駅前にも白虎隊の像がある
ということで、白虎隊が自刃した飯盛山へ
ここにも |
自販機も |
本当に小さいころに、テレビで時代劇のエンドロールで堀内孝雄の『愛しき日々』が流れているのを聞きながら号泣した記憶があった
10歳以下だったはずで、あの時、本編は観ていなかった気がする(覚えていないから)
ただただ、あまりに歌とエンドロールの映像が悲しくて仕方がなかった。
それを今の今までずっと忠臣蔵だと思っていたのだが、白虎隊だったことに、今ネットを見てて、気づいた…そういえば、エンドロール雪降っていなかったしな
そんな訳で、知識は本当にわずかだったのだけれども・・・
参道 |
心臓破り(?)の階段 隣に動く歩道のエスカレーターがあります |
あまり写真を撮る気もおきなかったので、一枚もとっていませんが
白虎隊以外に、白虎隊の前進の少年兵、その他多くの会津藩士関係者の自刃した女性子供の合同碑などもあります
本当に嫌な話ですが特に白虎隊は
介錯する人もいなかったので、切腹した後、なかなか死ねずにその苦渋の様子は地獄絵図だったそう
生きる選択肢がなかったことも不幸だけれど、切腹以外の死を選べなかったことも、武士道精神の悲劇としか思えない
ここで、ボランティアガイドのおじちゃんに詳しく説明してもらいます
本当に素晴らしい説明でしたし、面倒くさい質問も全部答えてくれました。
ありがとう、平野さん
ですが、本当に申し訳ないが、
飯盛山の話は美談とは、到底思えなく
どちらかというと、自分には悲痛さに気分が悪くなる史実である
こんな歴史は、繰り返さないでほしい
ところで、そんな白虎隊のエピソードに心打たれたのか、何だか知らないが
(内容的には、彼らの武士道精神とかに感銘を受けたために贈られたとされているのだけど)
イタリアファシスト党のムッソリーニ総裁から贈られた、巨大なポンペイ遺跡の石柱の碑が建っている
ヒトラーユーゲント(ナチス党内の10~18歳の青少年組織)も、枢軸国の文化交流の一環として来日した時に、白虎隊のお墓詣りをしているとか
その後、ドイツから贈られた鉄十字の紋章の入った碑もある
ムッソリーニからの贈り物は、すごい存在感のあるモニュメントになっている
なんだかな・・・
国の重要文化財の さざえ堂 ちょっとエッシャーの絵のような木造螺旋造りになっている |
千社札がびっしり貼ってある あまりに貼られていると、一見、魔除けの札に見える |
紅葉が綺麗 |
飯盛山の厳島神社 |
白虎隊が移動に使った 水路のあるところ |
もち屋 おいしかったな~ もち屋って山形にもあるけど 東京ってあるのかな |
赤べこ |
白虎隊だけクローズアップされていて、他の大人はどうしてたんだと、無知に思ってたのだけど
どうやら
会津藩では軍制をフランス式に変えて、中国の四神の名をとり,年齢別の4隊に編成したそう
玄武隊 50歳以上
青龍隊 36~49歳
朱雀隊 18~35歳
白虎隊 16~17歳
(すべて数え歳)
上記の年齢以上(隠居組)と以下(幼少組)なども編成されていたらしい
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