かなり浮いている。
で、幹線道路沿いの広大な駐車場のある大型スーパーとかが並ぶ郊外のバス停で降りて、4車線くらいある幹線道路の横断歩道を渡り少し歩いた先のバス停(キョロキョロしてナンバーで確認)で待つこと10分くらいで、またしても路線バスに乗る。
私はツーリストインフォメーションのお姉さんの言うことを全面的に信じて、1ミリも疑うことなく、この完全に住民専用の路線バスを乗り継いで向かっていた。
こんな私でも一応Google mapでゴールのピンづけはしていたので、(wi-fi無しの状態だが、GPSは作動してくれる)たまに画面を見ては位置を確認していた。
半時間くらいで路線バスは、幹線道路から脇道へ入り田舎の住宅地へ入って行った、バス停の間隔も短くなり、客も停まるたびに降りていく…
夕方近くになり、お姉さんが書いてくれたバス停の名前からいくと、たぶんあと数駅だよな、と思いGoogle mapを見たら、明らかに数駅ではたどり着けないくらいにはるか遠くの距離を現在地がさししめしていた…
あれ?…
でも、まー、もしかしたら、あと数駅だけ駅の間隔がすっごく長いのかもしれないしな、とか考えてとりあえず乗っていた。
というか帰り方もわからないし、ポーランド語わからないし、乗っている以外の選択肢もないので、行くだけ行ってみることにする。
で、Google mapの現在地は、道半ばの遥か遠い地点指し示した状態で目的の停留所に着く。
とりあえず降りてみたが、地図もないので皆目見当もつかない…
可愛らしい片田舎の小さな駅前ロータリーみたいな場所に私を置いて、路線バスは走り去ってしまった…
困ったなぁとキョロキョロしていたら、マイクロバスが目の前に止まっていて、なんとなく、これに乗ったらついたりしないかな〜と思い、運転手さんに、ホテルの名前を見せてここに行きたいんだけど、ここはどこ?って英語聞いたら、
なんと、英語が全くわからない人(以前に書いたかもしれないが、ポーランドでは、ものすごく簡単な英語ですら全くもって通じなくて英語で尋ねると動揺してひたすらポーランド語で出来ないアピールをする人と、英語ペラペラに近い若い人と、30歳くらいを境に世代で綺麗に二極化している。で、その運転手さんは、50代くらい…)、私が言っている簡単な単語すら理解してくれないが、私の書いたポーランド語の住所を見て、しきりに降りろって合図をしていた。
あきらめて降りて、とりあえずどうしようもないから、最悪、野宿か民家に泊まるしかないか…とか考えながら、散策してみることにした。
するとバス停から歩くこと3分くらいで、なんか写真で見たことある建物が…
あれ?こんな感じの外観じゃなかったかな…と中へ入り、ホテル業だと確認して、もし予約ホテルじゃなくても、ここに泊まればいいか〜とフロントへ。
…ここが目的地でした。笑 
GPSの誤作動で、現在地が道半ばで止まってしまっていた。
下の地図の左のクラクフで乗り、右の緑のピンがあるニエポウォミツェに行きたいのに、終着点に着いた段階で、私のGPSは真ん中にある赤いピンの位置あたりにいました…徒歩では縮められない距離…これには、普通に焦る。。
ちなみに、次の日知ったのだが、クラクフの駅から直通のシャトルバスが出ていました笑
そりゃそうだよね、旅行者が路線バスなんか乗らないよね…そうしたら観光客なかなか来ないよね。 
ここについては、ポーランド政府観光局のブログから引用しますが、
クラクフの東隣にあるニェポウォミツェNiepołomice。広大な森があるこの町はピアスト王朝のころから、王や貴族が好んで出かけた狩場として知られていました。 
そして、このホテルは、
14世紀にカジミェシュ大王が森での狩のために建てた城。第2のヴァヴェル城とも呼ばれ、歴史の舞台にもなったこの城は現在美術館とホテルになっています。
カジミェシュ大王↓ 
門を入ると、中庭(広場)を囲うような造りになっている。
スタンチク(ポーランド語: Stańczyk、1480年頃-1560年頃)はポーランドの歴史のなかで最も有名な宮廷道化師。彼はアレクサンデル、ジグムント1世老王、ジグムント2世アウグストという三代の王に仕えた。↓
外観↓
絢爛豪華という感じでは全くなく、こじんまりとしているが、雰囲気のあるとてもcozyなホテルだった。
部屋には、それぞれポーランドの王様や王女様の名前が付いていて、私の部屋は…たしか、Queen Jadwiga だったかな。
ポーランド王国、最初の女王さま。 
部屋の調度はクラシカルで落ち着いていて、いろいろ可愛い。
バストイレもとても綺麗です(大事!) 
↑窓から見える景色
のんびりとした片田舎の小さな街という雰囲気
ホテルは、スタッフもとても親切だし、併設のレストランのご飯も美味しい。
美術館は、今回、見ることが出来なかったが、とても気に入ったので、
また、今度はゆっくりと、そして誰かと来ますね、とフロントでお礼を言った。

2019/12/11

㉒カジミェシュ地区とJewish Culture Festival (2018/6月)


アウシュヴィッツ編を終わらせたら満足してすっかり忘れていたが、ポーランド旅行記のまだ途中だった…
ポーランドの良さを伝えるはずが、暗い日記が続いてしまっていた…
泊まってみたかった修道院が土日にとれなくて、平日まで待つために、帰りのドイツ滞在を減らして、クラクフに長めに滞在することにした。
クラクフは、アウシュヴィッツ編に入る前に書いたように、昼間でも夢の国のように綺麗だったが、まずは、旧市街の近くの戦前はユダヤ人地区で、戦中は一部がゲットーだった、カジミェシュ地区へ行く。
ちょうどこの週末に年に一度の世界最大のJewish Culture Festival(ユダヤ音楽フェス)があるので、ポーランド最古のシナゴーグのオールドシナゴーグ(Stara Synagoga)の前の広場はその準備のために大型ステージ、機材の搬入や音響調整をしていた。
画像7
クラクフのシナゴーグは、戦中は倉庫や馬車小屋としてであったが、建物自体が残されたものもあり、古いものも見ることができる。
画像6
画像6
画像5
画像12
街を歩いていたらハシディズム派(超正統派)の格好(ハットから全身黒づくめ)のものすごい立派なヒゲともみあげのガンダルフみたいなおじいさんが歩いていて、すごい絵になるなぁ…と思っていたら、ミュージシャンだった。(その夜知った)
今は、ギャラリーやカフェなどお洒落な店も増えて、街にはグラフィティーアートもたくさんある。
戦前まではユダヤ人街だったが、今はユダヤ人に限らずに住んでいるという。
画像12
季節柄いくつかある広場では大抵何か催し物やマーケットをしていて、食べ歩いたりしている内に、蚤の市に出くわす。

画像5
いろんなものが売っている中で、おじいさんが出している店先に、白人の男の子が数人集まっていて、これ、本物?と聞いていた。
脇から覗き込んでみると、驚いたことに、ナチスドイツの軍章や勲章だった。
このカジミエシュ地区の蚤の市で、ナチス遺産が売られているのになんとも複雑な気持ちになりながら、写真撮っていいよと言っていたので、一応撮らせてもらった。
画像3
夜に野外ライブがあるみたいだから、夜に出直すことにした。真っ暗だが、もうなんとなく道を覚えたので適当に歩いて行くと、たくさんの人が広場に集まっていた。
あぁ、なんて平和で楽しい夜なんだろう。海外であまり1人で夜中に歩くことはしないが、ポーランドに来てからまったく怖くない。ま、歴史地区にいるからかな。
巨大なステージと後ろに巨大スクリーンもあり、チケットで中に入らなくても周りの柵のところで十分みれる。
司会が、イスラエルから来た人がいるかと掛け声をかけるとステージ近くの人たちがイスラエルの国旗を振って歓声をあげる。
画像9
ユダヤ人ってなんだろうと思う。
この私のすぐ右横で微笑みかける老夫婦も左横のカップルも、ステージ前で歓声をあげる若い子たちもここに集まる沢山の人たちのどの人がなに人であるのか、全く区別がつかないのである。
この区別のつかない人たちを区別するのが差別であり、選民思想であり、戦争なのだろう。なんとちっぽけな馬鹿げた行為だろうか。
この中で私のようなアジア系の人間を探す方がどんなに簡単に見分けられるか。肌の色や顔の作りなど明らかな外見の違いでなら区別はつきやすいのだが、外見の違いでさえ国籍や宗教は、わからないのだし。
しかし、この大人数の中でも、アジア的な人はほぼ見かけず、かろうじて日本人らしき女の子2人組を1回見かけただけだった。
みんな来ないのか。
こんな素敵な夜なのに。
こんな平和な夜なのに。
画像12
屋台で、クラフトビールにグレナデンシロップを入れて、盛り上がる会場と平和な今宵に乾杯する。
画像10
画像11