2019/03/20

⑫黄色い星(2018/6月) Auschwitz-Birkenau編5

ナチス政権下、満6歳以上になると、ユダヤ人とわかるように黄色い三角形を重ねて星型にしたワッペンを常に付けることを法律で義務付けられたのは、アンネの日記の序盤にも出てくる。
それのせいで、お店や公共施設や公園にも入れず、公共の乗り物や自転車さえ乗れなくなり、外出時間の制限までされる。
(※映画『黄色い星の子どもたち』から/Menemsha Films) 
そして、そのすぐ後には、それを目印にゲットーや収容所へ連行されることとなる。
各強制収容所でも、収容者が、何の”罪”で収容されているかすぐにわかるように、囚人番号の他に、いくつかのワッペンで識別された。
ユダヤ人、ロマ人(ジプシー)、戦争捕虜、刑事犯、政治犯や反政府主義者、同性愛者など。
ワッペンは組み合わせて使ったり(政治犯+ユダヤ人とか)、ドイツ以外の出身の場合は、国名の頭文字が入っていて、監督者が一目で分かるようにしていた。
(※Nazi camp ID-emblems in a 1936/en.Wikipedia)
ある特定の人たちが弾圧され迫害されたという歴史がある時、
現在のその人たちが属する組織の持つネットワークや力が大きければ大きいほど、語り継がれ拡散するので未来まで残りやすい。
例えば、ホロコーストで言えば、ユダヤ人団体や宗教関係の団体など
しかし、問題はバイアスがかかりすぎてしまったり、美化されたり、もしくは、たまに肉付けされてしまうことである。
そうなると、元の歴史や事実に肉付けされた話が広まれば広まるほど、今度は事実と異なる証言が出たとたんに、肉付けされた部分だけを否定すればよいのに、元の歴史までも疑われ始める。
疑われると、発表した団体側は、事実だと頑なに反論しだす…
その応酬になり、悲しいことに、事実などどうでもよくなってしまう。
たとえば有名なもので、アウシュヴィッツだけでの犠牲者数(当初400万人と発表していたが、現在は約130万人以上)や、人皮製品や人間石鹸(共に証拠はなく噂に過ぎないが、未だに信じている人が多い)などがそうだ。
それを論争したところで、130万人は驚くべき多さのままだし、非人道的で目も覆いたくなるような酷い人体実験の証拠や写真も、収容者の毛髪を布製品として使われていたその実物も、アウシュヴィッツには展示されている。
忌まわしい悲惨な過去であることには変わらないということを忘れてはいけないし、この先もずっと負の記憶として残さなければならない、そのためにも問題は多少あれど、語り繋ぐ団体が存在するのは大切なことだと思う。
逆に小さい団体や個人は、風化されてしまう恐れがあると思った。
例えば、アウシュヴィッツ、ホロコーストの被害者と聞くと、みな、ユダヤ人と答えるだろう。
もちろん、ユダヤ人が一番多く弾圧され殺された(犠牲者総数600万人)。
だが、ロマ人(ジプシー)も、第三帝国配下になった国のほとんどで、ほぼ全員、ないしは70%以上が犠牲となったとされる。本当に絶滅してしまうレベルである。
政治犯(共産主義者、またはそう思われた人など)は、一番最初に強制収容所に収監された。元はといえば、彼らの懲罰に収容所は作られたようなものだった。アウシュヴィッツにおいては、ユダヤ人の次にポーランド人(政治犯などが簡易裁判により銃殺など)の犠牲者が多い。
精神疾患や身体障碍者、知的障碍者などの社会的弱者は、ユダヤ人抹殺が始まる前の練習台として、収容所以外にも病院ですらガスによる集団抹殺が行われていた。
ソ連やポーランドをはじめとする戦争捕虜、スラブ人など。
特に、ソ連の戦争捕虜は、ユダヤ人移送前の初期のアウシュヴィッツでは、過酷な強制労働の末、(ガス室ではなく)餓死・凍死・病死・体罰死などで、囚人のほぼ90%近くが亡くなっている。
そして、ドイツ本国(アーリア人)を含む同性愛者を含むセクシャルマイノリティーは、アーリア人を産めや増やせやという社会理念から逸脱するなどの理由から侮蔑され収監された。
刑事犯なども、もちろん一緒に収監された。
所属団体が小さかったり、包括している代表団体がなかったりする場合は、ここまで認知度に差が出てしまう。 
ひときわ驚いたのが、紫色の逆三角形であるエホバの証人(国際聖書研究会)。
エホバの証人とは、キリスト教系の新宗教(主流からは異端扱い)。
(※Purple triangle/en.Wikipedia)
私はアウシュヴィッツに来るまで、彼らも収容されていたことを全く知らなかった。
政治犯や反社会的分子のくくりではなく、なぜ彼らだけが特別に紫色の逆三角形をつけさせられていたのだろうか…
で、色々調べたが、バイアスがかかりすぎていて、どれがシンプルな事実かよくわからない。
というか、信者の方以外で彼らの弾圧について事実だけを坦々と書いているのが見つけられない。
Wikipedia(English版も含め)でかろうじて、バイアスが少ないのかもしれないとも思うが、比較する資料がなくてよくわからない。 
迫害理由としては、ナチスやヒトラーへの忠誠や投票への拒否(人間より神に従うという教義から)、兵役拒否、禁教令下(1933年〜)の布教活動などがあげられる。
ナチス式敬礼の拒否などで、戦争前から共産主義者とともに初期の強制収容所に収監された。場所によっては、収容者の20-40%を占めていて、苛烈な懲罰も多く虐待死などもあったと言われる。
しかし、戦争開始からは、それ以外の囚人数が爆発的に増えたので、割合が極少数に変わり、彼らは戦争に関わること以外に対しては基本的に従順で勤勉であるため、他の収容者が増えたことで、所内での扱いが劇的に改善したと言われている。
エホバの証人以外の新宗教や平和主義者などもこの紫の逆三角形に含まれていたが、割合的にはほぼエホバの証人となる。
約1万2000人が連行され、うち2000人が処刑などにより獄死する。
中谷さんの本にも触れてあった。
“何事にも忠実な彼らは「SS隊員の召使い」として利用されることが多かったようです。アウシュヴィッツには400名あまりの信者が収容されていたといいます。”(『アウシュヴィッツ博物館案内』より抜粋)
ホロコーストでの犠牲者数の分母があまりに大きいので、認識が薄れてしまいそうになるのは、私の想像力の欠如のせいかもしれない。
人の命は、数では数えられないとは思う。だが、数があまりに多いとなんだかよくわからなくなる。相対的に見ると、数が少ないところが疎かになり、また、絶対的にみると個が埋没し見えなくなる。
命とは、数ではなくて、一つの存在なんだと想いたいのに、ここはなんて機械的でシステム化された場所なんだろう、と思う。
悲しいという感情すら湧かない、湧かないことが悲しく、自分の心はおかしいのではないかと思ってしまう。
自分に関わった人が1人いなくなるのがこんなに耐え難く悲しいのだから、それが2000人、130万人、600万人であったとしても、その中の1人ひとりは、やはり耐え難く悲しく代え難い1つの死であるはずなのに。
“ガス室が作られ、絶滅収容所が警備されて、毎日ノルマ通りの死体が、器具の製造と同じ効率性を持って生産されていた。”(スタンレー・ミルグラム著『服従の心理』より抜粋)
※ポーランド旅行記バックナンバーまとめ※随時更新①~

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