2019/02/14

⑩絶滅させるための工場(2018/6月) Auschwitz-Birkenau編3

“歴史を記憶しない者は、再び同じ味を味わわざるをえない” ジョージ・サンタヤナ
(“The one who does not remember history is bound to live through it again” George Santayana
4号館展示室の入り口に掲げられた言葉)
アウシュヴィッツ、強制収容所、絶滅収容所、死の収容所、死の工場、ジェノサイド、ホロコースト、ショア…
色んな呼ばれ方がある。
ホロコーストとは、元来、ギリシャ語が語源で、ユダヤ教の祭禮で使う(動物などの)丸焼きの生贄のこと。
ある程度の大きさがある強制収容所の分布図・1944年
(photo by United States Holocaust Memorial Museum)
1933年から1945年にかけて、ナチスがヨーロッパに作った強制収容所は、(中継所であった通過収容所なども合わせると)4万箇所以上にも及ぶ。
その中で、主要な強制収容所は約30箇所以上、その内の10箇所が絶滅収容所といわれている。
絶滅収容所と強制収容所の違いは、目的が”絶やし滅ぼすこと”かそれ以外かということである。
“家族や親族ごとまとめて抹殺するために利用した場所。”(中谷剛『アウシュヴィッツ博物館案内』より)
そして、その10ある絶滅収容所の内の6つがポーランドにあり、その中の1つが1940年から稼働し始めたアウシュヴィッツである。
アウシュヴィッツ以外の強制収容所でも収容者の日常はほとんど変わらず、過酷な強制労働や理不尽な暴力に晒されていた。
また場所によっては、アウシュヴィッツよりも過酷な環境(不衛生と食料不足)で、餓死と疫病死が蔓延していた収容所もあったという。
アウシュヴィッツが有名なのは、最大規模の絶滅収容所であったことと、基幹収容所として傘下の収容所を管理する機関であったこと、
そしてなによりも、他と比べて死者数が断トツに多いことだと思う。
アウシュヴィッツに移送されてきた人は少なく見積もっても130万人はいたと推定され、奇跡的に生き残った人はその10%にすぎない。
一日に多くて7000人が殺されていたこともあったという。
この数字だけを見てもあまりピンとこないし、すごい多いなぁ、ひどいなぁ…と思ってそれで終わりになる。学校の資料集と同じだ。
知識として知っていること(今はネットでもすぐ調べられる)と、場所から知ることとは、情報の入り方がだいぶ違う気がする。
それに、私も行く前はほとんど知識がなかった。知っているようでなにも知らなかった、授業で習う長い歴史のほんの通過点でしかない感覚でいた。
虐殺という行為が、大小に関わらず歴史的に見ても数十年、いや数年に一度くらいには、世界のどこかで起きている。
近年に入り有名なものだと、ナチス、スターリン、文革、ルワンダ、クメールルージュ、ボスニア、スーダン…など、現在だと、ボコハラム、アルジャバブ、タリバン、ヒズボラ、シリア、イエメン…など。
今なお、それは続いている。
もちろん日本を含むアジアでも虐殺の歴史は沢山ある。
虐殺の主な理由や原因のほとんどが、
宗教異端、民族浄化、選民思想などの蔑視やひがみや排他思想だと思う。
そして、虐殺に加担する側も虐殺をされる側も、大概が普通の人で、家族がいて、恋人がいて、友達がいて、暖かさを知っていて、悲しさを知っていて、そして”正しさ”を愛している…
サイコパスでもソシオパスでもない、今あなたへ微笑みかける隣にいるその人となんら変わりのない人間だったりする。
それがわかりやすい“悪人”であったり、ないしは”善人”であったならば、もしかしたら、世界はもっと平和だったかもしれないとさえ思う。
しかし、”正しさ”とは、一体なんだろうか…
文化が生まれてから、我々を支配するものとして、属している時代や宗教、社会、政権、組織により180度変わってしまう”正しさ”と同様に、
有史以前からある自分以外のモノとの関係性から生まれる、強弱や優劣からなる他者との”比較”は、動物社会でも人間社会では、至極当然のように行われている。
社会や地域が変われば多少の差異はあれど、現代において権力、容姿、財力、知識、才能…比べる要素はいくらでもある。
隣の家は金持ちだとか、お兄ちゃんは頭が良いとか、あそこの奥さんは美人だとか…
あいつが金持ちなのは、なんかしているからじゃないか。
俺たちが苦しいのは、あいつらのせいじゃないか。
いや、そうに違いない!
あいつは、もしかして、ユダヤ人だからじゃないか?
……あれは、ユダヤ人だ!
と、いうように、
または、社会のはみ出し者だとか、治安が悪くなるとか、放浪者やよそ者だと蔑まれたロマ人(ジプシー)も率先して通報された
そんな感じで捕まり、収容所へ連行された人も数知れずだそうだ。
しかし、この言いがかりのようなものや、ヘイトスピーチみたいなもの、小さな陰口や仲間はずれでさえ、日常でよく見聞きするもので、これの延長線上に、ガス室があり、そして、当時の人もまた、今の人と同じように、罪悪感すらなく、日常の一部のようにそうしていた。
虐殺の加担者である意識などさらさらなく。
ならば、奈落が延長線上にあると明確に知っていたら、辞めただろうか…
たぶん、変わらないだろうな…と思ってしまう。
私も、昔から色んな大人から聞くヨーロッパ旅行の話の中に、”ジプシー”という単語をしばしば聞いた。
電車の中で集団のジプシーに囲まれてひったくりに遭ったとか、ジプシーの子供たちに盗まれたとか、ジプシーの物乞いにぼったくられたとか…ジプシーがいるから治安が悪い、ジプシーには気をつけろ…と。
誰が初めに言い始めたのだろうか…今から思えば、そもそも東洋人にジプシーとそれ以外を見分ける目などあるのだろうか。
そして、今は、それが移民やムスリムにとって変わろうとしている。
日本にも、戦争の負の遺産をアジアを含め沢山の国に加害者として残し、また同じように、日本にも傷として残された遺産を持っている。
歴史認識は、どの国でも難しく、国内でも意見が分かれているのに、国外なら尚更だと思う。
悪や正義がないからこそ、落としどころがなく戦後74年をもうすぐ迎えようとする現在でさえ、まだ国際問題として浮上し続けている。
アウシュヴィッツには行けたのに、日本が関わっている負の遺産を見に行く勇気がなんとなくないのもまた、私の深層心理の中の差別なんだろうなと思う。
行く前は、遠いヨーロッパの国で起きた、自分たちとは違う国の人たちの悲惨な出来事だという意識がどこかにあった。直接関係がなかったとか、当事者ではなかったというところで少し安堵していたのかもしれない。
しかし、大戦中の日本は日独伊三国同盟(枢軸条約)を結んでいる。ナチスドイツとは同盟国になる。日本にヒトラーユーゲント(ナチス青年団)が、ドイツに日本の青少年が親睦のために訪れて大歓迎しているし、(以前訪れて衝撃を受けたのが、)白虎隊で有名な飯盛山にファシスト党ムッソリーニから送られた石碑まで存在している。
杉原千畝や樋口季一郎など、ユダヤ人を助けた逸話を残す日本人もいるが、それは、ドイツ人でもいる、有名なのはオスカー・シンドラーなど。
それ以外に個人でも助けた人は、ドイツ第三帝国の同盟国であれ、衛星国であれ沢山いる。
ドイツ占領下のポーランドでは、ユダヤ人を助けたとわかれば、一家諸共殺されたという。それでも助けた人たちがいる。
関係のないことなんて一つもないのだと思う。
収容者(囚人)が脱走しないように、収容所は致死レベルの高圧電流が流れている有刺鉄線が2重になっている。手前の茶色く錆びた看板には、ドイツ語で”vorsicht! Hochspannung Lebensgefahr”(注意!致死レベルの高圧電流)と書いてある。
また四方にある監視塔から銃を持った監視兵が24時間体制で見張っていた。高圧電流の有刺鉄線の前の看板には、英語で”halt!”と、"stoj!"はポーランド語(になるのかな?)でドクロマークとともに”止まれ!”と警告している。たぶん、高圧電流の前に、止まらないと撃ち殺すという意味だろう。意思は消され、自ら死ぬことさえ許されなかった。

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