2015/10/25

漆についての自論(笑)

仕事の資料作りをしていたら、
大学院時代の理論講義の授業のレポートデータが出てきた

今思うと、あの時が一番、文章を書くことにノリノリで
周りは、A4用紙1枚のレポートを書くのに、ヒーヒー言っていたが
その中で、私はむしろ書きすぎてしまい、1枚に収めるのが大変だった

というか、大学の授業で一番好きだったのが、実技よりもレポート書きだった気がする・・・

で、今読み返すと、結構面白くて
やっぱり、描き方がノリノリだなと思う
というか、今、この文章書けないな・・・

しかし、読み直すと、これって授業の内容よりも完全にエッセイ風になっている(何様だ?)笑


ちなみにこの講義は、毎授業ごとにその日の講義内容(毎回先生が変わるオムニバス形式の90分授業だったかな)に関してのレポートを書くというものだった

そして、この回は、漆の小林先生によるスライドとかを使った漆の素材と表現の講義だった気がする

のに、ものすごいピンポイントで主観のみでしか書いていない 笑

この調子で、完全に授業内容というよりは独壇場のエッセイ風レポートを毎回書いていたが、文字数がきっちりあるので、最終的な総合評価は一番良い成績だった気がする、むしろ実技の授業の成績の方が良くなかった
言っておくが、美大だからこのレポートで許されていたが、普通の大学だったら落第していたことでしょう

もし、興味があれば、ご笑納ください (※小林先生の名誉のために言っておくが、まったく授業内容と違うことを書いています。すべては私の主観なので・・・・あしからず)

2015/10/21

ファシズムと白虎隊

会津若松は 白虎隊推しの気がする
駅前にも白虎隊の像がある

ということで、白虎隊が自刃した飯盛山へ
 
ここにも

自販機も
日本史よりも世界史が好きだったこともあり、知識がほとんどないのだけれど

本当に小さいころに、テレビで時代劇のエンドロールで堀内孝雄の『愛しき日々』が流れているのを聞きながら号泣した記憶があった
10歳以下だったはずで、あの時、本編は観ていなかった気がする(覚えていないから)
ただただ、あまりに歌とエンドロールの映像が悲しくて仕方がなかった。
それを今の今までずっと忠臣蔵だと思っていたのだが、白虎隊だったことに、今ネットを見てて、気づいた…そういえば、エンドロール雪降っていなかったしな


そんな訳で、知識は本当にわずかだったのだけれども・・・

参道

心臓破り(?)の階段
隣に動く歩道のエスカレーターがあります
この階段を昇って上に着くと、白虎隊のお墓があります
あまり写真を撮る気もおきなかったので、一枚もとっていませんが
白虎隊以外に、白虎隊の前進の少年兵、その他多くの会津藩士関係者の自刃した女性子供の合同碑などもあります

本当に嫌な話ですが特に白虎隊は
介錯する人もいなかったので、切腹した後、なかなか死ねずにその苦渋の様子は地獄絵図だったそう
生きる選択肢がなかったことも不幸だけれど、切腹以外の死を選べなかったことも、武士道精神の悲劇としか思えない

ここで、ボランティアガイドのおじちゃんに詳しく説明してもらいます
本当に素晴らしい説明でしたし、面倒くさい質問も全部答えてくれました。
ありがとう、平野さん

ですが、本当に申し訳ないが、
飯盛山の話は美談とは、到底思えなく
どちらかというと、自分には悲痛さに気分が悪くなる史実である

こんな歴史は、繰り返さないでほしい

ところで、そんな白虎隊のエピソードに心打たれたのか、何だか知らないが
(内容的には、彼らの武士道精神とかに感銘を受けたために贈られたとされているのだけど)
イタリアファシスト党のムッソリーニ総裁から贈られた、巨大なポンペイ遺跡の石柱の碑が建っている
ヒトラーユーゲント(ナチス党内の10~18歳の青少年組織)も、枢軸国の文化交流の一環として来日した時に、白虎隊のお墓詣りをしているとか
その後、ドイツから贈られた鉄十字の紋章の入った碑もある

ムッソリーニからの贈り物は、すごい存在感のあるモニュメントになっている

なんだかな・・・

国の重要文化財の
さざえ堂
ちょっとエッシャーの絵のような木造螺旋造りになっている


千社札がびっしり貼ってある
あまりに貼られていると、一見、魔除けの札に見える

紅葉が綺麗
飯盛山の厳島神社


白虎隊が移動に使った
水路のあるところ


もち屋
おいしかったな~
もち屋って山形にもあるけど
東京ってあるのかな
赤べこ
余談ですが
白虎隊だけクローズアップされていて、他の大人はどうしてたんだと、無知に思ってたのだけど

どうやら
会津藩では軍制をフランス式に変えて、中国の四神の名をとり,年齢別の4隊に編成したそう

玄武隊 50歳以上
青龍隊 36~49歳
朱雀隊 18~35歳
白虎隊 16~17歳
(すべて数え歳)

上記の年齢以上(隠居組)と以下(幼少組)なども編成されていたらしい

喜多方ぶらぶら

 
喜多方で酒蔵見学

昔使っていた木樽の焼き印
ちょっと見ずらいけど、左横に吊るされているのが
日本酒の造り酒屋の軒先でお馴染みの杉玉 

杉玉、または、酒林といわれている
新酒が出来上がると青い杉玉が吊るされて
徐々に色が茶色になるにつれて、酒の熟成を表すことになるという
(ネットから写真を拝借)
 
七輪で手焼きせんべい
会津のせんべいは、もち米ではなくて白米が原料だそう
なので、軽い口当たりなのかな

 
 
蔵の街

蔵で、醤油と味噌を作っている

ヘルマン、撮影中
 
なんか古くて良い感じの平屋

喜多方らーめん
昔食べた時は、あまり好きじゃないなと思っていたが
ここのはすごくおいしかった
人がいっぱい並んでたし

 
喜多方→会津若松

おばさんの家にあった会津塗りの漆器
この急須とお皿は、かわいすぎる・・・
おばさん、ゆずってくれないかな・・・

2015/10/20

温泉妖精

温泉旅館の温泉の男女入れ替えの仕組みは、
お客にとっては、非常にわかりにくいと思う
 
たとえば、今回泊まった熱塩温泉(塩分がかなり濃い温泉)では
夜の11時半から30分清掃が入り、深夜0時から朝の9時までが男女場所が逆になる
 
つまり、深夜の場合は、酔っぱらっていたり、早朝は寝ぼけていたりするから
この時間帯の入れ替えは非常に間違いやすい
 
 
というわけで、普通のお風呂は嫌いだけど、温泉は好きなので
早朝5時とかに意気揚々と入りに行くわけですよ
(朝の露天風呂ほど良いものはないと思う)
 
昨晩の0時前に入浴した所とは違うので、間違えないように暖簾を二度見
 
もちろん、平日だから、お客がそもそも少ないから
誰もいなくて、泳いだりしながらのんびり1時間くらい入っていたのだけど
 
私でさえ、間違えそうに感じるのだから、
人が少ないとおっちゃんとか絶対間違えるよな、と思い
露天から屋内の温泉に入りながら、ぼんやり脱衣所を見たら
 
おじさんが脱衣している最中だった
 
私は性別がはっきりしていないので、このままだまっていてもいいかなと思ったが
下手にタイミングがずれて、寝起きで気温差もあるから、驚かすと心臓発作とか血圧上がったりしたら嫌だなと思って
 
いかに自然な流れでおじさんに教えるか、おじさんのストリップを眺めながら思案する
 
で、おじさんがフルチンで、そそくさと温泉の扉を開けたタイミングで
 
「おじさ~ん、もしかしたら、今ここ女湯かもよ」
 
と、呑気そうに声をかけたら
 
おじさん絶句して、そのまま回れ右して着替えて出て行ってしまった
 
お客が多ければ、入口とか脱衣所で気づくと思うけど
利用者が少ないと、入れ替え時間の設定は難しいよな、と思う
 
その話を朝食の時に話していたら、
海外だと大ごとだよっと言われた(ドイツ人のおじさんも一緒に旅行していたので)
 
 
温泉の裏に朽ち果てたような趣の温泉神社

呪われそうな雰囲気 笑
おどろおどろしくて、つい登ってしまった

上の写真の鳥居が、あんなところにあります
つまり傾斜がかなりある
傾斜には大杉の根がびっしり地面をはっている
 

family tree

 
福地家ルーツの旅をするというので
面白そうなので
少し遠縁になる親戚の旅行に勝手に同行する
会津へ
ここのお墓は田んぼのド真ん中にあるので
稲が刈られたばかり田んぼとその先に見える山脈
360度眺めの良いところにあるお墓
 
 
たとえば、このお墓とかは、私の祖父の祖父母になるらしい
ので、遥か遠い
だから・・明治一桁の時代とかになるのかな?
お墓からの展望で猫魔ケ岳
猫の魔物がいたという
猫耳っぽい形です
本家になるらしいが、蔵がいっぱいある大きなお家
私は分家筋にあたるらしい

ちなみに、この一帯は、福地姓が多いらしい
リノベーションして、蔵と母屋が内側でつながっている
立派な仏壇があった

仏壇お参り中
ここにいる人たちと自分とを系図で表すとすごく難しい
(それくらい遠い・・存在すら知られていない可能性も)
本家のおじさんとか初対面だけど
少なくとも同じ福地さんです
裏側はビニールハウス群
本家のおじさんが陽気に案内してくれる
好物のミニトマトを栽培中
トマト狩りをさせてもらう
品種はルビー
大きくて甘くておいしい
時期的に稲刈り
ほとんど刈られている所が多いけど、ここは黄金の絨毯

ちなみに、新米の時期になるのだけれども
福島は全量全袋放射能検査という途方もない検査をするため
出荷までの過程でだいぶ時間がかかってしまう

こんなにたわわに実った新米も市場に出回るのはかなり先になってしまう
新米の時期は日本全国だいたい同じくらいのタイミングだけれど
この地域間での物理的な出荷の時間差は、農家にとってすごい不利になるのだろうなと思う
 










2015/10/10

"O"は必要なのではないだろうか

作品です
久々に国立近代美術館と工芸館に行った

工芸館は、企画展で栗木達介
美術館は、所蔵作品展で藤田嗣治(企画展は見ていない)

企画展
栗木達介展
藤田嗣治、全所蔵作品展

藤田嗣治の戦争画を見たことがなかったのだが
全14点あった

以前も述べたけど、戦争画なんてもってのほかで、私にとっては怖い絵である

でも、藤田の戦争画は、なんだろう・・・
絵の中の人物は、みな当時の軍服を着て、凄惨な戦いの状況のはずなのに
ヨーロッパの美術館で観た圧倒的な宗教画や歴史画を見ている錯覚をおこす

いや、錯覚じゃなくて、
実際、踏襲していたみたいだった

軍部依頼の戦意向上の為の戦争画というよりは、追及しすぎたリアリティーは、通り越して、なんだか別次元の聖戦の様相を呈していた


あまりの圧倒的な迫力に、絵を前にしばし動けなくなる

戦争画の後に、晩年の絵として『動物宴』があったのだが、絵の繊細なかわいさ(少しグロテスクかな)もさることながら、その木額に自分でレリーフを彫った様ですごいかわいいのでお見逃しなく
 
余談だが、
藤田嗣治は、アルファベットだと″Fujita″ではなくフランス語綴りの″Foujita″としている

私の場合は、″Fukuchi″になるのだけど、これは英語圏でもっとも下品な言葉のFワードに綴りがすごく似ている
カナダにいる時に、名前のスペルを聞かれて、絶句された事があった

なので、私も″Foukuchi″にしようかな
ちょっとだけ紛らわせることができるんじゃないかと思うのは、気のせいだろうか・・・



その後、オリドさんの展示を見に、これまた久しぶりの目白へ

ついでなので、かいじゅう屋へ

開店5分後くらいに着く
かいじゅう屋とは、店が開いてる時間がものすごい短い人気のパン屋
味見程度に買おうと思っていたのだが、湯気のあがるパンを目の前にしたら全部食べてみたくなり
ほぼ、そこに出ていた種類を全部買ってしまった・・・
ちなみに、開店直後だけどやはり並んでいました



オリドさんの展示は、作品の雰囲気が少し変わっていたが、やはりとても良かった
またしても手ぶら(作品の写真など持ち合わせなく)だったのだけど、ギャラリーでオーナーさんなどにも紹介していただき
ついでにそのギャラリーで、美術業界の狭さを思い知らされ(大概において知り合いの知り合いは、知合いです)
そして、いつものことながら、私のグダグダな作家っぷりに、諭され(あきれられ?)ましたが

オリドさんには励まされました 笑

とても良いので、個展17日までやっていますよ、ぜひ。
http://g-ruevent.com/ruevent-Ⅱ/

2015/10/08

秋の夜長に短い読書感想文Ⅱ

夏に引き続き、読んだ小説の覚書
一部短くもないものも含まれる…


●『思い出を切りぬくとき』 萩尾望都
(2015年10月 エッセイ)
 
名前だけはよく存じ上げていた萩尾望都さん。一度読みたいとずっと思っていたが、親の教育上(?)漫画と無縁の幼少期を過ごしたため、漫画は友達に借りるもので、買うという感覚が全くなく、読む機会がなかった。
たまたま目に入ったこのエッセイに手を伸ばしたのは本当に偶然で、これを読んだら、無性に彼女の漫画が読みたくなってしまった。作品を知らないから、彼女を崇拝する人たちとは全く別次元の無知な状態から、共感できる部分が其処此処に転がっていて、かなり親しみを持って読んでいた。そういったてらいのない文章をかく人なのだと思う。

常々自分の頭の固さとクソ真面目さに辟易するだけれども、この間ギャラリーのオーナーとの話を思い出した。歳を召された方で現役で創作をされている人の頭の軟らかさときたら、少年の様だ評していた。それを聞いて、自らの短命を悟りながら、自分の中に居座る鈍色の硬い物体を想像して、20代までの瑞瑞しく透明で尖っていた青臭い感覚を恨めしく思った。生きやすさと感受性というものは反比例するのだと思う。

この本は、漫画家生活40周年を記念して20代の頃のエッセイをまとめたものなのだが、そこに寄せた現在(といっても1998年当時)の彼女のあとがきに

「さて、このエッセイをむかし書いた"私"は、読者から見れば"他者"ですが、二十年後の私から見ても"他者"です。その人はなんだか頭でっかちで気取り屋で、みみっちく子供っぽく、トゲトゲしています。ただ今も解るのは、その人は読者との距離の取り方がどうも上手くなく、やはり無防備に甘えながら、その実怖がって用心していて、近付いたり遠ざかったりしてそのエッセイを書いているカンジがします。では今の私はというと、実はあんまり変わっていないので困ったものです。(本文より)」

一昔前だと、そういう姿を公にして比較なんぞできるのは、著名人の特権だった気がするが、今や、ブログやその他SNSなど電子の中に誰でもがあけっぴろげにさらしている。感覚の麻痺もあるが、時々しか書いていない5年未満のこのブログでさえ、読み返して少なからず思う所がある。もし10代から日記でも付けていたのなら、今になって読み返して青くなったり赤くなったりしながらも、やっぱり変わらないなと感じるのかなと少しもったいなく思った。

60代を迎え今もなお現役の萩尾さんはやっぱりすごい。
彼女の場合は天才(本文からだと天才などはいなくて、天才とは偉大な努力家のことらしい)と言われているが、ここまで続けてきたということ自体が、もっとも価値のあることだと思う。





●『トーマの心臓』 萩尾望都
(2015年10月 漫画)

 そんな訳で、初期の代表作をさっそく読んでみた。
一回通読して、その直後もう一回再読した。
すると、見えなかった部分も見えてきた。
何よりも冒頭の詩から、受ける印象がガラリと変わる。

これは…、なるほどね。
多くの人がバイブルとしているのが理解できる。
もしかしたら、キリスト教の教えや精神を理解できないと、かなり難解になってしまうのかもしれない。もちろん私はクリスチャンではないが、倫理で学んだ程度のつたない一般常識でいうところのキリスト教の軸にある"罪・愛(アガペー)・赦し"なのだろう。
私がどうこう一方的に感想述べても、つまらないだろうから、読んだ人と話してみたいかな。

しかし、これ、それこそ10代とかで読んでいたら、どっぷりハマってしまって、かなり引きずってしまいそうだなと思った。
自分が生れる前に描かれた漫画だけに、今になって読んだ方がよかったのか、10代で読んでいればよかったのか、ちょっと感慨深い。今更だけれども。

「どうして
お父さん
神さまは―
そんなさびしいものに
人間をおつくりになったの?
ひとりでは
生きていけないように(本文より)」





●『銀の船と青い海』 萩尾望都
(2015年10月 短編小説)

続けざまですが、ちょうど見つけたので、ね。
これは短編小説と詩と画集みたいな感じですが、素晴らしい珠玉の童話集です。とても良かった。
大人というよりも子供にも読んでもらいたい。一編が短いので、すぐに読めてしまうのだけれど、もったいないから少しずつを読んだ方がいいと思う。
ちなみ『トーマの心臓』とちょうど同時期あたりの1974~8年あたりの短編をまとめた様。『トーマ~』でも思ったけど、一見古そうな画風の気がしますが、とても魅力的で丁寧な絵を描くと思う。でも、今の少女マンガに慣れた10~20代の子にしたら、古く感じるのかな…人物とか描き方が全然違うしな。
この本の前半に入っているカラー絵は本当に綺麗。

ちなみに『11人いる!』(漫画)も見つけたので、これも後日読もうと思う。(笑)


「白いお花が咲いている」と、悦ちゃんは、枝々にむすんである、おみくじを見ていった。
「お願いごとを、むすぶのよ」とわたしは教えた。
―(中略)―
悦ちゃんはふと、「どこへゆくの」といった。
「何が」
「木にお花がほんとうに咲いたら、お願いごとのお花はどこにゆくの」おみくじは白く光っていた。どこへゆくのか、わたしは知らない。 (本文より)





●『エコノミカル・パレス』 角田光代
(2015年10月初旬 再読)

当時20代前半で読んだこの本は、未来予想に暗い蔭を植え付けた。
じんわりとした負のスパイラルは、留まる事を知らずに、加速するわけでもなくただ着々と続いていき、ぼんやりとした不安や恐怖はうっすらとした焦燥感を産み、下腹部あたりに滓の様にたまっていく。こうなりたくないと10年前に思いながら、結局この主人公と同い年になった今の自分とは、何が変わらないのだろうかと思い、怖いもの見たさで再読してしまった。

はっきりいってここまで内臓に負担のかかる小説は無い。

俯瞰した文体で未来の見えずらい生活をかいているので、吐き気のする不快感や恐怖というよりも、ゆっくりと徐々に沈殿していく泥の様。
角ちゃん(作者)の初期によくあったフリーター文学で、彼ら(フリーター)のとどのつまりを書いている。

今の10代20代は、あまり海外に興味がないらしいが、私が10~20代の時はバックパッカーブームだった、東南アジアの安宿は日本人があふれていたという。現在の国内から出ない若者たちに苦言をする大人もいるが、我々の世代の自分探しや自由を求めて定職に就かずに長期間旅をしてまわっていた者たちが、その10年後の今、見つからなかった自分を抱えて果たしてどうなっているのかと考えると、この小説のあまりのリアル感に戦慄を覚える。

「あの日々を自由と呼ぶのなら、今現在、お好み焼きの材料をそろえるのに三軒ほどの商店をぐるぐるまわって値段をたしかめているこの不自由な状況は、その自由から派生したことになる(本文から)」

たぶん、この本を読んでから、なお一層、ちゃんと就職して給料をもらって働く多くの人たちを切実に羨望の眼差しで見るようになった気がする。
この小説に何も感じない人が、もしいるとするならば、その人こそが、自分の目指すべき未来だったのかもしれないなと、ぼんやりと思ってしまう。

「どのように割に合わなくても、どのように仕事が減っても、決して雑文書きの仕事はやめまい、とつよく決意する(本文から)」というくだりは、呪詛の言葉にしか聞こえない。

去年出た『最貧困女子』というルポルタージュの新書が話題になったが(自分の中でだけかな?)、貧困がためにセックスワーク(その中でも最下層の仕事)で稼がざるを得ない女性たちの救い様のない実態が取り上げられている、こちらは怖すぎて手に取ることすら出来なかったのだが、誰もが未来など思い通りには出来ない、でも少なくとも困難を回避できる"かもしれない未来"のために備えることはある気もする(それでも、落ちる時は落ちるけれども)。

「ブラジャーとパンツだけ身につけて、全身鏡の前に立つ。ブラジャーはレースがほつれているし、パンツは色あせているが、それらのくたびれた下着は私の裸体によく似合っている。
胸の下からパンツのゴム部分にかけての胴部分にくびれがまったくなく、布地をまとったように肉がだぶつき、長いこと陽の光にさらしていないために不自然なくらい白い。
腕を広げてみると二の腕の肉が重力の法則に従って床に垂直にたれる。―(中略)―全体的に肌にはりがない。洟をかんでまるめたまま長いあいだ放置されたティッシュみたいに、ただ白く、しなびた感すらある。醜い。―(本文から)」

話からのダメージはさておき、本当に、上手い書き方をすると思う。だからこの人の本は、読んでしまうのだけれども。
 

2015/10/02

中山うりライブ当日 HASAMI 5

あまりに当日の写真がなくひどすぎるということで
渉さんからダメ出し(?)で写真が送られてきた 
 
ので、ライブ当日の様子です


夕方になり、もうすぐライブ
スタンバイ

お客さんが続々と

満員御礼
もつ煮Doooooooon!!

これ用のかなめちゃん作のかわいいハンコも押してある
凝ってます
cafeのムック(monne legui mooks)のスタッフによる
ドリンクバーカウンター

ムーア、そういえば、あの時どこにいたんだろう・・・
子守をしながら、準備準備
母親はすごいな~

外にもテーブルあります


ムーア、狙う

ビクターの犬みたい
かわいい
 
 
ライブスタート
 
 
舞台の雰囲気が変わる
 
 実は5,6年前から
一回ライブで聞いてみたかった
中山うり
 
やはりとてもよかった

ムックスタッフ
おつかれさまでーす


2015.9.24
中山うりlive
in ながせ陶房

スタッフ一同