なんでこれを読もうと思ったのかな…
美術系大学出身の人、これ、読んでっ、とりあえず。(特に30-40代)
あー、なんだろうか、というか、もうさ、美術系って人種は同じなのかな?
なんか、登場人物のほとんどが自分の記憶とかぶるのだけど
アート系の変人系統と学生生活ってテンプレートなのかな
あたかも不思議な人たち風に描いてるけど、むしろこの人種は懐かしい勢いだから…
いや、もっとわけわからない人ばかりだったよ…
私、普通すぎてポカーン…だったけどさ、
今や慣れてしまったから、逆に社会性があるアート系以外の人の方がわからなすぎて、アート系の中にいるとホッとしてる自分さえ自覚したよ…
しかも、いろんなことがかぶる…
なんだろう、ほぼ同世代で、美大受験決めた時期がほぼ同じで、大手予備校ではなくアットホームな美術研究所に行ってて、大学が地方で、それから、それから…
…後悔はしたくないのに、なんであの時にってのも、いなくならないとわからないのも、卑怯さも、弱さも、言い訳も……
だからなんか、色々ギシギシ来たけど
なんか、心が救われた
救われていいのかわからないけれど
ありがとう、東村さん
推薦落ちたのも、絵が下手すぎて試験中に周りの人の描き方を見て絶望したのも、そのまますぎて…本当に懐かしい…
でも、私の美術研究所の絵の先生だけは、全く違うかな
私を甘やかしすぎてたから、そして、それに甘えまくりで安住して、今に至るから…
たぶん、美術の才能がないのがわかったから、すぐに見切りをつけて、私の"甘え倒して世間を渡るスキル"を伸ばしてくれていたのかもしれない…と、今なら思う
あと、余談だけど、宮崎の人とか土地のあったかい雰囲気も、
今年行ったばかりだから、すごくわかって面白かった
大学の時、ちょっと教え方が鼻に付く感じの先生(本当に失礼です、ごめんなさい…)の座学で、
たしか宮沢賢治の最愛の妹の死を詠んだ"永訣の朝"だったと思う
その時に
(死別などの)深い悲しみを表現する(アウトプットする)ことによって、悲しみを昇華させ自身が慰められる、みたいなことを言われて
その時の私は、それがよくわからなくて、しかもなんとなく深い悲しみへの冒瀆な気がして、なぜかすごく頭にきて、その日のレポートに用紙ビッシリと反論を書いたことがあった
眠くなる内容だし、ほとんど誰もまじめに聞いていない授業だったので、解釈はどうあれ私みたいにいきり立って長文のレポートを出す生徒も珍しかったので、レポート評価は良かったが、コメントは批判的だったと思う
でも、それから数年後になんとなく気づき、
今になって、ようやくわかってきました
深く悲しいことや辛いことは、外に出した方が良いんだなって
すぐには無理かもだけど
時間かかっても、それを自己表現すること
向き合うのは、すごく辛くて大変だけど
その分、少しだけ傷が癒えるから
それは、自己満足で良いのだと思う
それを他人がとやかく言う筋合いはないんだし
けど、
私は、何度か同じような状況になったけれど、全部逃げて来てしまった
彼女は、何度もクズだと自分を罵るが、私はそれの上をいく臆病者のカスで
この先も、別れ"に面と向かい合うことができるのかさえわからなくて、負い目と不安が付きまとう
だから、語る資格すらないんだろうけれど
ただ、近い人たちには、
十分に苦しんだのだから、
今度はちゃんと自分を救ってあげてください、と思います
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