2019/02/15

⑪遺されたカタチ(2018/6月) Auschwitz-Birkenau編4

アウシュヴィッツの中で有名な展示物に、大量の収奪品(遺留品)がある。

大量のメガネ、大量の義足、大量の食器、大量のカバン、大量の靴…大量の毛髪

とにかく大量にある。

メガネは、使い古し絡み合った巨大な金たわしのようにも、針金のオブジェのようにもみえた。

食器などを持って来た人たちは、もしかしたら、日常に使っていたものを持ってくることで、子供を安心させたかったんじゃないかと、話していた。

カバンの表面には名前と住所が大きく書かれていて、いつか手元に戻ってくると思ったのだろう。

髪の毛は、まるで収穫された大量の羊の毛のように見える。色は抜けたため全体にほとんど同じ様な色をしている。長い三つ編みのままの髪もある。

そして、2階展示室に上がったとたんに息を呑む。
ガラスの奥で横たわる巨大な生き物のような大量の靴、靴、靴、靴、くつ…


ガラスの壁の中で、全てのものが、種別に分かれて、そして大量に積み上げられていた。
何千、何万と…それが一つの茶色い塊に見えた。

人の認知能力は、あまりの量に圧倒されると、細部や一つ一つに目などいかなくなるんだと思った。
私はそれをぼんやり眺めていることしかできなかった。

塊の前にいくつかバラバラに置かれた個体を見て、
あぁ、これは靴なのか…メガネなのか…と、把握するが、
その奥にある茶色い大きな塊を見て、これは何だろうかと、思考がまたはじめに戻る。

後から思うと、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の中の展示物で、私にとって1番生っぽい(という表現で良いのか…)展示がこの大量の遺留品だった。

あの時、無意識に思考をシャットアウトしていたが、思い出すと少し気持ち悪くなる。
あの一つ一つに持ち主がいるという事実と、その持ち主が殺されて展示されているという現実。
死体のないあの場所で、何よりも視覚から人間の匂いを感じるものだった。

帰ってきてから、小川洋子の『アンネフランクの記憶』を読んで、アウシュヴィッツでの感想が、あまりに似ているのに驚いた。きっと誰もが同じように感じるのかもしれない。
収奪品の展示についての箇所を少し抜粋する。

“ただ数の多さに圧倒されているだけでは、想像力が働かなくなる。この山を無数という一言で片付けてしまうと、本当のことを見失う恐れがある。今ここにあるのは、一つ一つの死の重なりだ。”
(『アンネ・フランクの記憶』より抜粋)


廊下に左右の壁にぎっしりと貼られた証明写真。丸刈りの囚人服を着た無表情に一律に同じ様式で撮られた写真。男も女も老いも若いも、何をしていたかも、何をしてきたかも、誰であるかさえ区別のつかない、名前と個人を剥ぎ取られた人たちの写真。

写真の下には、
“囚人”番号、名前、生年月日、職業、
そして1番下の段に、収容日と死亡日。
ここにある職業には、政治家や役人の他、教育関係者、聖職者、芸術家など、知識人や宗教者、文化人がたくさん目に付いた。
(※Photo by Hamilton Lima on Unsplash)
この証明写真のほとんどは初期に収容されたポーランド人政治犯のもので、その後の大量に送られてくる抹殺対象のユダヤ人、ロマ人、スラブ人、ソ連捕虜は写真など撮る時間も手間も与えられはしなかったのだろう。大量の人数を素早く把握し処理するために、その後、左腕に囚人番号を刺青としてナンバリングするようになる。

アウシュヴィッツでの体験を記録した名著と言われているプリーモ・レーヴィの”これが人間か”を読んだ時に、この行為の意味が余計に腑に落ちた。

本書序盤、当時24歳のレーヴィが、イタリアで捕らえられ、アウシュヴィッツ第三収容所モノヴィッツに着いた時の部分を少し長めに引用する。
“…そこで私たちは初めて気がつく。(中略)私たちは地獄の底に落ちたのだ。これより下にはもう行けない。これよりみじめな状態は存在しない。考えられないのだ。自分のものはもう何一つない。服や靴は奪われ、髪は刈られてしまった。話しかけても聞いてくれないし、耳を傾けても、私たちの言葉がわからないだろう。名前も取り上げられてしまうはずだ。もし名前を残したいなら、そうする力を自分の中に見つけなければならない。名前のあとに、まだ自分である何かを、残すようにしなければならない。
(中略)…毎日のささいな習慣に、自分のこまごまとした持ち物に、どれだけの意味と価値が含まれているか、よく考えてみてほしい。(中略)さて、家、衣服、習慣など、文字通り持っているものをすべて、愛する人とともに奪われた男のことを想像してもらいたい。この男は人間の尊厳や認識力を忘れて、ただ肉体の必要を満たし、苦しむだけの、空っぽな人間になってしまうだろう。というのは、全て失ったものは、自分自身をも容易に失ってしまうからだ。こうなると、このぬけがらのような人間の生死は、同じ人間だという意識を持たずに、軽い気持ちで決められるようになる。運が良くても、せいぜい、役に立つかどうかで生かしてもらえるだけだ。こう考えてくると「抹殺収容所」という言葉の二重の意味がはっきりするだろうし、地獄の底にいる、という言葉で何を言いたいか、分かることだろう。
Häftling。私は自分が囚人(ヘフトリング)であることを学んだ。私の名前は174517である。私たちは命名を受けた。これからは生きている限り、左腕に入れ墨を持ち続けるのだ。”
(『これが人間かーアウシュヴィッツは終わらない』より抜粋)
※実は、アウシュヴィッツで写真を撮るのが心苦しくて、なかなか撮れなかった。それに中谷さんの説明を追うのに必死だった。一緒に中谷さんのガイドに参加していた方の多くは、ほとんど全ての写真を撮っていて、むしろそんなに撮ってどうするのだろうと思う程だったのだけど(これは日本人の癖なのかもしれない)、今になるとblogのために撮っておけばよかったと思う。廊下の写真も、遺影であるため心苦しくて無理だった。なのでこの先も、必要な場合は、説明を補うためになるべく著作権フリーのものをネットで見つけて、出典元を明記の上に使わせてもらいます。それ以外は、なるべく自分が撮った写真を使います。

0 件のコメント: