2019/12/11

㉒カジミェシュ地区とJewish Culture Festival (2018/6月)


アウシュヴィッツ編を終わらせたら満足してすっかり忘れていたが、ポーランド旅行記のまだ途中だった…
ポーランドの良さを伝えるはずが、暗い日記が続いてしまっていた…
泊まってみたかった修道院が土日にとれなくて、平日まで待つために、帰りのドイツ滞在を減らして、クラクフに長めに滞在することにした。
クラクフは、アウシュヴィッツ編に入る前に書いたように、昼間でも夢の国のように綺麗だったが、まずは、旧市街の近くの戦前はユダヤ人地区で、戦中は一部がゲットーだった、カジミェシュ地区へ行く。
ちょうどこの週末に年に一度の世界最大のJewish Culture Festival(ユダヤ音楽フェス)があるので、ポーランド最古のシナゴーグのオールドシナゴーグ(Stara Synagoga)の前の広場はその準備のために大型ステージ、機材の搬入や音響調整をしていた。
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クラクフのシナゴーグは、戦中は倉庫や馬車小屋としてであったが、建物自体が残されたものもあり、古いものも見ることができる。
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街を歩いていたらハシディズム派(超正統派)の格好(ハットから全身黒づくめ)のものすごい立派なヒゲともみあげのガンダルフみたいなおじいさんが歩いていて、すごい絵になるなぁ…と思っていたら、ミュージシャンだった。(その夜知った)
今は、ギャラリーやカフェなどお洒落な店も増えて、街にはグラフィティーアートもたくさんある。
戦前まではユダヤ人街だったが、今はユダヤ人に限らずに住んでいるという。
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季節柄いくつかある広場では大抵何か催し物やマーケットをしていて、食べ歩いたりしている内に、蚤の市に出くわす。

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いろんなものが売っている中で、おじいさんが出している店先に、白人の男の子が数人集まっていて、これ、本物?と聞いていた。
脇から覗き込んでみると、驚いたことに、ナチスドイツの軍章や勲章だった。
このカジミエシュ地区の蚤の市で、ナチス遺産が売られているのになんとも複雑な気持ちになりながら、写真撮っていいよと言っていたので、一応撮らせてもらった。
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夜に野外ライブがあるみたいだから、夜に出直すことにした。真っ暗だが、もうなんとなく道を覚えたので適当に歩いて行くと、たくさんの人が広場に集まっていた。
あぁ、なんて平和で楽しい夜なんだろう。海外であまり1人で夜中に歩くことはしないが、ポーランドに来てからまったく怖くない。ま、歴史地区にいるからかな。
巨大なステージと後ろに巨大スクリーンもあり、チケットで中に入らなくても周りの柵のところで十分みれる。
司会が、イスラエルから来た人がいるかと掛け声をかけるとステージ近くの人たちがイスラエルの国旗を振って歓声をあげる。
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ユダヤ人ってなんだろうと思う。
この私のすぐ右横で微笑みかける老夫婦も左横のカップルも、ステージ前で歓声をあげる若い子たちもここに集まる沢山の人たちのどの人がなに人であるのか、全く区別がつかないのである。
この区別のつかない人たちを区別するのが差別であり、選民思想であり、戦争なのだろう。なんとちっぽけな馬鹿げた行為だろうか。
この中で私のようなアジア系の人間を探す方がどんなに簡単に見分けられるか。肌の色や顔の作りなど明らかな外見の違いでなら区別はつきやすいのだが、外見の違いでさえ国籍や宗教は、わからないのだし。
しかし、この大人数の中でも、アジア的な人はほぼ見かけず、かろうじて日本人らしき女の子2人組を1回見かけただけだった。
みんな来ないのか。
こんな素敵な夜なのに。
こんな平和な夜なのに。
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屋台で、クラフトビールにグレナデンシロップを入れて、盛り上がる会場と平和な今宵に乾杯する。
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