2018/12/09

④壊された街、壊せなかった想い (2018/6月)

あぁ、なんて綺麗なんだろう。
日が沈みかかり、夜が始まろうとするワルシャワの旧市街の王宮広場で、息をのむ。
広場に面した店々の灯りが目につき始めた頃、馬蹄の軽やかな音が石畳に鳴り響き、振り返ると高い石碑の背後の空はオレンジ色に染まりながらどこまでも広がっていた。
スリリングな曲に合わせ、大道芸人が炎を吹き、観客が歓声をあげる。
子供たちが楽しそうに追いかけてじゃれ合い、家族がたしなめながらも温かくそれを見守る。
若い男の笑い声が一瞬響き、また誰かの笑い声と歓声が重なる。
恋人たちが橋の上で景色を眺めて、微笑み合う。
オープンテラスで陽気に笑う赤ら顔の人たち。
控えめにライトアップされた建物や街灯は、これからくる夜を優しく迎え入れていた。
今宵は満月だ。
ヴロツワフもそうだが、ワルシャワにいたっては、第二次世界大戦中に徹底的に壊された。
たぶん東京大空襲と同じくらい完膚無きまでに瓦礫の山となった。
ワルシャワ蜂起博物館で使われている、1945年春のワルシャワ航空写真を元にデジタル復元した映像“Miasto ruin(2010年製作)”からの画像。
何一つ残っていない街を見て、当時の人はどれほど打ちのめされただろう。
人は死ぬ、物は壊れる、だがそれ以上に、人の心も壊れるのだ。
戦争は、人の心を壊していく、今も昔もそれは同じで、それが一番タチが悪い。
徹底的に壊された街を見て、日本人はそこに新しい東京を建てたが、ポーランド人は、壊される前の自分たちの愛した街をものすごい根気で復元した。それは、もう執念に近かったと思う。
ポーランドは戦後、戦勝国になったが、戦勝国とは名ばかりの甚大な被害と膨大な犠牲の中にあった。すぐさま、ソ連の傀儡政権によって統治されることとなり、マルクス・レーニン主義の共産主義国家のポーランド人民共和国が誕生する。
その名残が、前回の写真のスターリンタワーである。
市民が切望する旧市街(歴史地区)の復元など、(スターリンタワーを見れば如実なほどに)ソ連は望んではいなかったから、よほどの市民活動の賜物だったと思う。
残されたスケッチや風景画を元に、壊された瓦礫を再利用しながら”レンガのひび割れ一つに至るまで”市民の手で復元したと言われている。
王宮地下のエキシビションルームの映像は、歴史地区及び王宮の復元について詳しく伝えていて、面白かった。
その想いだけでも、この歴史地区の今日までの美しさに、胸がいっぱいになった。
人間は、強いなぁ。
1980年、世界遺産登録 文化遺産『ワルシャワ歴史地区』

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