2020/01/16

㉕ポーランド最古の修道院に泊まる。(2018/6月)

ポーランドに行く前は、気分的に、アウシュヴィッツに行った日にティニェツ修道院に泊まりたかったのだけれど、今思えば、ポーランド最終日に泊まれて良かったなと思った。
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クラクフ旧市街からバス(またはヴァヴェル城の下から水上バス)で行ける美しい川沿いの高台にあるお城の様な外観の聖ヴェネディクト会の修道院。
前回書いた歴史遺産のヴィエリチカ岩塩坑と同じ頃(11世紀)に出来たそう。
何度も大きな戦争で破壊されては建て直し、第二次世界大戦でも破壊されたが、長い年月をかけて修復し復元してきた。
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↑photo by Ministry of Foreign Affairs of the Republic of Poland
上はflickrからの写真だが、水上バスで来るとこんな風に見えるそう。本当にお城のよう。
私は時間帯的に水上バスはなかったので、路線バスで向かう。
バス停からなんとなく、カンで川へ向かって10分ほど歩いて行くと(この頃になるともうGoogle mapとか全く使ってなかった…笑)、夕方前くらいに到着。
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光も空気も優しく穏やかで、ポーランドに来て色んなものを見て感じて、ごちゃごちゃ考えてグルグルしていた気持ちが、静かな美しい景色の中にスーッと溶けていった。
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ネコ氏と門をくぐる
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ネコ氏、一番の特等席を陣取る
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壁などには昔の名残や、修復の過程が見受けられる。それと共に壁には射撃用の小穴も見ることができる。
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建物の中でのんびりとしていると、教会の柱から出てきた妖精みたいなご高齢の修道士のおじいちゃんが、ニコニコしながら話しかけてきた。ポーランド語とドイツ語しかわからないんだよっと、言いながらどちらか話せる?と聞かれたが、どちらもわからず、唯一言える”ありがとう” をポーランド語で伝えた。翌日に知ったのだが、彼は戦中からこの修道院に居る最長在籍の修道士で御年88歳、SNSやラジオ(?)などもされているので、マスコット的存在らしい。話しかけてくれた時、最初、彫像が動いてきたかと思った。
とても素敵な方で、少し話しただけで不思議とすごく暖かくなる。
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ここは、モンクだけなので、聖職者は男の人ばかり。シスターたちは、この修道院所属ではないが、近くの教会から物販などに来ているらしい
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夕方のミサに端の方で参加した。時間になると、近所の人たちが車などで教会にやってきて、教会内は結構いっぱいになった。ポーランド語で歌のような節回し(完全に歌なのかも)で、堂内に反響した言葉は耳に心地よく、とても美しいミサだった。言語も教えも何もわからないけれど、ほとんどの世界宗教の礼拝や祈祷の儀式には、荘厳さと美しさ(様式美)があって、たとえ信仰がなかったとしても、何か心が静まり安らかになる気がしてくるから不思議だ。
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おそらく私の様な、キリスト教でもない宿泊客は少ないのかもしれない。もちろんこの修道院の修道士がたくさん寝泊まりしているし、敬虔な信者もたくさん泊っている。
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修道院内(宿泊部分)、↓この踊り場の先に部屋がある
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私の部屋はシングルルーム(シャワー・トイレ共同)にしたが、家族用や、バストイレ付きのデラックスルームもあるらしい。すごくシンプルだけど、居心地が良かった日本円で2000円くらい(洗面台と机も聖書もある)。
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眺めもいい部屋
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宿泊すると、修道院の内部や古い部分など案内してくれる(宿泊しなくても日に何回かツアーがあるので頼めば500円くらいでガイドしてくれる)。もちろん日本語ないから、英語だけど、私一人だけだったので、まさかのマンツーマン…非英語圏だから聞き取りは何とかまー大丈夫だったけど…いや、大丈夫だったのかな…この見上げてるイケメンのジェントルマンが案内してくれました。
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様々な宗教施設で会う人や敬虔な信者の人は皆、本当に人当たりのいい親切な人しかいなくて、邪心と煩悩の塊の私のさもしい心さえ洗われる気がする。こんな人たちだけの世界だったら平和なのになぁとさえ思うのに、片や、昔から争いのほとんどが信仰や神の名のもとで行われ、無差別なテロが起き、血で血を洗う宗教対立が起き続けている、この感覚の差を理解できないのは深い信仰を持っていないからなのかなと、複雑な気持ちになる。
少なくとも宗教者であれ、無宗教者であれ、私がポーランドで会った人たちは本当に親切にしてくれました。 Dziękuję‼

※ポーランド旅行記バックナンバーまとめ※随時更新①~

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