2018/08/07

村上さんの35歳問題と冒険者たち

さて、また前回の続きだが、
轆轤をしながら、いつもの国際政治解説(ネット)を見ていたら、韓国経済学者の浅羽先生が話題にしていた村上春樹がこだわっていた”35歳問題”。
気になり調べてみると、…あったな、そんな話。
35歳より半分以下の歳で読んだ村上春樹の短編”プールサイド”に出てきていた。人生の折り返し地点を認識した中年の悲哀に、何だかわからずも胃に強い圧迫を感じた遠い記憶がよみがえる。(いや、相変わらず話の内容はあまり覚えてないのですが…やれやれ)
”35歳になった春、彼は自分が既に人生の折りかえし点を曲がってしまったことを確認した”(文中より)
“プールサイド”に出てくる”彼”は、やりがいのある仕事、社会的地位、高い収入、美しい妻、健康な肉体、かっこいい車、若い恋人…公私共に順風満帆な生活を送る元水泳選手。
彼は、35歳をプールで言う所のターンする地点、つまりは人生の折り返し地点と決めていた。
そして、全てを手に入れている35歳の誕生日を迎えた日曜日の朝、アイロンがけをする5歳下の妻を見て、ラジオから流れるビリー・ジョエルの唄を聞きながら何故か10分間だけ涙する。
”もし水泳競技にターンがなく、距離表示もなかったとしたら、400メートルを全力で泳ぎきるという作業は救いのない暗黒の地獄であるにちがいない。ターンがあればこそ彼はその400メートルをふたつの部分に区切ることができるのだ。<これで少なくとも半分は済んだ>と彼は思う。次にその200をまた半分に区切る。<これで3/4は済んだ>。そしてまた半分・・・・・。という具合に長い道のりはどんどん細分化されていく。距離の細分化にあわせて、意志もまた細分化される。つまり<とにかくこの次の5メートルを泳いでしまおう>ということだ。(中略)そのように考えればこそ、彼は水の中であるときは嘔吐し、肉を痙攣させながらも最後の50メートルを全力で泳ぎきることができたのだ。”(文中より)
村上さんがこの短編を連載していたのは34歳くらいの時だと思う。
概要はわかったし、なんとなく覚えている。それに、この短編を話題にしている人が多い(検索すればすぐに出る)。だけど、この”10分間の涙”の詳細な訳がはっきり思い出せない。(私が話の内容を覚えていないから悪いのだけれど…)
『老い』という抗しがたい力への不安からとか、すべてを手に入れ、これ以上何を求めるべきか分からなくなったから泣いたとか…
浅羽先生が、話題にしたのはたしか、35歳を過ぎたあたりで『できたかもしれなかった』という仮定法過去の総和が、『過去の記憶や未来の夢(直説法過去・直説法未来)』の総和を上回ることで悩ませだすという人生観の問題を言っていた。どんな成功を収めている人間であっても、人は過去の亡霊(タラレバの世界)に捕われて生きていくことになるという。
これは、臨床心理用語にある『ミッドライフ・クライシス(中年の危機)』の事だと思う。
別の名で『中年ブルー/中年の思春期』…仮定法過去の亡霊以外にも、たとえば今まで価値があったものに対して価値を見いだせなくなったり、今までの生き方に関心を失い始めたり、あるいは、突然、原因不明の身体的症状に悩まされたりすることで起こる。
しかも30代~40代(50代)において半数以上の人が多かれ少なかれ経験しているという。ひどいと鬱病やアルコールやドラッグ、セックスなどの依存症になったりもする。
非常にわかりやすい特徴があったのでここに引用しておく(男性だけで申し訳ないが…)
男性は、急にジムに通いはじめて体を鍛える、若い女性との不倫や遊び相手を探す、といった性的な行動に走りやすい傾向が高い。
また、以下のような症状も『ミッドライフ・クライシス』にあてはまるらしい
・アンチエイジングに興味をもつ、髪型を頻繁に変える
・転職や起業、独立を考えている
・新しいスポーツや珍しい競技をはじめる
・海外に滞在したいと考える
・最新のガジェットを常に追いかける
・同窓会や社会人サークルを主催するようになった
・Facebook、Twitterを始めた
村上さんは同じように、”遠い太鼓”というエッセイで
”40歳というのはひとつの大きな転換点であって、それは何かを取り、何かをあとに置いていくことなのだ、と。そして、その精神的な組み換えが終わってしまったあとでは、好むと好まざるとにかかわらず、もうあともどりはできない。(中略)それは前にしか進まない歯車なのだ。僕は漠然とそう感じていた。(中略)だからこそそうなるまえに、――僕の中で精神的な組み換えが行われてしまう前に――、何かひとつ仕事をして残しておきたかった”(文中より)
34歳から始まった『ミッドライフ・クライシス』に蹴りをつける形で、37歳でヨーロッパ移住を思い至り、そこで”ノルウェイの森”を書き上げるという、お手本のような人生を送っている。
英ガーディアンや米ワシントンポストによると、他の年代よりも、『ミッドライフ・クライシス』の年代の人たちの幸福度と満足度が低いことを報じている。生活満足度と年齢の関係を示す下記のグラフはU字曲線を描いている。これは、ゴリラ、チンパンジー、オランウータンなどの大型類人猿でも同様のU字曲線になっているという。
↑『51カ国(欧米)の無作為で選んだ130万人を対象に約20歳~90歳までの心理的幸福感を7つのデータセットをもとに調査したグラフ(The Washington Postより)』
欧米男性の『ミッドライフ・クライシス』的三大症状を挙げると、2シーターのスポーツカー、オートバイ、愛人(離婚に発展する場合も)らしい。ちなみに村上さんの車も2シーターのオープンカーだそう。
『ミッドライフ・クライシス』について、ポジティブな記述もネットにあった。
“この時期に問題や症状が生じたら、それは新しい自己実現のための病だと考えられるのです。これに直面しないでいる限り、その問題なり症状なりに、悩まされ続けることになりますが、勇気を持って立ち向かい、これを乗り越えると、それは新しい可能性や創造性への飛躍につながります。したがって、「中年の危機」は意義深い停滞と言えますし、またこの危機はきわめて「正常」なものであるとさえ言えます。
ユングが1929年に研究所での講義中に次のように言った記録が残っています。「年をとれば、自分自身や世界などの両義性を知ることがきわめて重要になってきます。疑うことは知恵の始まりです。人生の価値を疑い始めることはきわめて重要であり、そうして世界の錯綜から自らを解放することができるようになるのです。若い人たちは疑いの中で生きることができません。人生に対して深刻な疑いをもてば、世界に入っていけなくなります。しかし成熟した人は世界からもっと分離すべきです。人生の半ばをすぎれば、それは完全に正常なことです。」
エレンベルガーという精神科医は、フロイトやユングなどの深層心理学者の人生を調べ、「創造の病(creative illness)」という考えを提唱しました。偉大な創造的な仕事をした人は、中年において重い病的体験をし、それを克服した後に創造活動が展開されるというのです。この考えは、他の学者によっても多くの跡づけがなされ、中年における身体的病気や思いがけない事件などもそのような意味を持つことが明らかにされました。
この「危機」を乗り越えようとする過程で多くの人が体験することのイメージとして、「夜の海の航海(night sea journey)」があります。心が暗闇の中にあって、出口の光が見えず長らく低迷する状態です。しかし、航海がそうであるように、いつかは闇の世界から脱出する時が来ます。”(“分析心理ドットコム”より)
それに、ウォールストリートジャーナルでは、”中年時の心理的不安は現実とはならない場合の方が多いことを示す調査結果が増えている。”と報じている。”マサチューセッツ大学アマースト校で1965年から2006年までの大卒者450人以上を調査しているクロース・ホィットバーン教授(心理学)は「ミッドライフ・クライシスはよく言われることだが、それを裏付ける証拠はあまりないのが実態だ」と話す。”また、”コーネル大学(ニューヨーク州イサカ)のエレイン・ウェジントン教授(社会心理学)によると、当初の研究では、ミッドライフ・クライシスは成人の心理発展過程における予期できる1つの段階としてとらえられたが、人口バランスを考慮したグループを対象にした最近の研究は、その見方を大方否定するものになったという。”
↑「自分は幸せだ」と応えた米国人の比率、年齢別(The Wall Street Journalより)
ブランダイス大学のマージ―・ラフマン心理学教授の調査によると”人生は40代半ばから良くなる”という、”40代から60代の人間は「若い人間に比べて日々のストレスを上手く管理する手立てと経験を持っている」”ので、”「対応能力のチャンピオン世代だ」”であるため、”人生の満足度は40代から50代にかけて急上昇し、さらに50代から60代にかけ再び上昇する。”のだそうだ。
”「新たな自由と可能性」”がある”中年は「人生の驚くほどの前向きな時間だ」”と締めている。
“プールサイド”を読んでから20年近くたって、実際、その歳になっても、何も感じなかった。
平均値にすら至ってないからなのか、燃え尽き症候群になることもないのかもしれない。それに、我々の世代は逆に、折り返す前の方がずっと生きづらかった人の方が多いのではないのかな。
老婆心で、いま生きづらいと感じている若い人に会うと、大丈夫だよ、少なくとも30代は、今よりずっと楽になるからと言いたくなる。
欧米と日本は少し違うと思う。例えば、平成20年度の『国民生活白書』(下記のグラフ)によると、”(日本での)推計ではU字型にはなっておらず、67歳を底にして79歳にかけて幸福度はほとんど高まらないL字に近い形状を取っており、アメリカの結果と比べても我が国は特異と言える。”らしい。
でもこれも、時代背景や世代によってずいぶん違うと思う。今は、もしかしたら山型になっているかもしれないし…
それにはじめに添付したワシントンポストの幸福度U字曲線グラフも、2015年のガーディアンの記事によれば、すべての国に当てはまるものではなく、”旧ソ連や東欧諸国(アルバニア、ブルガリア、リトアニア、ロシアなど)では、子供の幸福は西よりも著しく低く、年齢とともに着実に低下しているし、ラテンアメリカとカリブ海での生活満足度は、幼い頃はかなり高く(西よりも低いが)、そこから再び悪化するし、アンゴラ、カメルーン、エチオピアなどのサハラ以南のアフリカ諸国では、人生全般にわたって低いままだという。”
なんか、すごく長くなってしまったな…。こういうところが、オタク傾向が強いんだろうな…。
35歳問題というものは、まだわからないが、年齢的な区切りはなんとなくある気がする。例えば、24歳とか32歳とか、自分の感覚の変化に戸惑った記憶がある(いや、戸惑ったなんて生易しいものではなく、愕然とした)。日本人だと、精神的にも肉体的にも変化があるのが、だいたい厄年になるというのもよく聞く。
浅羽先生が、イズムィコ先生(35)にその話題をふった時に”フリーランス、40歳の壁”という本の話をしていた…それも、『ミッドライフ・クライシス』にあたるんだろうし、女性だと更年期障害もその一部に入るのだろうな。それを思うと、上手に乗り切った村上さん(69)をお手本にしたら、一番いいのではないだろうか。
村上春樹といえば、面白い漫画のツイートを見つけた。
第一弾~第三弾まであります↓↓




5日に、TOKYO-FMで『村上RADIO』なる村上春樹がラジオDJをする番組があった。radikoのタイムフリー機能で、昨日、聞いていたのだが、走るのによい音楽をいくつか選曲していた。
”走るときに適した音楽は何かというと「むずしい音楽はだめ」ということですよね。リズムが途中で変わるとすごく走りにくいから一貫したリズムで、できればシンプルなリズムのほうがいい。メロディがすらっと口ずさめて、できることなら勇気を分け与えてくれるような音楽が理想的です。たとえば、そう、こういうのを聴いてみてください。【選曲♪Brian Wilson”Heigh-Ho / Whistle While You Work / Yo Ho (A Pirate's Life for Me)”】”(村上RADIOより)
それを聴いて、モンクをiPodで聴きながら島でペンキ塗りをしていたことを思い出した。ペンキ塗りとJAZZもなかなか相性がいい。走るのと似ているのかな。まだ来ぬ『ミッドライフ・クライシス』予防に走ろうかな。。。いや、ペンキを塗ろうかな。
どうでもいいけど、村上春樹の小説には、ユング的な思想がしょっちゅう出てくる気がする。興味を持て学んだこともないのでユングを否定も肯定もしないが、少なくともユングもフロイトもアドラーも真偽のほどはわからないが多くの人が関心を持つことで、行動様式の総体にはなりうると思う。マインドコントロールに近いけど。