青島神社の後は、
何故か”世界で唯一”のイースター島公認のモアイ像のいる公園へ
「世界ふしぎ発見」が発端で、ここにできたらしい 日本での、テレビの力は、いい意味で(悪い意味でも)本当にすごいと思う (詳細はググってください) |
なんでこんなに遠くから撮ったのか知らないけれど、 とにかく、海と空と地平線とモアイ像が見れる場所 天気が曇りで、ちょっと海と空の境目がわからないけれど、 きっと天気がいいと、また全然違う景色なんだろうと思う |
七体のモアイ像がいて、それぞれに色んなご利益があるという いかにも日本的発想 もちろん金運があがるモアイに、真っ先に飛びついたけれど |
本当に、どうでもいいけれど モアイ像はみんな両手で下腹部あたりを押さえているポーズ で、その指の先が、最初、おヘソかな?と思っていたのだけれど ・・・ どう考えても、男性器に見える 古代の神器や像には、性器を表現することが多いけれど そう考えると、モアイ像は男性なんだな みんなその下に、お金(賽銭)を置いている |
ちなみに、この公園の頂上付近に、地球感謝の鐘というモニュメントがある
それにちなんで、国内外の宗教者(指導者)からの地球愛のメッセージを集めた紙があった
![]() |
ご興味があれば、拡大してみてください 新興宗教のはさすがになかったけれど 知らない宗教・宗派もあり、面白かったので むしろ、メッセージより、そっちが気になって・・・笑 「地球に残っている連中は地球を汚染しているだけの、重力に魂を縛られている人々だ!」
富野教 シャア・アズナブル
|
さて、この日最後の訪問先は、
おちち岩のある鵜戸神宮へ
(昨日の鵜戸神社とは別物。たぶんこっちの方が有名かな)
祀られているのは、
日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)
別名、鵜茅不合葺命(ウガヤフキアエズノミコト)
豊玉姫命(トヨタマヒメ)と山幸彦の長男で、後の初代天皇の神武天皇の父
結縁 安産 育児 海上安全のご神徳がある
こちらも海沿いにある神社 立派な朱色の随神門をくぐり 参道なりに下りながら歩いて行くと |
下の方に見えてくる ここは、御祭神のウガヤフキの産屋となる生誕場所 さて、前回の青島神社からの続きなのだが、 すっかり海神の宮で豊玉姫命(トヨタマヒメ)と幸せな結婚生活を送っていた山幸彦は、 3年目にしてやっと、釣り針を探しに来たことを思い出す そして、やっとこさ見つけて、地上へ海幸彦に返しに行くことに その後、すでに懐妊していたトヨタマヒメが、 「天孫の御子を海原で生むことは出来ない」と、山幸彦を追って地上にやってくる 霊窟に急いで産屋を造ったのだが、鵜の羽で屋根を葺終わらないうちに、産気づいてしまう 出産するとき、トヨタマヒメは「決して中を覗かないでください」というが 山幸彦は、心配で我慢できずに覗いてしまう するとそこには、サメ(龍やワニという説も)の姿をしたトヨタマヒメ 無事出産し終えたトヨタマヒメだったが、 サメの姿を見られたのが恥ずかしくて、子供たちを置いて、海に帰ってしまう しかし、やはり地上に置いてきた子たちが心配で トヨタマヒメは妹の玉依姫神(タマヨリヒメ)を乳母として地上へ送る タマヨリヒメは、姉の子供たちをわが子のように育てる その子の中の長兄・鵜茅不合葺命(ウガヤフキアエズノミコト)が成人した時、 育ての親のタマヨリヒメと結婚する ウガヤフキとタマヨリヒメの間には、4人の子宝に恵まれた その内の、末っ子が、後の初代天皇の神武天皇となる 神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコノミコト) |
こちらも洞窟の中 |
大きな洞窟の中にある、装飾の綺麗なお宮 洞窟の中にある祠は大概、どん詰まりにあるのだけれど ここは、お宮の回りを一周できる この裏側に、 トヨタマヒメが産後すぐに子供を置いて海に帰ってしまう時に、 育児のために、両乳房をひききり岩にくっつけていったと伝わる「おちちいわ」がある |
おちち水が滴ってくる おさわり出来る ちょっと、なまめかしいでしょ |
ウガヤフキが、おちち水で作られた飴を母乳代わりにしたという おちち飴(ちゃんと、現在もおちち水で作られている)が、あったので、 数日前に出産した友人に買ってみる ・・・ お腹壊したりしないよね・・・とちょっと心配になりながら。。。 |
本殿前の磯に運試しの場所がある
トヨタマヒメが出産のために乗ってきたという霊石亀石(れいせきかめいし・桝形岩) この亀石の背中に桝形の窪みに 男性は左手、女性は右手で「運玉」を投げ入れ、見事入ると願いが叶うといわれている |
![]() |
運玉は、5つセットで販売している |
距離的には、こんな感じ 柵のところにいる人がちょうど投げているところ 私も試したけど、半玉ってところだったかな 結構難しい |
おっぱい門 |
北原白秋の歌の看板がある 「鵜戸の海 夕虹明し まさしくぞ 神降り立たす 天の浮橋」 白秋がここに来たのは、亡くなる一年前あたりだと思う 晩年は、病気でほとんど目が見えなくなっていたはずなのに、 あまりに綺麗な歌で、ちょっと涙が出そうになる |
ちなみに
日南方面から日向(の家)に帰る途中にあるのが、美々津という土地
車で通っただけだが
ここは、神武天皇が東方へお船出した土地として有名である
0 件のコメント:
コメントを投稿