2020/07/13

“Elementary, my dear Watson.(初歩的なことだよ、ワトソン君)”


ダウントン・アビーを見ていたが、面白いけど字幕だとなかなか仕事にならないので、保留にして、前から気になっていたエレメンタリーの吹き替えを見始めたら、思った以上に面白い。

シャーロキアンではないが、シャーロックホームズに幼少期から強い思い入れがあり、妙な嗜好の元凶にもなっているため、ジェレミー・ブレットとベネディクト・カンバーバッチは大変気に入っているが(作品としても大好き)、ロバート・ダウニー・Jrは全く見る気もおきなかった。

ましてや今回は、舞台がNYで、ホームズは見た目の精悍さに欠けていて…で、ワトソンが女性?チャーリーズ・エンジェルではなくて?という不安要素がてんこ盛り…

で、見始めたけど、これが結構面白い。
ちょこちょこ原作ネタが出てくるが、シャーロックホームズという設定はとりあえず無視して見て、たまに思い出すくらいが、私は楽しめる。

ちなみに、このホームズは、ジョニー・リー・ミラー(トレイン・スポッティングのシックボーイ)!ホームズのイメージではないが…気に入っている上記の2名はアンドロイド的だが、彼のホームズは一番人間的な気がする。

ホームズの変人ぶりはお家芸だが、このドラマでのワトソンとの関係性が今までない感じで、変化していく過程もすごく良い。男女なのにSherlockよりもさばけた関係なのも面白い。ま、まだシーズン1しか見てないのだけど。(各シーズン約24話でシーズン7まで)

それに、原作でも、ジェレミー版ホームズでも、Sherlockでも、レストレード警部率いるスコットランドヤードは、ちょっと情けない感じだが、このドラマのNY市警は、グレッグソン警部もベル刑事もデキる警察として描かれているのも、ポイントが高い。

あと、吹き替え役の声が、みんなとても良い。吹き替えの声優を先に調べてから安心して見始めたのもあるけれど。
ルーシー・リューが、草薙素子の声(田中敦子)なので、画面見てないと、仕事モードでない草薙素子が喋ってる感じに聴こえる。

ちなみに、ゲーム・オブ・スローンズは、シーズン2、3あたりで、脱落した。姉も見ていたらしいが、もっと早くに脱落していた……狼たちはすごく可愛いんだけど…



余談だが、“ワトソン君”って翻訳は、とても良い。
ちょっと小馬鹿にしている感じで“my dear”を使っているのだろうが、翻訳されると“(ワトソン)くん”と、とても親愛を感じる良い愛称表現に聞こえる。

ま、この台詞は有名なのに、コナンドイルの原作には出てこないという、実在しない名台詞らしいです。(映画では使っている)

2020/07/05

展示のお知らせ

なんか知らない間に出展することになっていたので、(一昨日チラシを見て初めて知ったので…)あわてて少し作品持っていって、告知します。
『ファブリック展』(そもそも私、ファブリックじゃないけど…)
2020年7月8日(水)~7月27日(月)
午前11:00~午後6:00
場所は、「ちえのわ」(友人のママのギャラリーです)
〒270-1415
千葉県白井市清戸770
※動物フレンドリーなので、ペット同伴で大歓迎です。
たしか、5人ぐらい出品するはず。(全く把握してませんが…私は“ついで”みたいな感じです)
人形作家の田中典子さんも出します(メイン)。かなり作品達かわいいです。
画像5
画像6
画像7
画像8
ちえのわの7月の予定(ま、私が書かされたのですが…)
画像2
11日(土)のワンニャンフェスは、こんなこと↓するらしいです。
画像3
画像4


キッチンカーのHawaiian cafe ohana(ハワイアンバーガー/犬が食べられるメニュー有り)は、今のところ、11日(土)、15日(水)、22日(水)、29日(水)に来る予定です。



××××××××
「ちえのわ」とは
動物と人が集い楽しめる
友人のママのギャラリー(動物の保護施設併設予定)です
詳しくは ↓↓
画像1

〒270-1415
千葉県白井市清戸770
HP↓

Facebookページ↓



2020/07/01

㉑参考資料の感想(書籍編)Auschwitz-Birkenau編14 〜その1

『これが人間かーアウシュヴィッツは終わらない』 プリーモ・レーヴィ著

画像1
24歳の時、スイス国境近くのイタリアで捕まり、今はなきアウシュヴィッツの労働収容所にあたる巨大な化学工場を有した第三収容所モノヴィッツ(Monowitz)に送られたユダヤ系イタリア人のプリーモ・レーヴィの体験記。
淡々と書かれた醜さ悲惨さでうめつくされた地獄は、『神曲』や詩の引用により押し込められた感情を代弁しているようだった。また、章ごとの断片的な時系列や書き方も混乱と切迫感が伝わってくる。
“持つものには与え、持たないものからは奪え”(本文より)
おごった考え方だと承知で言うが、人が人足らしめるものの一つが良心と名付けている社会秩序に植えつけられた感情なんだと思う。人も獣も植物もひとまとめにするならば、上記の言葉は自然界の掟そのものである。原始的な生存競争の法則に支配されている収容所では、まさに。
性が剥き出しの中での、レーヴィの人間への観察眼は、非常に興味深い。
最終章の「十日間の物語」は、狂気の秩序がなくなり、空白による混沌の中での話で、とても知りたかった部分だった。
彼らの状況を表現するには筆舌に尽くし難く、いかなる陰惨な形容詞を使ったとしても、言葉足らずになるのだろうと思う。仏新聞社ル・モンドの『20世紀の100冊』(1999)などにも選ばれている。

『休戦』 プリーモ・レーヴィ著

画像2
“その時が来たのだと分かったのだった。私たちは森で火をたいた。誰も眠らなかった。その夜は歌い踊って過ごした。そしてお互いに過去の冒険を語り、失った仲間を思い出した。なぜなら人間には、かげりのない喜びを享受することなど許されていないからだ。”(本文より。転々と一時収容所へ移動していき、ベラルーシ(当時のソ連)の収容所から、最終的にイタリアへの帰還が決まった時。)
開放から帰郷へ(1945年1月27日-10月19日)。アウシュヴィッツの解放者がソ連軍だったこともあり、イタリアとは逆方向のソ連領へと一時的に移動することになり、そこからイタリアのトリーノへの帰還を果たす。その道のりはとても長く、また人間性や心などを取り戻すための行程でもあり、これほどまでに帰郷の意味が重いことがあるのだろうかと思った。
全体の分量から考えても、最後の数章でサラッと書かれているが内側へと重く深くなる最後の列車でのベラルーシからトリーノへの長い行程の中、唯一ドイツを通過することになったミュンヘン(オーストリアからミュンヘン経由でイタリアへ入る)での記述を長めの引用。
“私たち汽車は駅に座礁したように止まっていたが、そのまわりはがれきだらけだった。そうしたがれきだらけのミュンヘンをうろつき回ると、支払い不能の債務者の群れの中を歩いているような気分になった。おのおのが私たちに何かを追っていたが、それを払うのを拒否しているのだ。私は今彼らの中にいた、「支配者の民族」の中に、アグラマンテの野営地の中に。だが男たちは少なく、多くは不具で、私たちと同じようにぼろをまとっていた。彼らの一人一人が私たちに問いかけ、何ものか顔で読み取り、謙虚に私たちの話に耳を傾けるべきだ、と私には思えた。だが誰も私たちの目を見ようとしなかった。誰も対決しようとしなかった。彼らは目を閉じ、耳をふさぎ、口をつぐんでいた。彼らは廃墟の中にこもっていたが、それはあたかも責任回避の要塞に意図的に閉じこもっているかのようだった。彼らはまだ強く、憎悪や侮蔑をまた表に出すことができ、高慢と過ちの古い結び目にいまだにとらわれていた。
私は彼らの中に、その封印された顔を持つ無名の群集の中に、別の顔を、よく覚えていて、多くが特定の名を持っている顔を探しているのに気づいて、我ながら驚いた。それは知らないことはあり得ず、忘却は許されず、答えないことはできないものたちだった。命令し、従ったものたち、辱め、堕落させ、殺したものたちだった。それはむなしく愚かな企てだった。なぜなら彼らではなく、別のものたちが、少数の正義にかなったものたちが、その代わりに答えるはずだったからだ。”(本文より)
『これが人間か』でも感じたが、人間観察の巧みさは素晴らしい。大収容所で生と死の境にいた人たち、傷を抱えた人たち、介抱する者たち、解放者でもあるソ連軍人、同胞イタリア人、ギリシア人、フランス人、ポーランド人、アメリカ軍人、そしてドイツ人など…お国柄のような性質として捉えた描写もあるが、深く関わっていき個人の性質として書いている部分もある。
最初の行程を共にしたギリシア人のモルド・ナフムについての章での彼の人生観や労働に対する考え方に唸り、収容所での顔見知りで途中で再会し最後の方まで一緒だった同郷イタリア人のチェーザレの生き方に感心する。
その中で、1人だけ、ここで詳しく引用しておく。
本書序盤、アウシュヴィッツが解放され、収容所はそのまま収容者の一時的な療養施設と変わった。
レーヴィの療養部屋中で一番小さく、無力で、最も無垢な存在だが、注意を逸らすことができぬほどに自らの存在を主張し続けた魂の塊・フルビネクについて、
外見は3歳くらい、下半身麻痺で足が萎縮し、小枝のように細い体、口は聞けず、名もなかったアウシュヴィッツの子供、フルビネク(レーヴィたちが付けた通称)。痩せて尖った顎の顔の中で物言えぬ口を代弁するように圧倒的な力をたたえた瞳は欲求と力と苦痛に満ちていたという。
“フルビネクは3歳で、おそらくアウシュヴィッツで生まれ、木を見たことがなかった。彼は息を引き取るまで、人間の世界への入場を果たそうと、大人のように戦った。彼は野蛮な力によってそこから放逐されていたのだ。フルビネクには名前がなかったが、その細い腕にはやはりアウシュヴィッツの刺青が刻印されていた。フルビネクは1945年3月下旬に死んだ。彼は解放されたが、救済はされなかった。彼に関しては何も残っていない。彼の存在を証明するのは私のこの文章だけである。”(本文より)

『朗読者』 ベルンハルト・シュリンク著

画像3
映画化されたが、読後に観た。この順番でとても良かった。(『愛を読むひと』の感想は、映画編に書きます。)
主人公の心の機微の表現がとても丁寧で、共感性も高く溶け込んでくる。
愛するとは、罪とは、真実とは、許すとは…
“「…あなただったら何をしましたか?」”(本文より)
考えれば考えるほどわからなかった
私ならどうしたか
それを考え続けたとして、愚かで弱く小さな私は、答えを出せず動けないだろうと思う。そんな人間が、他人を糾弾し罰することなどできるはずもない、いや、そもそもしてはならない。
彼女の頑なさや言動の理不尽さの理由を知った時に、なんとも言えない気持ちになる。 

『アンネの日記(完全版)』 アンネ・フランク著

画像4
読む前までは、戦時中の隠れ家でのユダヤ人少女の暗く悲しい日記という勝手な思い込みがあった。
だが、(不自由な生活を送ってはいるけれど)普通の思春期の女の子の日記だった。
プライベートな日記を盗み読む背徳感すらある。むしろ男性は読みにくいのではないか…これは同世代の少女たちが読むべきだと思う。
私は彼女の晩年を知り、そして、その生きていた場所を実際に見てきた。
アンネの日記を読みながら、頭の中で何度も再生される収容所での様子が頭をチラついてしまう。12〜14歳の彼女が喧嘩し、怯え、恋し、ユーモアを交えて笑い、夢を語り、クルクル動く感情のその全ての文章の隙間に、対極にある収容所での姿が常に重なり、本の中の彼女が生気に満ちていればいるほど、その落差に胸が苦しくなった。原文ではないから、果たしてどれほど翻訳の妙が冴え渡っているかわからないけれど、10代の感性が飛び跳ねていた。
アンネフランクをよく早熟な少女と表現することがある、例えば、異性や性に対してもあけすけなく興味を持っていたし、人間観察も自己分析もよくしていた。
近年、アンネの日記の、いわゆる”袋とじ”部分の解析ができて、性的なジョークが書かれていたと発表された。でも、そう言うことは、10代の女の子なら誰でも興味が出る年頃だと思う。
むしろ早熟なのは言葉選びや表現の方だ。言い回しの妙は、才あってのものだと思う。あの多感な時期に想いや感情は目まぐるしく動くが、それを順序立てて文章にするのなかなか出来ることではない。

『アンネフランクの記憶』 小川洋子著

画像5
“……we were no heroes, we only did our human duty, helping people who need help.“
(by ミープ・ヒース。フランク一家の最大の協力者であり家族のような友人であったミープさんの言葉を本文から)
小川洋子さんの”ものを書くこと”の原点となっている、少女時代に読んだ『アンネの日記』。そのアンネの足跡を辿り、ドイツ、オランダ、ポーランドへ、ご存命のアンネの知人たちに会い、そして、小川さんがアンネに会いに行く本。

『コルベ神父―優しさと強さと』 早乙女 勝元著

画像6
キリスト教関連の出版社以外での、コルベ神父についての本を読みたかったので。

『アウシュヴィッツ博物館案内』中谷剛著

画像7
アウシュヴィッツのガイドをしてくださった、アウシュヴィッツ博物館の日本人唯一の公式ガイドをされている中谷剛さんの本。

『服従の心理』 スタンレー・ミルグラム著

画像8

権威による命令で、人は殺人ができるのか?という、心理学実験でとても有名な、通称“アイヒマン実験”について。


㉑参考資料の感想 (映画編)Auschwitz-Birkenau編14~その2

『フォース ダウン』(2008年/オランダ)★★★

画像1
オランダの児童文学”戦争の冬”を映画化。大戦末期、ナチス占領下のオランダに住む少年の一冬の出来事。雪の景色も綺麗で、ストーリーも面白く、とても良い映画だった。日本の宣伝文句と写真がひどすぎて、本当に勿体ない映画。

地下水道』(1956年/ポーランド)★★

画像2
ワルシャワ蜂起での、劣勢のパルチザンによる対ドイツゲリラ戦を描いている。
もう…凄まじい…その一言に尽きる。
パルチザンや反政府ゲリラなど、レジスタンスの末路が常に悲惨であるとわかっていても、出口のない暗闇に、わずかな光を求めて足を踏み入れて、光を見失い恐怖し発狂しながらも、戻ることもできずに泥沼を進むしかない、それこそ舞台となる地下水道のよう。
それでもレジスタンスを選ばざるを得ない状況(戦争)が、かぎりなく悲しい。近年のシリアしかり…
下のも同映画のポスター、まさにこんな感じ…それにしてもかっこいいデザイン。
画像3

『カティンの森』(2007年/ポーランド)★★

画像4
歴史の闇に長い間隠蔽され続けた第二次世界大戦下に実際に起きたカティンの森事件を映画化。
監督のアンジェイ・ワイダ(“地下水道”と同じ監督)の父親もこの事件で亡くなったそう…
やはりこれも坦々と惨さが描かれている。列強に囲まれているポーランド史の悲惨さは、筆舌に尽くしがたいが、特に第二次世界大戦勃発からポーランド共和国になるまでが悲惨である。
無惨な映像はたくさんあったのだが、
クリスマスイヴの夜、捕虜収容所内で、捕虜となり希望を失いかけていく将兵たちに大将が演説する場面はとても心に残っている。
薄暗く狭い収容所の中で、たくさんの部下に囲まれ真ん中で演説する、それをゆっくりと俯瞰しながら撮影し、またゆっくりとカメラは降りていく美しい映像なのだが、その中で
“…もう一言。徴兵されて運命を共にしたものに言いたい。君たちの大半だ。学者、教師、技師、弁護士そして画家。生き延びてくれ。君たちなしで自由な祖国はありえない。我々は欧州地図上にポーランドを取り戻す。君たちはそのポーランドを再建する。…(劇中より演説を一部抜粋)”
そして、生き延び家族との再会を誓い、皆で祖国の唄を歌う。

『善き人』(2008年/イギリス・ドイツ)★ 

画像5
ユダヤ人の親友を持つドイツ人の文学部の大学教員が、ナチス政権や時代に流されていく姿。
ごく普通の”善良なる市民”が、主義主張もなくただ時代に流されていく滑稽さや警鐘を描いていたのかな。

『囚われのサーカス』(2008年/ドイツ・イスラエル)★

画像6
イスラエル作家の小説原作。イスラエルの砂漠の中にある、心も体も壊れてしまったホロコーストサバイバーたちのサナトリウムでの話。戦争が終わって、瓦礫と生き残った人がいて、壊れたものを少しずつ(建て)直していけば、数年経てば元に戻るのだというのは、幻想でしかないのだろう。『ソフィーの選択』しかり『プリーモ・レーヴィ 』しかり、戦争の中に取り残された人たちは、いつ終戦を迎えられるのだろうか…。

『肯定と否定』(2016年/イギリス・アメリカ)★★ 

画像7
⓮歴史修正主義(余談) Auschwitz-Birkenau編7の中で取り上げた映画。
私は戦後生まれで、知れば知るほど信じがたくなることばかりだが、それでもホロコーストやガス室の存在を頑なに信じている。一方、ホロコーストやガス室は無かったと信じている人がいる。こんな明らかなことでさえ揺らぎかねないのなら、では、真実とは一体何であり、また、何を信じれば良いのかと、茫然とする。

『アイヒマンを追え!』(2015年/ドイツ)★

『検事フリッツ・バウアー』(2016年/ドイツ)

画像8
画像9
フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判に尽力した西ドイツのユダヤ人検事(戦中は亡命)のドラマ。敗戦したら、全員が改心して、信奉していた思想がすぐに180度変わる訳がない。それに、ナチ狂信者や、戦犯を逃れた者が、年齢的に戦後の社会や政治の中に入ってくるの至極当然のことで、そうなると特にドイツは社会や組織の中枢にすら反ナチの仮面をして潜んでいる可能性が高い。戦後で平和のはずが、迫害されていた人たちは、どれほど恐ろしかっただろう…そして、東西問題(シュタージなど)も同時進行していたし…。
ドイツ文学『朗読者(愛を読むひと)』の作中の裁判もこの頃である。

『ヒトラー 最期の12日間』(2004年/ドイツ・イタリア)★

画像10
ブルーノ・ガンツの迫真の総統が話題になった映画。今もコラ動画(コラージュ動画)でよく使われていたりする。ヒトラーについてドキュメンタリーをいくつか見ていたので史実に基づくのだが、ヒステリーを起こしたヒトラーがどうもコミカルに見えてしまう。怪物やプロパガンダとしてのヒトラーではなく、人としてのヒトラーを描いている。最期の12日間だけなので、カリスマ性や狂信的魅力は全く伝わらず、映画しか知らないと、盲信者の滑稽さと違和感が異様。

『ヒトラーへの285枚の葉書』(2016年/ドイツ・イギリス・フランス)★

画像11
実話を元にしたドイツの有名な小説原作。役者がとても良い。静かに淡々と悲しみと不条理と戦慄が灰色の空気の中で過ぎていく。監視された狂信的体制の中での、普通の人の静かなささやかなだが勇気ある抵抗。一粒の砂という表現がよい。

『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(2015年/ドイツ)★

画像12
1939年11月、ミュンヘン一揆記念演説での時限爆弾によるヒトラー暗殺未遂事件の犯人ゲオルク・エルザーの話。英雄視されるワルキューレ作戦(『ワルキューレ』の感想)の首謀者クラウス・フォン・シュタウフェンベルクとは全く違い、花も名誉もない片田舎に住む36歳の平凡な家具職人のゲオルク。そして、戦後もその意思や行動を英雄視されることもなく、時代に埋没していた男の話。変わりゆく社会風潮、悪くなる世界情勢、きな臭い空気、盲信者の出現…自分の周囲の出来事についていけず、慄き、それをなんとか止めるために自分がすべきこととは…取り憑かれたように計画を立て単独で実行した彼は、自由を愛し、ごく当たり前の生活を望む平凡な一市民であった。

『シャトーブリアンからの手紙』(2011年年/ドイツ・フランス)

画像13
ナチス占領下のフランス・ナントでレジスタンスによりナチス将校が1人暗殺され、その犯人のあぶり出しと見せしめの報復のため、市民や政治犯収容所で大量に処刑された、その中には少年たちもいたという実話(『パリ日記』)を元に映画化。ドイツ軍人で作家思想家のエルンスト・ユンガー役は、『ヒトラー 最期の12日間』でゲッペルスを演じたウルリッヒ・マテス。

※ポーランド旅行記バックナンバーまとめ※随時更新①~

画像14