2017/04/17

こかんとおっぱい(ちょっと方言っぽい 笑)

青島神社の後は、
何故か”世界で唯一”のイースター島公認のモアイ像のいる公園へ
「世界ふしぎ発見」が発端で、ここにできたらしい
日本での、テレビの力は、いい意味で(悪い意味でも)本当にすごいと思う
(詳細はググってください)
なんでこんなに遠くから撮ったのか知らないけれど、
とにかく、海と空と地平線とモアイ像が見れる場所

天気が曇りで、ちょっと海と空の境目がわからないけれど、
きっと天気がいいと、また全然違う景色なんだろうと思う


七体のモアイ像がいて、それぞれに色んなご利益があるという
いかにも日本的発想

もちろん金運があがるモアイに、真っ先に飛びついたけれど

本当に、どうでもいいけれど
モアイ像はみんな両手で下腹部あたりを押さえているポーズ
で、その指の先が、最初、おヘソかな?と思っていたのだけれど
・・・
どう考えても、男性器に見える
古代の神器や像には、性器を表現することが多いけれど
そう考えると、モアイ像は男性なんだな

みんなその下に、お金(賽銭)を置いている

ちなみに、この公園の頂上付近に、地球感謝の鐘というモニュメントがある
それにちなんで、国内外の宗教者(指導者)からの地球愛のメッセージを集めた紙があった



ご興味があれば、拡大してみてください

新興宗教のはさすがになかったけれど
知らない宗教・宗派もあり、面白かったので
むしろ、メッセージより、そっちが気になって・・・笑

「地球に残っている連中は地球を汚染しているだけの、重力に魂を縛られている人々だ!」
富野教 シャア・アズナブル



 さて、この日最後の訪問先は、
おちち岩のある鵜戸神宮へ
(昨日の鵜戸神社とは別物。たぶんこっちの方が有名かな)

祀られているのは、
日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)
別名、鵜茅不合葺命(ウガヤフキアエズノミコト)
豊玉姫命(トヨタマヒメ)と山幸彦の長男で、後の初代天皇の神武天皇の父

結縁 安産 育児 海上安全のご神徳がある

こちらも海沿いにある神社
立派な朱色の随神門をくぐり
参道なりに下りながら歩いて行くと
下の方に見えてくる
ここは、御祭神のウガヤフキの産屋となる生誕場所


さて、前回の青島神社からの続きなのだが、

すっかり海神の宮で豊玉姫命(トヨタマヒメ)と幸せな結婚生活を送っていた山幸彦は、
3年目にしてやっと、釣り針を探しに来たことを思い出す

そして、やっとこさ見つけて、地上へ海幸彦に返しに行くことに

その後、すでに懐妊していたトヨタマヒメが、
「天孫の御子を海原で生むことは出来ない」と、山幸彦を追って地上にやってくる

霊窟に急いで産屋を造ったのだが、鵜の羽で屋根を葺終わらないうちに、産気づいてしまう

出産するとき、トヨタマヒメは「決して中を覗かないでください」というが
山幸彦は、心配で我慢できずに覗いてしまう
するとそこには、サメ(龍やワニという説も)の姿をしたトヨタマヒメ

無事出産し終えたトヨタマヒメだったが、
サメの姿を見られたのが恥ずかしくて、子供たちを置いて、海に帰ってしまう

しかし、やはり地上に置いてきた子たちが心配で
トヨタマヒメは妹の玉依姫神(タマヨリヒメ)を乳母として地上へ送る
タマヨリヒメは、姉の子供たちをわが子のように育てる

その子の中の長兄・鵜茅不合葺命(ウガヤフキアエズノミコト)が成人した時、
育ての親のタマヨリヒメと結婚する
ウガヤフキとタマヨリヒメの間には、4人の子宝に恵まれた

その内の、末っ子が、後の初代天皇の神武天皇となる
神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコノミコト)
こちらも洞窟の中


大きな洞窟の中にある、装飾の綺麗なお宮


洞窟の中にある祠は大概、どん詰まりにあるのだけれど
ここは、お宮の回りを一周できる


この裏側に、 
トヨタマヒメが産後すぐに子供を置いて海に帰ってしまう時に、
育児のために、両乳房をひききり岩にくっつけていったと伝わる「おちちいわ」がある
 
 
おちち水が滴ってくる
おさわり出来る
ちょっと、なまめかしいでしょ

ウガヤフキが、おちち水で作られた飴を母乳代わりにしたという
おちち飴(ちゃんと、現在もおちち水で作られている)が、あったので、
数日前に出産した友人に買ってみる
・・・
お腹壊したりしないよね・・・とちょっと心配になりながら。。。
 
本殿前の磯に運試しの場所がある


トヨタマヒメが出産のために乗ってきたという霊石亀石(れいせきかめいし・桝形岩)
この亀石の背中に桝形の窪みに
男性は左手、女性は右手で「運玉」を投げ入れ、見事入ると願いが叶うといわれている

 
運玉は、5つセットで販売している
 
距離的には、こんな感じ
柵のところにいる人がちょうど投げているところ

私も試したけど、半玉ってところだったかな
結構難しい


おっぱい門
北原白秋の歌の看板がある

「鵜戸の海 夕虹明し まさしくぞ 神降り立たす 天の浮橋」

白秋がここに来たのは、亡くなる一年前あたりだと思う
晩年は、病気でほとんど目が見えなくなっていたはずなのに、
あまりに綺麗な歌で、ちょっと涙が出そうになる

ちなみに
日南方面から日向(の家)に帰る途中にあるのが、美々津という土地
車で通っただけだが
ここは、神武天皇が東方へお船出した土地として有名である 

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