2020/12/29

干支とふくねこ

 

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ピアスのオンライン販売の更新すっかり忘れて放置していたけど、
委託先から在庫が返ってきたから、干支ブローチを先に出してみました。
ヒツジは売り切れで無いです。
在庫数にかなりばらつきがあり、最後の1個というのもありますが…

種類によっては柄違い色違い犬種違いなどあります。

minneの使い方が未だに怪しいので、多分販売の載せかた間違っている気がするが…とりあえず。

https://minne.com/@a-fukuchi

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この人たちも返ってきたんだよな…

どうしよう…オンライン販売に載せてもあと在庫ちょっとだし…

気になる人いたら、DM下さい。

招き猫、フジさん、ダルマ

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2020/10/03

『えらびとりカード』とは、要はオラクルカードってことか…

『えらびとりカード』と初めて聞いた時、単なるネット社会の今どきの流行りかと思っていた。
しかし、ネットで調べていたら、もともと西日本を中心に昔から行われていた地域的風習『物取り』や『選び取り』からきていた。
選び取りとは、初めての誕生日(満1歳の誕生日)に行うもので、本来はカードではなく実際の物を使って、子供がつかみ取ったもので、未来を占うというもの。

ただ、ネットで色々調べていたが、発祥地域やいつから行われていたものかという、起源がはっきりしない…恵方巻みたいなものかな。

どうやら韓国に同じような伝統的風習がありトルチャンチ(トル=生まれて一年目になる日、チャンチ=祝賀)というらしく、こちらは結構起源がしっかり書かれているものがあったので、もしかしたらここから来たのではないかとも思った。

医学がまだ発達していない昔、乳幼児の死亡率が高かった。そのため、1年乗り越え新しい歳を迎えられた喜びを祝うイベントだそう。

トルチャンチの由来は、中国から伝わったと記録されていて、この風習は約250年前の絵にも描かれているらしい。

そのトルチャンチの中のメインイベントで行うのが、トルチャビ。
そのトルチャビが、選び取りとまったく同じ風習だった。

日本だと西日本の風習というのも、中国や韓国から伝わった説(私が勝手に思っているだけの説)を裏付けるのではないだろうか。

と、まーそんなことは置いといて、

選び取りとは本来は実際の物を使う。
子どもの前に、そろばん、お金、筆、箸などを並べて、つかみ取ったもので、将来を占うというもの。
本来は、性質や才能を占うものだが、最近では発展して職業を占うものもあった。
とにかく、物がカードに変わってからは、バリエーションがかなり増えていた。

しかし、職業だと、ちょっとつまらないし、際限ない気がした。
私が作るとそもそも職業がかなりかたよるし…

で、本来使われていた物(意味)と最近の時代の物とオリジナルを加えて10枚のカードにしてみた。

本来は物の名前にするべきだろうが、何枚かはそうじゃないものも…絵の中に文字入りにしている。

上段左から
Dictionary(辞書):学業優秀。文才。物知り。
Sports(運動):運動神経抜群。
Ruler(定規):几帳面。大きな家を建てる。
Food(食べ物):美食家。食べ物に困らない。
Big cheese(大物):動じない性格。大物の器。

下段左から
Music(音楽):音楽の才能。パフォーマンス能力。
Calculator(そろばん):計算が得意。商才がある。
Worldwide(世界規格):インターナショナル。世界に羽ばたく。
Art(アート):芸術の才能。センスの良さ。
Money(お金):お金に困らない。

昔からあるものは、辞書(本)・定規・食べ物(箸)・そろばん(計算機)・お金(財布)。
それに、最近のカードを見ていたら、
音楽・アート・運動・バルーン(世界に羽ばたく)などが結構入っているものが多かった。
で、あとは特技としてよく寝るので、『大物になる』カードを作った。

ちなみに絵の中には、ピンクのタオル(又はリボンなどに加工されたピンクのタオル)が必ず入っているが、これは生まれた直後から肩身離さず常に傍らに置いている”ライナスの安心毛布”的なものがあって、それです。
洗濯などでちょっとでも手元から消えると大泣きするお気に入りタオルで、愛用しすぎて無理やり洗濯しても、もう薄汚れている…

ちなみに、withちゃた。笑
猫のちゃたも何枚かお供している。


私なら、普通にこれかな…
アートの方の服とか結構かわいいでしょ。お洒落さんってことで、ローズとパープルのマーブルのベレー帽、ラベンダー色のスモッグ、タイツがライトグレーにレモンイエローのドット柄で、靴はディープパープル。笑

ここまで作って思ったけど、あぁこれってオラクルカードだよね。
生まれて初めてするオラクルカードってわけだ。

顔と輪郭線描く前の方がデザイン的でかわいい気もするけど、こういう顔なしのイラスト描く人いた気がする…

陶芸の上絵の場合、輪郭線描いてから色を塗っていく塗り絵方式なんだけど、紙に描く場合は色塗ってから、輪郭線を最後に書くという順番になる。

とにかく、お金にならないことばかりに力を注いでいる気がする…
これ、売れたらいいのに…









2020/09/17

オンライン展示販売のお知らせ


RUKUSのアーティスト/デザイナーTommyが素敵なオンライン企画展に呼んでくれました。
Tommyが繋げてくれた、個性豊かすぎる素敵なアーティスト、クリエーター、パフォーマーが勢揃い

ジュエリー、ボディケア、グッズ、ファッション、、アート、イラスト…そして、ミュージック、タロット、セッション、ヨガなどもあります!

おかげで、6ヶ月前くらいから途中のままだったオンライン販売サイトを完成させることができた…ケツを叩かれないと、いっこうに出来ないダメな人です。。。

ネット販売初心者すぎて、どうなることやらだけど、とりあえず、やってみるだけやってみます。

ということで、
イベントサイトはコチラ → http://kirakira.online/

ここからもいけますが、私のサイトはコチラ → https://minne.com/@a-fukuchi


※また、9月17日~30日までのイベント期間中に参加ブランドの商品購入やワークショップ等に参加いただくと、お支払金額の10%(九州豪雨の被災地支援へ5%と医療従事者の支援団体へ5%)を寄付させていただきます。







以下、Tommyのイベント詳細のコピーです。

↓↓

2016年のイベントを最後に活動を休止していました、KIRAKIRA TOKYOですが、

 

「日本でモノづくりをしているアーティストやブランドの活動を応援したい」


そんな想いから

9月17日~30日までの14日間、

オンラインイベント KIRAKIRA ONLINEをスタートすることになりました。

 


KIRAKIRA ONLINEの初回は

30ブランドによる開催となります。


サイト内では

・出展ブランドの商品購入

・ヨガ、瞑想、占いなどのワークショップ

に参加いただけます。

 


そして、この14日間のイベント期間中に

参加ブランドの商品購入や

ワークショップ等に参加いただくと


お支払金額の10%を寄付させていただきます。


寄付先の詳細は以下になります。

・九州豪雨の被災地支援へ5%

・医療従事者の支援団体へ5%


この機会にオンラインストアへお立ち寄り

頂けたら嬉しいです。


主催する自分も、

ウェアやジュエリー、そしてアート作品など


新作を用意してお待ちしています。


【無料イベントへの参加方法】

イベントページの参加ボタンを押していただくと、

開催期間中に限りKIRAKIRA ONLINEの会場(ショッピングサイト)へと繋がるようになります。 


https://facebook.com/events/s/kirakira-online/326316638813642/?ti=icl


2020/08/25

納涼怪談きもだめし

残暑お見舞い申し上げます。
納涼で怖い話でもしようかと思う。
この話をしてくれた人、もしダメだったら連絡ください。
ってもう書いちゃうけどね。
怖いもの知らずで肝試しが趣味という、私には理解不能な趣味を持つ知人と、ある夏の夕食後に怖かった時の話を聞くことになった。
彼は廃屋から樹海まで様々な場所に肝試しに出かけて行き、本物の死体に遭遇してしまい警察にものすごく怒られたこともある、やんちゃな少年のような悪い成人男性である。
(以下便宜上、彼をTとしておく)
一番怖かったのは、本物の死体を見つけた時だけど…と断った後で、話始めたのだが…
その日も地元の悪友2人(以下KとS)と、有名な心霊スポットに行くことになった。
夜中に待ち合わせをしてバイクで向かった先は、神奈川で有名な、とある廃病院。
割と大きな病院で、廃墟になってから随分とたつので中は荒れていたし、医療ミスで亡くなった患者の霊や自ら命をたったモノの霊などが出るという心霊スポットとしても知られていたが、昼間は悪戯で忍び込む人間もいたらしく、心霊スポットとして相応の雰囲気はあるところだった。
建物付近にそれぞれバイクを停めて、懐中電灯を片手に、壊されてできた抜け穴から敷地内に入った。
Tを含めた3人の内のKだけが、入る前から少し怖がっていたらしいが、やめるそぶりもみせなかったし、せっかく来たので、そのまま3人で入ることにしたらしい。
外の光もわずかしか入ってこない、静かな建物は彼ら以外物音もなく真っ暗だった。
懐中電灯を持って照らす先だけが闇を消しさり、落書きされた壁、壊れた棚や割れた窓などピンポイントに浮かび上がらせるが、それ以外は深い闇の中だったし、懐中電灯の光のコントラストで余計にすぐ先の闇が真っ黒に見えるようで、その中に大きな何か潜んでいる気さえするのだった。
Tとしては肝試しは慣れていたし、Kのこともあったので、3人で話しながら奥へと進んでいった。彼らの話し声以外は、割れたガラスや砂利を踏む自らの足音だけが、壁伝いの小さな反響とともに真っ暗な闇に吸い込まれていった。
そして、口をつぐみ立ち止まると、その静けさに別の足音が聞こえてくるような錯覚さえした。
いくらか進んだところで、TとSが先頭になり、少し怖がっていたのでKはそのすぐ後ろを歩く感じの配置になっていた。
そして、しばらくすると、いつの間にかKが会話に入ってきていないことに気づいた。
「おい、K、大丈夫か?」
と立ち止まり振り向くと、Kは俯いてガタガタ震えていた。
先ほどまでの様子とあまりに違うので、冗談だと思って、
「何だよ、脅かすなよ。」
と笑いながらKに懐中電灯を向けると、
俯いた顔から覗く額にびっしりと汗をかいていた、尋常じゃないと気づいたTとSは、
「おい、本当に大丈夫か?」
とガタガタ震える肩を掴むと、Kがそろそろと汗だくの顔を上げた…

ここでTは、私に向かってこんなことを言った。
あのさ…よくホラー映画で白目部分が無くて目が真っ黒の黒目だけにする特殊メイクあるでしょ、
あれって、本当に起こるんだよね…
目が充血しすぎるとさ、本当に全部黒目に見えるんだよ…

懐中電灯の先でガタガタ震えながら脂汗を流すKの顔は血の気がなく蒼白で、目はまさに黒目だけの目をしていた。
助けて…
それを見た途端、背筋が凍り、TとSは反射的に悲鳴と共に走り出した。
とにかく、外に出ないと本当にやばい…と思った。
Kが後ろからついて来てるかどうか気にする余裕もなかった。
とにかく闇雲に外を目指した、外への扉を見つけ、慌てて抜けるとそこは病院の小さな裏庭だった。
ずっと後ろの方から、待ってーと、Kの悲痛そうな声が聞こえてきたが、足を止めることができず、裏庭を抜けようとした瞬間、
行く先を遮るように目の前に白いモノがスーッと現れた。
白い服を着た髪の長い女だった、ここまではっきりと見えたことはなかった
あまりの恐怖に、女をしっかり見ることもできず、とにかくここはやばい…と反射的に踵を返し、裏庭を抜け入ってきた場所へと、とにかく走った。
敷地を抜けて停めてあるバイクのところまでいく。
敷地を出たことでやっと少し冷静になり、周りを見るとSもちょうど走り出てバイクのところまでたどり着く。
Kは…?
Kのバイクはそのままである。
とりあえず、敷地から離れなければという恐怖と危機意識と、Kを置いてきてしまったことへの罪悪感と心配とで、すぐ逃げることができる位置で、尚且つ敷地の入り口が見わたせるところまでバイクに乗って少し距離を取ることにした。
しばらくすると、もつれるような足取りで、Kが出てくるのがわかった。
ホッとして、2人でKを迎えに行こうとした。
だが、遠目から見ても明らかに足取りがおかしかった。
よろよろと、そしてつんのめりそうになり立ち止まる。
やっとのことでKは自分のバイクまでたどり着き、そして先に出たTとSを探すわけでも無く、バイクに乗ろうとして、ヨロヨロとして倒れ、起き上がり、また乗ろうとして倒れを繰り返していた。
まるでバイクの乗り方を忘れた様に見え、その光景はとても異様に見えた。
TもSも、その不気味な光景に近づくこともできず、その場からKの名を大きな声で呼ぶが、Kは上の空でこちらを見ようともせず、初めてバイクに乗る時みたいに乗り方の練習をしている様だった。
そして、バイクにまともに乗れる様になると、そのまま2人に声もかけずに走り去ってしまった。
TもSも、異様な光景を目の当たりにしつつも受け入れられず、現実的な理由として、Kは自分たちに怒って帰ってしまったのではないかと思い込もうとした。
翌日、Tの元に電話がかかってきた。
相手はKの母親だった。
Kの母「昨日、何かあったの?」
T「…Kが、どうかしましたか?」
Kの母「昨日帰ってきてから、なんだかおかしい気がして。。ま、でももともと変わったところあるから、気のせいかもしれないけど」
と冗談めかしく言っていたが、明らかに声は狼狽している様子だった。
数日して、TはSを誘ってKの様子を見に行くことにした、
Kは目の下のクマ以外は、怒っている様子もなく別段いつもと変わらない様だったが、会話の途中で時々上の空になる時があった。
長居する気も起きなく、しばらくしてから、いとまを告げると、
家の外で、Kの母親に呼び止められた、そして、言いにくそうにしながら、
「あの日以来少し様子がおかしくて…」と、様子がおかしいということ以外は具体的な話は明らかに言い淀んでいたため、聞くのも怖くてそのまま流してしまった。
「それに、すごくお腹が空くみたいで、ものすごく食べる様になったの…」
夜中に物音で気づくと、真っ暗な台所で、何か食べている時があるとのことだった…

2020/08/16

㉑参考資料の感想 (映画編)Auschwitz-Birkenau編14~その3


”㉑参考資料の感想 (映画編)Auschwitz-Birkenau編14~その1”
㉑参考資料の感想 (映画編)Auschwitz-Birkenau編14~その2の続き

『さよなら、アドルフ』(2012年/オーストラリア・ドイツ・イギリス)★

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敗戦直後、それまでの常識も生活も一変し、ナチス高官の両親が出頭し、混乱と無秩序の中、幼い妹弟や乳飲み子を連れて子供たちだけで900km離れた祖母の家を目指す話。説明や台詞は少ない分、カメラの撮り方、目線や仕草や表情が、心の揺れや激しさを表現していて、胸が苦しくなる。ドキュメンタリー編で書いた『ヒトラーチルドレン/Hitler's Children』のデジャブを覚える。総統の死とともに、6人の幼い我が子を全員道連れで心中したゲッペルス夫婦を思い出してしまった。原作はレイチェル・シーファーの小説『暗闇のなかで』の中の『Lore』。

『ヒトラーの忘れもの』(2015年/デンマーク・ドイツ)★★★

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終戦直後、5年間のナチスの占領から解放されたデンマークで、ナチスが戦時中に海岸線に埋めた無数の地雷の撤去を捕虜となったドイツ軍にあたらせることになった。2000人を超えるドイツ軍捕虜が150万を上回る地雷を撤去し、約半数近くが死亡または重傷を負った、その多くが地雷の扱いも知らない、あどけなさを残す少年兵だったという実話が元になっている。占領国共通のナチスへの怒りや憎しみはどこまでも深く、それを受け止めるには彼らは幼すぎる。とてもいい映画。そして、どこまでも続く白い砂浜の海岸線が悲しいまでに美しい。

『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』(2016年/チェコ・イギリス・フランス)★

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ナチス占領下のチェコスロバキアのレジスタンスとロンドンにいる亡命政府によるナチス高官ラインハルト・ハイドリヒの暗殺計画(エンスラポイド作戦)の実話。
観る気が失せるくらいの酷いタイトルだが、中身は、かなり硬派な映画。

『ディファイアンス』(2008年/アメリカ)★

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ナチス侵攻によるユダヤ人虐殺から逃れるため、ポーランド・ソ連国境地帯の西ベラルーシ(当時ポーランド)の森の中に入り、兄弟や仲間と共にパルチザンを作り、また多くの非戦闘員の老人や女子供を助け匿い、最大1200人のユダヤ同胞を率いたビエルスキ兄弟の実話を元に映画化。ソ連赤軍のパルチザンが、思っていた通りのロシア的な感じで良かった。Defianceとは「果敢な抵抗」の意味。

『愛を読むひと』(2008年/アメリカ・ドイツ)★★

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『朗読者』が原作(原作の感想はコチラ)。邦題のタイトルが気に入らないが、原作を読んでから見たので、余計に良かった。ケイト・ウィンスレッドの肉感と表情の演技が、なんとも素晴らしい。また、原作は主人公の視点で書かれているが、映画の方は原作にはないハンナ側の描写もある。最後のニューヨークでのシーンは、映画の方が断然良かった。会話がかなり違っているので、受ける印象も全く変わってくる。原作に沿う感じで足された台詞の中に、
人は“収容所で何を学んだか“と尋ねてきます。
収容所はセラピー?
それとも、一種の大学?
…学ぶことは何もない。それだけはハッキリ言える。
(劇中の会話より一部抜粋)
これは、プリーモ・レーヴィを受けているのかとも思った。『これが人間か』のあとがき『若い読者に答える』の中から引用。
“若くしてラーフェンスブリュックの女性収容所に入れられた私の友人は、収容所は私にとって大学でした、と語っている。私も同じことを言えると思う。つまりあの出来事を生き抜き、後に考え、書くことで、私は人間と世界について多くのことを学んだのだ。
しかしこうした前向きの結果はわずかな人にしか訪れなかったことを、すぐに付け加えておこう。”
(『これが人間か』あとがきより)

『杉原千畝』(2015年/日本)★

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過酷な戦争映画を観すぎたせいで、欧米のものに比べて、時代背景や切迫感が全く伝わらない映像だったが、杉原千畝の人物紹介的な意味ではわかりやすかったのかなとも思う…。個人的には、須賀しのぶ著『また、桜の国で』(感想は後日)を読んでからだと、ちょっと良いと思う。
“人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そしてむくいを求めぬよう”
(劇中に出てくる、哈爾浜学院のモットーである自治三訣。『また、桜の国で』にも何度か出てくる言葉)

『コレクター 暴かれたナチスの真実』(2016年/オランダ)★

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オランダで実際にあった、富豪の美術コレクターのナチスの戦争犯罪(ポーランドでの虐殺)裁判の映画。戦後、共産圏に分かれてしまったが故の国際事件としての証拠や司法の難しさや、権力や財力による圧力、根深い反ユダヤ主義など、地味な映画だったが、面白かった。


『マイ・リトル・ガーデン 』(1997年/イギリス)★

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国際アンデルセン賞受賞作家ウリ・オルレブの半自伝的小説『壁のむこうの街』を映画化。ナチス占領下のポーランドで数ヵ月間、たったひとりでナチスの目を逃れ、収容所へ連行後の廃墟のゲットーの中で奇跡的に生き残った11歳のユダヤ人少年の話。同じ様な状況下ではあるが、『戦場のピアニスト』とは異なり、圧倒的な絶望感がそれほどなくて良かった…

『Band Of Brothers(Ep1~10) 』 (2001年/アメリカ)★★★(+★★★)

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これについては以前(落下傘部隊)にも書いたのだが、ポーランド関係ではないが、第二次世界大戦におけるアメリカ陸軍第101空挺師団第506歩兵連隊第2大隊E中隊の訓練から対ナチスドイツ戦勝利・終戦までを描いたドキュメンタリードラマのシリーズもの。
連合軍最大の作戦、ノルマンディー上陸作戦(D-DAY)が皮切りになるのだが、この作戦に関するドキュメンタリーをいくつか観ていると、全体の作戦計画や進行過程、様子がわかる。それにしても良く成功したな…と思うくらいに過酷で無謀な作戦であり、また果てしない犠牲のもとの勝利であった。
戦争モノに“良い作品”は、もしかしたら作るべきではないのかもしれない。戦争には何もなく、ただ傷と罪と痛みを残すだけなのだから。
それでも、大切なモノを守るためにすべてを掛けて戦争に参加した人たちがいて、それで守られた人たちも沢山いる。正義を信じて戦った人たちの存在を蔑ろにし、彼らの犠牲や想いまでを否定することなど絶対に出来ない。そう考えたときに、やはりこういう“良い”と言える作品も必要なんだと思う。
色んな意味で非常にアメリカ的作りではあるが、今のところ戦争映画の中では群を抜いて好きで、何度も見てしまう。

『Generation War(Ep1~3)』(2013年/ドイツ)★★★

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原題(ドイツ語)は“Unsere Mütter, unsere Väter” (“Our Mothers, our Fathers”)
バンド・オブ・ブラザーズが、アメリカ軍(連合軍)側の視点なのに比べ、こちらはドイツ側から見た第二次世界大戦になる。
幼なじみで仲良しの5人組。ドイツ国防軍少尉のヴィルヘルム、その弟の文学好きで新兵のヴィンター、家業のテーラーを継ぐユダヤ人青年ヴィクトル、その恋人でスターになる夢を持つカフェの給仕グレタ、その親友で新米看護師として野戦病院へ志願したチャーリー。そしてヴィルヘルムとチャーリーはお互いに想いあっている関係。
ドイツの若者の視点で描かれていて、ドイツ軍が苦戦しはじめる1941年、大敗するきっかけになる対ソ連への進軍と最も過酷な東部戦線が舞台となる。
小説『また、桜の国で』にも、ポーランドのレジスタンス(Armia Krajowa アルミア・クラヨーヴァ、略称: AK)の戦争孤児達が中心のイエジキ部隊が描かれていたが、AKは地下組織として沢山の分派がおり、その中には当然ユダヤ人を嫌っているポーランド人たちが沢山いた。その闇の部分も描いているし、悪名高きアインザッツグルッペ(移動虐殺部隊)や恐怖のウクライナ義勇兵部隊(補助警察、ディルレヴァンガー部隊など)、戦争末期の少年兵、赤軍の虐殺強姦など、これでもかというくらい過酷な戦争を描いてくれている。
本当にドイツ的な反戦を込めた戦争映画なので、辛いし落とされるが…これこそが戦争なんだよな…と思う。ホロコーストの描写が触りだけで、見ている側としてはこれ以上辛くなりたくないので、むしろよかった。
こちらもとても良い作品。
「数えているか?…殺した人数だ。」
「……いいや。」
「12人だ。…12人殺して……誰も救っていない……英雄のつもりが、今やクソ野郎だ。」
(劇中の会話より一部抜粋)

2020/07/13

“Elementary, my dear Watson.(初歩的なことだよ、ワトソン君)”


ダウントン・アビーを見ていたが、面白いけど字幕だとなかなか仕事にならないので、保留にして、前から気になっていたエレメンタリーの吹き替えを見始めたら、思った以上に面白い。

シャーロキアンではないが、シャーロックホームズに幼少期から強い思い入れがあり、妙な嗜好の元凶にもなっているため、ジェレミー・ブレットとベネディクト・カンバーバッチは大変気に入っているが(作品としても大好き)、ロバート・ダウニー・Jrは全く見る気もおきなかった。

ましてや今回は、舞台がNYで、ホームズは見た目の精悍さに欠けていて…で、ワトソンが女性?チャーリーズ・エンジェルではなくて?という不安要素がてんこ盛り…

で、見始めたけど、これが結構面白い。
ちょこちょこ原作ネタが出てくるが、シャーロックホームズという設定はとりあえず無視して見て、たまに思い出すくらいが、私は楽しめる。

ちなみに、このホームズは、ジョニー・リー・ミラー(トレイン・スポッティングのシックボーイ)!ホームズのイメージではないが…気に入っている上記の2名はアンドロイド的だが、彼のホームズは一番人間的な気がする。

ホームズの変人ぶりはお家芸だが、このドラマでのワトソンとの関係性が今までない感じで、変化していく過程もすごく良い。男女なのにSherlockよりもさばけた関係なのも面白い。ま、まだシーズン1しか見てないのだけど。(各シーズン約24話でシーズン7まで)

それに、原作でも、ジェレミー版ホームズでも、Sherlockでも、レストレード警部率いるスコットランドヤードは、ちょっと情けない感じだが、このドラマのNY市警は、グレッグソン警部もベル刑事もデキる警察として描かれているのも、ポイントが高い。

あと、吹き替え役の声が、みんなとても良い。吹き替えの声優を先に調べてから安心して見始めたのもあるけれど。
ルーシー・リューが、草薙素子の声(田中敦子)なので、画面見てないと、仕事モードでない草薙素子が喋ってる感じに聴こえる。

ちなみに、ゲーム・オブ・スローンズは、シーズン2、3あたりで、脱落した。姉も見ていたらしいが、もっと早くに脱落していた……狼たちはすごく可愛いんだけど…



余談だが、“ワトソン君”って翻訳は、とても良い。
ちょっと小馬鹿にしている感じで“my dear”を使っているのだろうが、翻訳されると“(ワトソン)くん”と、とても親愛を感じる良い愛称表現に聞こえる。

ま、この台詞は有名なのに、コナンドイルの原作には出てこないという、実在しない名台詞らしいです。(映画では使っている)

2020/07/05

展示のお知らせ

なんか知らない間に出展することになっていたので、(一昨日チラシを見て初めて知ったので…)あわてて少し作品持っていって、告知します。
『ファブリック展』(そもそも私、ファブリックじゃないけど…)
2020年7月8日(水)~7月27日(月)
午前11:00~午後6:00
場所は、「ちえのわ」(友人のママのギャラリーです)
〒270-1415
千葉県白井市清戸770
※動物フレンドリーなので、ペット同伴で大歓迎です。
たしか、5人ぐらい出品するはず。(全く把握してませんが…私は“ついで”みたいな感じです)
人形作家の田中典子さんも出します(メイン)。かなり作品達かわいいです。
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ちえのわの7月の予定(ま、私が書かされたのですが…)
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11日(土)のワンニャンフェスは、こんなこと↓するらしいです。
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キッチンカーのHawaiian cafe ohana(ハワイアンバーガー/犬が食べられるメニュー有り)は、今のところ、11日(土)、15日(水)、22日(水)、29日(水)に来る予定です。



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「ちえのわ」とは
動物と人が集い楽しめる
友人のママのギャラリー(動物の保護施設併設予定)です
詳しくは ↓↓
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〒270-1415
千葉県白井市清戸770
HP↓

Facebookページ↓



2020/07/01

㉑参考資料の感想(書籍編)Auschwitz-Birkenau編14 〜その1

『これが人間かーアウシュヴィッツは終わらない』 プリーモ・レーヴィ著

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24歳の時、スイス国境近くのイタリアで捕まり、今はなきアウシュヴィッツの労働収容所にあたる巨大な化学工場を有した第三収容所モノヴィッツ(Monowitz)に送られたユダヤ系イタリア人のプリーモ・レーヴィの体験記。
淡々と書かれた醜さ悲惨さでうめつくされた地獄は、『神曲』や詩の引用により押し込められた感情を代弁しているようだった。また、章ごとの断片的な時系列や書き方も混乱と切迫感が伝わってくる。
“持つものには与え、持たないものからは奪え”(本文より)
おごった考え方だと承知で言うが、人が人足らしめるものの一つが良心と名付けている社会秩序に植えつけられた感情なんだと思う。人も獣も植物もひとまとめにするならば、上記の言葉は自然界の掟そのものである。原始的な生存競争の法則に支配されている収容所では、まさに。
性が剥き出しの中での、レーヴィの人間への観察眼は、非常に興味深い。
最終章の「十日間の物語」は、狂気の秩序がなくなり、空白による混沌の中での話で、とても知りたかった部分だった。
彼らの状況を表現するには筆舌に尽くし難く、いかなる陰惨な形容詞を使ったとしても、言葉足らずになるのだろうと思う。仏新聞社ル・モンドの『20世紀の100冊』(1999)などにも選ばれている。

『休戦』 プリーモ・レーヴィ著

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“その時が来たのだと分かったのだった。私たちは森で火をたいた。誰も眠らなかった。その夜は歌い踊って過ごした。そしてお互いに過去の冒険を語り、失った仲間を思い出した。なぜなら人間には、かげりのない喜びを享受することなど許されていないからだ。”(本文より。転々と一時収容所へ移動していき、ベラルーシ(当時のソ連)の収容所から、最終的にイタリアへの帰還が決まった時。)
開放から帰郷へ(1945年1月27日-10月19日)。アウシュヴィッツの解放者がソ連軍だったこともあり、イタリアとは逆方向のソ連領へと一時的に移動することになり、そこからイタリアのトリーノへの帰還を果たす。その道のりはとても長く、また人間性や心などを取り戻すための行程でもあり、これほどまでに帰郷の意味が重いことがあるのだろうかと思った。
全体の分量から考えても、最後の数章でサラッと書かれているが内側へと重く深くなる最後の列車でのベラルーシからトリーノへの長い行程の中、唯一ドイツを通過することになったミュンヘン(オーストリアからミュンヘン経由でイタリアへ入る)での記述を長めの引用。
“私たち汽車は駅に座礁したように止まっていたが、そのまわりはがれきだらけだった。そうしたがれきだらけのミュンヘンをうろつき回ると、支払い不能の債務者の群れの中を歩いているような気分になった。おのおのが私たちに何かを追っていたが、それを払うのを拒否しているのだ。私は今彼らの中にいた、「支配者の民族」の中に、アグラマンテの野営地の中に。だが男たちは少なく、多くは不具で、私たちと同じようにぼろをまとっていた。彼らの一人一人が私たちに問いかけ、何ものか顔で読み取り、謙虚に私たちの話に耳を傾けるべきだ、と私には思えた。だが誰も私たちの目を見ようとしなかった。誰も対決しようとしなかった。彼らは目を閉じ、耳をふさぎ、口をつぐんでいた。彼らは廃墟の中にこもっていたが、それはあたかも責任回避の要塞に意図的に閉じこもっているかのようだった。彼らはまだ強く、憎悪や侮蔑をまた表に出すことができ、高慢と過ちの古い結び目にいまだにとらわれていた。
私は彼らの中に、その封印された顔を持つ無名の群集の中に、別の顔を、よく覚えていて、多くが特定の名を持っている顔を探しているのに気づいて、我ながら驚いた。それは知らないことはあり得ず、忘却は許されず、答えないことはできないものたちだった。命令し、従ったものたち、辱め、堕落させ、殺したものたちだった。それはむなしく愚かな企てだった。なぜなら彼らではなく、別のものたちが、少数の正義にかなったものたちが、その代わりに答えるはずだったからだ。”(本文より)
『これが人間か』でも感じたが、人間観察の巧みさは素晴らしい。大収容所で生と死の境にいた人たち、傷を抱えた人たち、介抱する者たち、解放者でもあるソ連軍人、同胞イタリア人、ギリシア人、フランス人、ポーランド人、アメリカ軍人、そしてドイツ人など…お国柄のような性質として捉えた描写もあるが、深く関わっていき個人の性質として書いている部分もある。
最初の行程を共にしたギリシア人のモルド・ナフムについての章での彼の人生観や労働に対する考え方に唸り、収容所での顔見知りで途中で再会し最後の方まで一緒だった同郷イタリア人のチェーザレの生き方に感心する。
その中で、1人だけ、ここで詳しく引用しておく。
本書序盤、アウシュヴィッツが解放され、収容所はそのまま収容者の一時的な療養施設と変わった。
レーヴィの療養部屋中で一番小さく、無力で、最も無垢な存在だが、注意を逸らすことができぬほどに自らの存在を主張し続けた魂の塊・フルビネクについて、
外見は3歳くらい、下半身麻痺で足が萎縮し、小枝のように細い体、口は聞けず、名もなかったアウシュヴィッツの子供、フルビネク(レーヴィたちが付けた通称)。痩せて尖った顎の顔の中で物言えぬ口を代弁するように圧倒的な力をたたえた瞳は欲求と力と苦痛に満ちていたという。
“フルビネクは3歳で、おそらくアウシュヴィッツで生まれ、木を見たことがなかった。彼は息を引き取るまで、人間の世界への入場を果たそうと、大人のように戦った。彼は野蛮な力によってそこから放逐されていたのだ。フルビネクには名前がなかったが、その細い腕にはやはりアウシュヴィッツの刺青が刻印されていた。フルビネクは1945年3月下旬に死んだ。彼は解放されたが、救済はされなかった。彼に関しては何も残っていない。彼の存在を証明するのは私のこの文章だけである。”(本文より)

『朗読者』 ベルンハルト・シュリンク著

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映画化されたが、読後に観た。この順番でとても良かった。(『愛を読むひと』の感想は、映画編に書きます。)
主人公の心の機微の表現がとても丁寧で、共感性も高く溶け込んでくる。
愛するとは、罪とは、真実とは、許すとは…
“「…あなただったら何をしましたか?」”(本文より)
考えれば考えるほどわからなかった
私ならどうしたか
それを考え続けたとして、愚かで弱く小さな私は、答えを出せず動けないだろうと思う。そんな人間が、他人を糾弾し罰することなどできるはずもない、いや、そもそもしてはならない。
彼女の頑なさや言動の理不尽さの理由を知った時に、なんとも言えない気持ちになる。 

『アンネの日記(完全版)』 アンネ・フランク著

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読む前までは、戦時中の隠れ家でのユダヤ人少女の暗く悲しい日記という勝手な思い込みがあった。
だが、(不自由な生活を送ってはいるけれど)普通の思春期の女の子の日記だった。
プライベートな日記を盗み読む背徳感すらある。むしろ男性は読みにくいのではないか…これは同世代の少女たちが読むべきだと思う。
私は彼女の晩年を知り、そして、その生きていた場所を実際に見てきた。
アンネの日記を読みながら、頭の中で何度も再生される収容所での様子が頭をチラついてしまう。12〜14歳の彼女が喧嘩し、怯え、恋し、ユーモアを交えて笑い、夢を語り、クルクル動く感情のその全ての文章の隙間に、対極にある収容所での姿が常に重なり、本の中の彼女が生気に満ちていればいるほど、その落差に胸が苦しくなった。原文ではないから、果たしてどれほど翻訳の妙が冴え渡っているかわからないけれど、10代の感性が飛び跳ねていた。
アンネフランクをよく早熟な少女と表現することがある、例えば、異性や性に対してもあけすけなく興味を持っていたし、人間観察も自己分析もよくしていた。
近年、アンネの日記の、いわゆる”袋とじ”部分の解析ができて、性的なジョークが書かれていたと発表された。でも、そう言うことは、10代の女の子なら誰でも興味が出る年頃だと思う。
むしろ早熟なのは言葉選びや表現の方だ。言い回しの妙は、才あってのものだと思う。あの多感な時期に想いや感情は目まぐるしく動くが、それを順序立てて文章にするのなかなか出来ることではない。

『アンネフランクの記憶』 小川洋子著

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“……we were no heroes, we only did our human duty, helping people who need help.“
(by ミープ・ヒース。フランク一家の最大の協力者であり家族のような友人であったミープさんの言葉を本文から)
小川洋子さんの”ものを書くこと”の原点となっている、少女時代に読んだ『アンネの日記』。そのアンネの足跡を辿り、ドイツ、オランダ、ポーランドへ、ご存命のアンネの知人たちに会い、そして、小川さんがアンネに会いに行く本。

『コルベ神父―優しさと強さと』 早乙女 勝元著

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キリスト教関連の出版社以外での、コルベ神父についての本を読みたかったので。

『アウシュヴィッツ博物館案内』中谷剛著

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アウシュヴィッツのガイドをしてくださった、アウシュヴィッツ博物館の日本人唯一の公式ガイドをされている中谷剛さんの本。

『服従の心理』 スタンレー・ミルグラム著

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権威による命令で、人は殺人ができるのか?という、心理学実験でとても有名な、通称“アイヒマン実験”について。