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2018/08/07

村上さんの35歳問題と冒険者たち

さて、また前回の続きだが、
轆轤をしながら、いつもの国際政治解説(ネット)を見ていたら、韓国経済学者の浅羽先生が話題にしていた村上春樹がこだわっていた”35歳問題”。
気になり調べてみると、…あったな、そんな話。
35歳より半分以下の歳で読んだ村上春樹の短編”プールサイド”に出てきていた。人生の折り返し地点を認識した中年の悲哀に、何だかわからずも胃に強い圧迫を感じた遠い記憶がよみがえる。(いや、相変わらず話の内容はあまり覚えてないのですが…やれやれ)
”35歳になった春、彼は自分が既に人生の折りかえし点を曲がってしまったことを確認した”(文中より)
“プールサイド”に出てくる”彼”は、やりがいのある仕事、社会的地位、高い収入、美しい妻、健康な肉体、かっこいい車、若い恋人…公私共に順風満帆な生活を送る元水泳選手。
彼は、35歳をプールで言う所のターンする地点、つまりは人生の折り返し地点と決めていた。
そして、全てを手に入れている35歳の誕生日を迎えた日曜日の朝、アイロンがけをする5歳下の妻を見て、ラジオから流れるビリー・ジョエルの唄を聞きながら何故か10分間だけ涙する。
”もし水泳競技にターンがなく、距離表示もなかったとしたら、400メートルを全力で泳ぎきるという作業は救いのない暗黒の地獄であるにちがいない。ターンがあればこそ彼はその400メートルをふたつの部分に区切ることができるのだ。<これで少なくとも半分は済んだ>と彼は思う。次にその200をまた半分に区切る。<これで3/4は済んだ>。そしてまた半分・・・・・。という具合に長い道のりはどんどん細分化されていく。距離の細分化にあわせて、意志もまた細分化される。つまり<とにかくこの次の5メートルを泳いでしまおう>ということだ。(中略)そのように考えればこそ、彼は水の中であるときは嘔吐し、肉を痙攣させながらも最後の50メートルを全力で泳ぎきることができたのだ。”(文中より)
村上さんがこの短編を連載していたのは34歳くらいの時だと思う。
概要はわかったし、なんとなく覚えている。それに、この短編を話題にしている人が多い(検索すればすぐに出る)。だけど、この”10分間の涙”の詳細な訳がはっきり思い出せない。(私が話の内容を覚えていないから悪いのだけれど…)
『老い』という抗しがたい力への不安からとか、すべてを手に入れ、これ以上何を求めるべきか分からなくなったから泣いたとか…
浅羽先生が、話題にしたのはたしか、35歳を過ぎたあたりで『できたかもしれなかった』という仮定法過去の総和が、『過去の記憶や未来の夢(直説法過去・直説法未来)』の総和を上回ることで悩ませだすという人生観の問題を言っていた。どんな成功を収めている人間であっても、人は過去の亡霊(タラレバの世界)に捕われて生きていくことになるという。
これは、臨床心理用語にある『ミッドライフ・クライシス(中年の危機)』の事だと思う。
別の名で『中年ブルー/中年の思春期』…仮定法過去の亡霊以外にも、たとえば今まで価値があったものに対して価値を見いだせなくなったり、今までの生き方に関心を失い始めたり、あるいは、突然、原因不明の身体的症状に悩まされたりすることで起こる。
しかも30代~40代(50代)において半数以上の人が多かれ少なかれ経験しているという。ひどいと鬱病やアルコールやドラッグ、セックスなどの依存症になったりもする。
非常にわかりやすい特徴があったのでここに引用しておく(男性だけで申し訳ないが…)
男性は、急にジムに通いはじめて体を鍛える、若い女性との不倫や遊び相手を探す、といった性的な行動に走りやすい傾向が高い。
また、以下のような症状も『ミッドライフ・クライシス』にあてはまるらしい
・アンチエイジングに興味をもつ、髪型を頻繁に変える
・転職や起業、独立を考えている
・新しいスポーツや珍しい競技をはじめる
・海外に滞在したいと考える
・最新のガジェットを常に追いかける
・同窓会や社会人サークルを主催するようになった
・Facebook、Twitterを始めた
村上さんは同じように、”遠い太鼓”というエッセイで
”40歳というのはひとつの大きな転換点であって、それは何かを取り、何かをあとに置いていくことなのだ、と。そして、その精神的な組み換えが終わってしまったあとでは、好むと好まざるとにかかわらず、もうあともどりはできない。(中略)それは前にしか進まない歯車なのだ。僕は漠然とそう感じていた。(中略)だからこそそうなるまえに、――僕の中で精神的な組み換えが行われてしまう前に――、何かひとつ仕事をして残しておきたかった”(文中より)
34歳から始まった『ミッドライフ・クライシス』に蹴りをつける形で、37歳でヨーロッパ移住を思い至り、そこで”ノルウェイの森”を書き上げるという、お手本のような人生を送っている。
英ガーディアンや米ワシントンポストによると、他の年代よりも、『ミッドライフ・クライシス』の年代の人たちの幸福度と満足度が低いことを報じている。生活満足度と年齢の関係を示す下記のグラフはU字曲線を描いている。これは、ゴリラ、チンパンジー、オランウータンなどの大型類人猿でも同様のU字曲線になっているという。
↑『51カ国(欧米)の無作為で選んだ130万人を対象に約20歳~90歳までの心理的幸福感を7つのデータセットをもとに調査したグラフ(The Washington Postより)』
欧米男性の『ミッドライフ・クライシス』的三大症状を挙げると、2シーターのスポーツカー、オートバイ、愛人(離婚に発展する場合も)らしい。ちなみに村上さんの車も2シーターのオープンカーだそう。
『ミッドライフ・クライシス』について、ポジティブな記述もネットにあった。
“この時期に問題や症状が生じたら、それは新しい自己実現のための病だと考えられるのです。これに直面しないでいる限り、その問題なり症状なりに、悩まされ続けることになりますが、勇気を持って立ち向かい、これを乗り越えると、それは新しい可能性や創造性への飛躍につながります。したがって、「中年の危機」は意義深い停滞と言えますし、またこの危機はきわめて「正常」なものであるとさえ言えます。
ユングが1929年に研究所での講義中に次のように言った記録が残っています。「年をとれば、自分自身や世界などの両義性を知ることがきわめて重要になってきます。疑うことは知恵の始まりです。人生の価値を疑い始めることはきわめて重要であり、そうして世界の錯綜から自らを解放することができるようになるのです。若い人たちは疑いの中で生きることができません。人生に対して深刻な疑いをもてば、世界に入っていけなくなります。しかし成熟した人は世界からもっと分離すべきです。人生の半ばをすぎれば、それは完全に正常なことです。」
エレンベルガーという精神科医は、フロイトやユングなどの深層心理学者の人生を調べ、「創造の病(creative illness)」という考えを提唱しました。偉大な創造的な仕事をした人は、中年において重い病的体験をし、それを克服した後に創造活動が展開されるというのです。この考えは、他の学者によっても多くの跡づけがなされ、中年における身体的病気や思いがけない事件などもそのような意味を持つことが明らかにされました。
この「危機」を乗り越えようとする過程で多くの人が体験することのイメージとして、「夜の海の航海(night sea journey)」があります。心が暗闇の中にあって、出口の光が見えず長らく低迷する状態です。しかし、航海がそうであるように、いつかは闇の世界から脱出する時が来ます。”(“分析心理ドットコム”より)
それに、ウォールストリートジャーナルでは、”中年時の心理的不安は現実とはならない場合の方が多いことを示す調査結果が増えている。”と報じている。”マサチューセッツ大学アマースト校で1965年から2006年までの大卒者450人以上を調査しているクロース・ホィットバーン教授(心理学)は「ミッドライフ・クライシスはよく言われることだが、それを裏付ける証拠はあまりないのが実態だ」と話す。”また、”コーネル大学(ニューヨーク州イサカ)のエレイン・ウェジントン教授(社会心理学)によると、当初の研究では、ミッドライフ・クライシスは成人の心理発展過程における予期できる1つの段階としてとらえられたが、人口バランスを考慮したグループを対象にした最近の研究は、その見方を大方否定するものになったという。”
↑「自分は幸せだ」と応えた米国人の比率、年齢別(The Wall Street Journalより)
ブランダイス大学のマージ―・ラフマン心理学教授の調査によると”人生は40代半ばから良くなる”という、”40代から60代の人間は「若い人間に比べて日々のストレスを上手く管理する手立てと経験を持っている」”ので、”「対応能力のチャンピオン世代だ」”であるため、”人生の満足度は40代から50代にかけて急上昇し、さらに50代から60代にかけ再び上昇する。”のだそうだ。
”「新たな自由と可能性」”がある”中年は「人生の驚くほどの前向きな時間だ」”と締めている。
“プールサイド”を読んでから20年近くたって、実際、その歳になっても、何も感じなかった。
平均値にすら至ってないからなのか、燃え尽き症候群になることもないのかもしれない。それに、我々の世代は逆に、折り返す前の方がずっと生きづらかった人の方が多いのではないのかな。
老婆心で、いま生きづらいと感じている若い人に会うと、大丈夫だよ、少なくとも30代は、今よりずっと楽になるからと言いたくなる。
欧米と日本は少し違うと思う。例えば、平成20年度の『国民生活白書』(下記のグラフ)によると、”(日本での)推計ではU字型にはなっておらず、67歳を底にして79歳にかけて幸福度はほとんど高まらないL字に近い形状を取っており、アメリカの結果と比べても我が国は特異と言える。”らしい。
でもこれも、時代背景や世代によってずいぶん違うと思う。今は、もしかしたら山型になっているかもしれないし…
それにはじめに添付したワシントンポストの幸福度U字曲線グラフも、2015年のガーディアンの記事によれば、すべての国に当てはまるものではなく、”旧ソ連や東欧諸国(アルバニア、ブルガリア、リトアニア、ロシアなど)では、子供の幸福は西よりも著しく低く、年齢とともに着実に低下しているし、ラテンアメリカとカリブ海での生活満足度は、幼い頃はかなり高く(西よりも低いが)、そこから再び悪化するし、アンゴラ、カメルーン、エチオピアなどのサハラ以南のアフリカ諸国では、人生全般にわたって低いままだという。”
なんか、すごく長くなってしまったな…。こういうところが、オタク傾向が強いんだろうな…。
35歳問題というものは、まだわからないが、年齢的な区切りはなんとなくある気がする。例えば、24歳とか32歳とか、自分の感覚の変化に戸惑った記憶がある(いや、戸惑ったなんて生易しいものではなく、愕然とした)。日本人だと、精神的にも肉体的にも変化があるのが、だいたい厄年になるというのもよく聞く。
浅羽先生が、イズムィコ先生(35)にその話題をふった時に”フリーランス、40歳の壁”という本の話をしていた…それも、『ミッドライフ・クライシス』にあたるんだろうし、女性だと更年期障害もその一部に入るのだろうな。それを思うと、上手に乗り切った村上さん(69)をお手本にしたら、一番いいのではないだろうか。
村上春樹といえば、面白い漫画のツイートを見つけた。
第一弾~第三弾まであります↓↓




5日に、TOKYO-FMで『村上RADIO』なる村上春樹がラジオDJをする番組があった。radikoのタイムフリー機能で、昨日、聞いていたのだが、走るのによい音楽をいくつか選曲していた。
”走るときに適した音楽は何かというと「むずしい音楽はだめ」ということですよね。リズムが途中で変わるとすごく走りにくいから一貫したリズムで、できればシンプルなリズムのほうがいい。メロディがすらっと口ずさめて、できることなら勇気を分け与えてくれるような音楽が理想的です。たとえば、そう、こういうのを聴いてみてください。【選曲♪Brian Wilson”Heigh-Ho / Whistle While You Work / Yo Ho (A Pirate's Life for Me)”】”(村上RADIOより)
それを聴いて、モンクをiPodで聴きながら島でペンキ塗りをしていたことを思い出した。ペンキ塗りとJAZZもなかなか相性がいい。走るのと似ているのかな。まだ来ぬ『ミッドライフ・クライシス』予防に走ろうかな。。。いや、ペンキを塗ろうかな。
どうでもいいけど、村上春樹の小説には、ユング的な思想がしょっちゅう出てくる気がする。興味を持て学んだこともないのでユングを否定も肯定もしないが、少なくともユングもフロイトもアドラーも真偽のほどはわからないが多くの人が関心を持つことで、行動様式の総体にはなりうると思う。マインドコントロールに近いけど。

2018/04/09

おともだちとは、なんですか?

小学生の時に、"道徳"の授業で50代くらいの男性教諭に

"女の友情は、軽薄だが
男の友情は、一生だ"

と言われて、衝撃を受けて、未だに頭をよぎる

よわい10歳にして、自分の性を悔やんだ

今となれば、性別差ではなく、個体差なんだと思いたいのだけれど
実際はよくわからない…自分しかわからないし、一生"の長さもあいまいだし…

というか、道徳の時間に、とんだミソジニー発言だが…
今となっては、軽く呪いである。


実際のところ、どうなんだろう…と

まずは、ネットで検索

すると、"男の友情"は、歌まであるのに、
"女の友情"は、食品ラップより薄いと…

……えっ…と……
そもそも、食品ラップ並みの友情"って友達なのだろうか

たしかに、今まで生きてきて散々周りの話を聞いてきたから、
そりゃ、こ…こわいよ…って思ったこともあるが、
それってだいたい友達って言える関係を構築していないでしょ、って心の中で思っていた…

しかし、そうであっても、
このあたかも常識みたい囁かれる男女比からなる厚薄差は、単なる妄想と理想だと思う
だってお互いにならないとわからないから、元から比べられないと思うのだけど

食品ラップを友人と呼べるのかが、もはやわからないのだけれど、 普通に固い友情の人もいると思う


とか考えていたら、
数少ない友人から、メールで"友人についての見解"が、タイミングよく急に来て

なんか、悩んでるのかと思っていたら、普通に漠然と私みたいに考えていたみたいで

で、友人は、「友情とは尊敬とか興味がないと長くは続かないのではないか」と言って、
私は、むしろ「共感性ではないか」という話になった

たぶん、尊敬がないと下僕だし、興味がないとそもそも接点がない、その上、共感性がないと長くは続かないので、我々の見解は、ある種一理あると思うのですが、いかがでしょうか

私は、性別差はないと思うけれど…思いたいのだけど、
でももし…もしも、友情の厚さに男女差があるのならば、
それって、すごいハンディキャップじゃないですか?
手当とか欲しいレベルなんですが…

ただ、1つ言えるのは、女の人は、私生活のライフステージとホルモンの変化で性質が変わりやすいのかもしれないとは思う

子が、娘になり、女になり、妻になり、母になり、守護霊になり、地縛霊になり、精霊(妖怪)になる…

性質が変わると、価値観も多少変わるから、そうなると、今までの打てば響くような共感性がなくなり、不満に感じて、「最近なんか違う…」って、離れていくパターンをよく見かける

だから、大概、結婚して、子供ができると、今まで付き合っていた独身の友達がサーッと消えていったりする

男の人も、近年ではそうなのかな

話題が、家庭(家族や子供)以外にあったり、愚痴や悩みをきいてもらうだけじゃなく、趣味が同じだったりしたら、
昔からの友達も長く続くと思う

あと、ライフステージごとに新たな友達もできるし

先日、大学時代の個性的すぎる同級生が、ママ友の話をしていたから、
あまりにびっくりして、「他のママ友と同じような感じにちゃんと話せてるの?超辛口にバッサリ両断の塩対応とかしたりして、ひかれてない?」って
むしろ、ちゃんとうまくやっているか、私の方がかなり心配して聞いてしまった。

しかし、ライフステージで疎遠になった友達も、精霊(妖怪)になったあたりでまた連絡すれば良いと思う、
だって友達だもの。

私は、そんなに短いスパンで友情を考えていないから、長すぎる人生の中でくっついて離れてみたいに数年単位や数十年単位とかで考えているんだけど…
みんな違うのかな…
この価値観がそもそも違うと、付き合いがすでに破断しているのか…なんかパラドックスみたい…

隣の芝が青く見えるのが、結局は冒頭の呪い"の真理なんだと思う
女性作家が書く男の友情は、やたらとねちっこいのは、憧れが生み出す妄想だと思うし
男性が揶揄する女の友情の浅さやドロドロさもまた、優越感が生み出す幻想な気がする

しかし、学生の頃は、
実際に私は性別学上の男に生まれなくて、本当によかったと思ったことが何回かある
それは、同性からの理不尽な因縁やカーストが”力“任せに起こること
あと、異性のあからさまな容赦ない蔑みが、私なら耐えられない
私がもし男の子だったら、確実に同性にカツアゲされ、異性にキモイと蔑まれゴミを見る目で避けられていた気がするし
あ、女の子同士でもカツアゲとかあり得るのか…なくてよかった…

ちょっと呪い"の真相への研究欲が出てきたけれど
いや…でも、
真実は知りたくないし、知らなくていいことな気がする
希望的結論は、ともだちの厚薄は、性別差ではなく個体差だと思います。
そもそも、今の時代、性別差で考えること自体おかしいのか
それに、友達って概念や付き合い方が人それぞれだし…

あ、でも、国民性(国別)差はあると思うんだけど…これも幻想なのかな…

久しぶりに会った大学の同期が、
「私…友達いないからさ…」と私と同じようなことを言っていて、
何?美大って友達作るのが下手な人が多いのかなぁ…とちょっと思ってしまった

たしかに、大学(デザイン系は除く)関係者は、友達が多い人をあまり見かけない気がする…気のせいかな

※ちなみ上記はすべて同性同士の友情を中心に述べています

これまた私の幻想かもしれないが、
精霊になったあたりの友情関係は、男性より女性の方が厚い気がする。
もう、容姿の美醜も、パートナーの優劣も、関係なくなり
恋心も琥珀(化石)となり
はりあったり、比べなければならないものがどんどん少なくなり
人生の酸いも甘いも思い知った時に
寄り添えるぬくもりが普通ではなく特別だったと気づくのかもしれない

そして、男性より女性の方が長生きだからね、これだけは仕方ないのです。

2015/03/26

ホントウノ

ある人が、その時に私に話した話が
未だに、真偽のほどはわからないが
もし仮に、ウソだったとして、
どんな意味があって他愛のない作り話をしたのかよくわからないし
それを、初対面に近く、その時にたまたま居合わせた私に話す必要があったのかよくわからない

単なる暇つぶしにしては、やたら詳しくて、面白かったし

唐突な話だったから、眠気覚ましにするには、ちょうどよかった

それがものすごく詳細かつ鮮明なもので、にわかに信じ難くもある内容な気がしたが、知る限りでは辻褄が合うし
なにより、調べようがないことだったから
"本当だ"と私が信じてしまえば、まことの話となるのだろう

誰も傷つかないウソで、尚且つ、誰も喜びもしない話で、
変哲もないその時間に色彩が出るのなら、それは、面白い小説と同じであると思う

その日は、交代で寝ずの番をしなければならずに
20歳くらいは上の人と二人で火の前で暖をとっていた
 
はじめは他愛もない話をしていた
少し飲んでいたので、普段はさほど話さない人だったが、その夜は舌が滑らかで、ポツポツとだが途切れることなく話していた

どんな話の続きだったか忘れたが
自分は大してパッとしない人生を送っているが、自分に関わった人がものすごく有名になっているという話になった。
はじめは、よくある類の話だと思っていたが、あまりに内容が込み入りすぎていて、聞いているうちににわかに作り話とも思えなくなった


彼は年若い時に、幼馴染の女の子と恋に落ち、お付き合いをした
だが、歳の若さもあり、ある事情から別れなければならず、そのまま疎遠になってしまった。
だが、彼女は彼の子を身籠っていて、若い身空で男の子を産んだ。
 
彼女にはお嫁に行ったお姉さんがいて、姉夫婦にはすでに子供もいたので、彼女は年若い未婚では育てられないと姉に養子として引き取ってもらうことにした。
 
彼が、子供のことを知ったのは産む直前だったのだが、その時に一度彼女に偶然会っていた。
彼はまだ経済力もなく、やりたいことが夢半ばの時期だった
 
彼女は認知はしなくてよいとキッパリと告げたが、名前だけは付けてくれと頼んだ。
彼は名前を考え、そして、もし覚えていたらと、ひとつ息子にやらせて欲しいことがあると何気なく頼んだものがある。それは、彼の趣味でもあった。

彼女は、産まれてきた子にその名をつけて、育ての親となる姉夫婦にそのことを告げたのだろう。

その何年か後、彼女の姉夫婦は、引っ越してしまい、成長の過程を知る由もなかったのだが

約束を律儀に果たしてくれていたとわかったのは、ある世界でその子の名前を見たときだったそうだ。
あの時、道端で話した小さな約束を十数年後にみたのだ


…私の記憶をたどり、かいつまむとこんな感じである
(内容は一部ぼやかしています)

その少し前に、本でその世界の話を読んでいたこともあり、合いの手を入れる私に、彼は、よく知っているね、と嬉しそうに話してくれた

顔も言われてみれば、似ている気もする…いや、歳をとった今などかなり似ている…が、作り話にできる話でもある
だがもし、それが作り話だったとして、なぜこんなにも詳しく話したのだろうか、と少し可笑しくなった

この話ともう一つ、その人は、真実っぽい作り話(本当の話?)をしてくれたのだが
友人の作家が、ネタに困っていた時に、自分の破天荒な叔父さんの話を何気なく提供したのだそうだ
それが、今や有名な主人公のモデルとなったそうな
たしかに、作家と同年代だし、そのモデルについては、進言さてれいない

いまや、ネットでなんでも調べることができる時代だからこそ、
調べようのないところをうまくついて作り話をするのは至難の技である
だから真実の話であることよりも、これが作り話のほうが、
ネットをかいくぐり、そんなことが可能なんだと、なんだかむしろ感心してしまった
ウソマコトに関わらず、話が上手い人に会うと、尊敬してしまう
特に、自分の話をするのが上手い人は、本当にすごいと思う

彼がもし詐欺師だったら、完全に騙されているだろう
だが、詐欺師でもなんでもなく、喋りともまったく関係ない職業の人だということは周知だったのでよかった
そもそも、騙されたところで自分に被害さえない

だが、この話は、あの話していた空気感のままによく思い出す
遠くで鹿の鳴き声がして、辺りは真っ暗だった。
静まり返る山は黒く大きく背後に迫り、広大な自然の中にいるにも関わらず、灯りの届く四畳くらいの範囲だけが、周囲から隔離された空間のように感じた

私は、話好きな人だとよく思われがちだが、実際は、話を聞くのはすごく好きだけど、話をするのはものすごく苦手で、特に自分の話をするのが大の苦手である

話さず文字におこすのが好きだから、きっと典型的な現代っ子なんだろう

この記事の写真がないから、
姉にたかってご馳走になった鹿児島&佐賀牛のハンバーグ&ステーキセット
の写真を自慢げに載せてみる


2015/03/20

あれから、20年

 
地下鉄サリン事件、オウム真理教強制捜査から、20年も経ったということに、かなり驚く
ということは、あの事件を知らない世代がハタチを迎えたことになるわけだ
すごく不思議である。

思春期だった私は、テレビの前で、得体の知れない恐怖と同時に理解できない存在への好奇心で釘づけだった。
 


昨日もチュニジアでの悲しいテロ事件があったばかりで、
今やテロへの意識は、よその国の出来事だけでは片付けられなくなったが、まだどこかで意識が薄い
20年前は、なおのことだ
宗教とテロに疎いこの国で、この事件はかなりの衝撃だったはずである。

 
95年は、阪神淡路大震災(1/17)、オウム事件があった、
景気はどんどん悪くなっていき、なんだか先が全く見えない気がした
急に色んな事が変わっていく気がしたし、変わらなければならないと感じた

4年前の地震の時と同じように。



オウム事件がおこる数年前から、
今でも良く覚えているが、

"守護霊"や"死後の世界"など、不確かなものを媒体としたものをよくテレビ番組で扱っていて、
宜保愛子や丹波哲郎が、いろんな番組に出ていた
心霊現象やUFO、宇宙人などといった番組もたくさんやっていた
 
また、よく新興宗教もとりあげられていた
芸能人が新興宗教の広報担当だったり、マスコミ関係者に信者がいたこともあったのかもしれない
オウム以外にも、いくつかある宗教がクローズアップされていた。
宗教に疎い国民な分、物珍しかったのかもしれない
コメンテーターよろしく顔出す宗教幹部たちは、テレビ画面で不思議な構図に見えた。
 
だが、オウム事件後は、自主規制が入り、すべての心霊番組なども忽然と姿を消した
この時はじめてサブリミナル効果という言葉を知った


ずっと、事件前の番組だと思ていたのだが、
占い師や霊媒師を使い超能力捜査で未解決事件や行方不明人、家出人を捜すなどの番組もあった
あるものは、白眼を剥いた腹話術の人形の口をパクパクさせて、シャーマンとなり答える
あるものは、FBIの捜査協力をしているといい、通訳をつけて来日までしていた

ひどく不気味で怖かった
それになんだか違和感があり、気分が悪くなったのを覚えている
だが、これは2002年~2006年に放映されていたものだったらしい


 
自主規制していたメディアに
その手のバラエティ番組や著名人が増えはじめたのが、事件から約10年後だった
 
以前のようなおどろおどろしさよりも、きらびやかなリッチな雰囲気を前面に出した"スピリチュアル系"と呼ばれる人たちが出てきた
江原さんや細木さん(この人は占いか…)などお金持ちそうな人たちが台頭してくる
"スピリチュアル"や"前世"、"オーラ"という言葉がやたら画面で踊っていた

スピリチュアルという言葉は、その後、すごい勢いで日本で浸透したと思う
特に、20代から40代の女性を中心に、心のよりどころのようにさえ見えた
 
そのせいか、霊視や霊感商法が、問題視されるほど、流行り出した
宗教よりも手軽だし、疲れていたり悩みや迷いの多い現代人に、もっともつけ込みやすく儲かる商売であると(腹黒い私は)思ってしまう…

そして、現に、オウムしかり新興宗教の勧誘方法が正に、スピリチュアル商法と酷似していたりするので、宗教か否か見分けづらくもある

視聴者の意識やスピリチュアル商法の相談件数の急増と、オウム事件の前例もあり新聞報道や識者からの批判があり、マスコミによって作り出されたスピリチュアル系のブームは、またテレビから消えることとなる

実は、こんなに流行っていたのに、これらの番組を全く見ていなかったので、内容は詳しくは知らないのだが、
周りにスピリチュアル好きな人がやたらと多いので、なんとなくはわかる

他人の趣味や信仰については、なんとも思わないが
自分が興味なかったのは、このブームも名前を変えただけで、以前と何ら変わらないと思ったので、小さい頃に感じた違和感のまま、あまり好きではなかったのだと思う
(宗教に関しては、むしろ学術的に興味があるのだが)

 
2011年、東日本大震災があり、たくさんの方が悲しい想いをされた
多くの人が亡くなり、今も受け入れ難い現実と戦い続けている人が、たくさんいると思う
 
震災後は、魂というキーワードが取り上げられている気がする
地震後、お墓がなくなってしまった人やお参りに行けなくなってしまった人
また、ご遺体が見つからない遺族の方など、本当につらい思いをされていることだろう。
先祖信仰が強い国でもあるので、お墓を守り、供養することで、お墓が埋葬された魂との対面の場所のように、なんとなく考えている人が多い気がする。
それだからこそ、そういう事が叶わなくなってしまったことは、よりこたえるのだろう。

何年か前に大ヒットした歌の"千の風になって"では、魂はお墓などの一箇所にはおらず、自由に飛んでいたり、自分の近くにいたりというが、
この思想は、地震後の感覚に近い気がする。

伝統宗教者などの話によると、近親者をなくした方などから、霊体験をされたり、そのような相談をされることが増えたのだそうだ。
心のケアを最優先に考えた時に、霊や不可思議なものへ肯定とも否定ともつかない観点でケアしていくことが進められているそうだ

そういったこともあり、霊体験が学術的に研究され、それをメディアでも取り扱うようになった

ちょうどオウム事件以前と少し似ているが、今回は、識者や高齢層が中心になってこの分野を取り上げているらしい。



メディアとブームは、密接に関係している
マスコミは、不特定多数の人を簡単に扇動できてしまうのが、とても怖いと思う
だからこそ、こういった分野は取り扱いがとてもセンシティブなんだと思う

今日、事件から20年目を迎えたことにより、各局で、オウム事件を取り上げている
この報道を見て、事件以降に生まれた世代は何を思うだろうか
昔に起きた、奇怪な事件だと思うのだろうか

主犯格はほとんどが捕まっているにもかかわらず、この事件は謎が多く、刑の執行もされておらず、まだまだ未解決のままである
たくさんの被害者の方たちは、肉体的にも精神的にも未だに苦しんでいる

オウム事件は、とても恐ろしく、また、自分には興味深くもある
特集ニュースはつい追ってしまうし、事件関連の書籍も読んでしまう


被害者の方々のために、せめても事件ができるだけ早く解決することを心から祈ります
 



 

2012/02/24

ツルヲオル

銀座は休日並みに人が出ていた、春の陽気な上、給料日だからかな
コートを手にかけて歩く人が多かった
心持ち、みな一様に表情が明るかった

×××××

帰りの電車の中で、7.5㎝サイズの折り紙で鶴を何枚も折っている女の子がいた
折り紙の袋に『〇〇〇の分』と書いてあって、きっと彼女が担当する分なんだろう
丁寧な手つきで、角の方まで綺麗に折っていた

千羽鶴とは、何なんだろう・・・そもそもなんで折り鶴なんだ?

昔から、願掛けや見舞いに送るという慣習があるが、
その慣習の心遣いというか、趣旨は、とても素敵なことだと思う
誰かを想い、一つ一つに祈りを込めてせっせと折る
本当に慎み深い気遣いの精神の日本人らしい、素敵な慣習だ


2012/01/23

はびっと


帰りの満員電車の中、
ドアのすぐ横に立って、ジャンプを読んでいた同年代くらいの男の人に目がいった

無意識のうちに、鼻の頭に軽く皺を寄せるような仕草(鼻をすする様な仕草)を何度もやっていた

本当に無意識みたいで、マンガに集中している中、1分間に3、4回それをやっていた

気になって、ついつい何度も見てしまった

2012/01/21

負けたくない病

初の女性棋士が初段に昇進したというニュースが、先日流れていた

『初』という言葉に、
いやいや、プロの女流棋士は沢山いただろうと思うが
女流棋士と奨励会の女流棋士はちょっと違うらしい…なんだかややこしいな

この間、たまたま聞いていたラジオに出ていた高橋和さんも、女流棋士のお一人である

和さんは、子供たちに将棋を教えているという
負けて、将棋盤をひっくり返す子とかいませんか?っという質問に
悔しがる子は多いが、それはさすがにいないと笑って答えられていた

それを聞いて、よほど自分は負けず嫌いなんだろうと悟る

2012/01/12

男の子女の子


国勢調査によると、
人口の約半分は異性のはずである

統計的に見ても、
50歳以下は、女性より男性の方が人口の比率が多い

しかし、なんだか知らないが、周りにいる女の子は『ひとり』が多い

やく・とし



大学の授業で習ったのだが、
大厄の覚え方は

『散々(女33歳)死に(男42歳)そう』

その前後の年は前厄、後厄となる
つまりこの3年間が厄年と考えていいんじゃないかと思う
今年は、数え年で前厄にあたるのだが

出先で、厄落としの話になった

そこで聞いたのは、

2011/12/22

スカウト




数寄屋橋あたりを歩いていると
良く声を掛けられる

以前、銀座の地下鉄の改札口を出て、
阪急ビルから地上に上がるその間に2回、
地上へ出てから3回、
正味1時間もしないで計5回呼びとめられる


「占いを学んでいるのですが、手相を見せてもらってもいいですか?」


表参道や錦糸町では、誰にも声掛けられないのに‥

‥その話を友達にしたら、

「辛気臭い顔して歩いてるからだよ」 

と言われた‥



余計なお世話だ