後日、感想として、
コーネルみたいな雰囲気だね、と言ってくれた
その時まで、コーネルを明確に認識したことはなかったが、作品は見たことがあった
コーネルのもっとも有名な作品は、コーネルの箱と呼ばれる一連の箱作品
両手に抱えられる程の大きさの手作りの木箱の中に、収集したスクラップやガラクタを使ったコラージュで感傷的な幻想世界を生涯で800点以上作っている
その数年後、たまたま、コーネルの箱を集めた企画が美術館であり、
認知してから実物を見に行く機会があった
実物からは、なんとなく暗く屈折した偏愛や固執みたいなものを少し感じて、
見ているとひどく不安になったが、嫌いではなかった
ただ、彼の作品は、写真の方がなんとなくアクが抜けていて見やすい
実物は、作風と素材のせいもあるが、
アンティーク店に入った時の独特な気味の悪さや不快感があり、非常にウェットなので、
写真だとそれが和らいでノスタルジアやロマンティックが強調される気がする
それから、10年くらいたって、
たまたま国立近代美術館の常設展で、コーネルの箱が一つ展示されていた
たしか、"Vienna Bread Bakery(ウィーンのパン屋)"だったかな
見た瞬間に、なんとも言えない気持ちの悪さと目眩を感じて、貧血みたいになってしまった
臆病で不遇な引きこもりが、地下の部屋で、世界中を旅した先で泊まるホテルや街を夢想して作ったんだろうと想像すると、それは私にはあまりに切なく苦しかった
"Vienna Bread Bakery(ウィーンのパン屋)" |
ジョゼフ・コーネルは、アメリカを代表する偉大なアーティストの1人
キュビスム、シュルレアリスム、抽象表現、ポップアートと移行するアメリカ美術史の中でどれにも属することを拒み、どれにも入り込んで、多くの作家に影響を与えた
晩年に、一定の評価を受け、アーティストとしての名声は、今なお続いている
『ジョゼフ・コーネル 箱の中のユートピア』は、そのコーネルの伝記である
空想の中で生きた、人付き合いが苦手で慈悲深い風変わりな紳士
空想の中にとどまり続けるには周りの環境がそれを許さず、また、受難が多ければ多いほど、空想で世界を補完していた
彼は愛情表現が非常に特殊すぎる
その点が、彼の人生も作品もすべてを支配していたし、頭がおかしいとか人嫌いだとか思われていた要因だと思う
そして、他人と肉体的にも精神的にも交わることに支障をきたしていた
ユートピア・パークウェイの自宅の庭 |
生涯のほとんどを、母親と小児脳性麻痺の弟と一緒に、アメリカのニューヨーク州クイーンズのユートピア・パークウェイ(寂しい田舎町)にある小さな木造家屋で暮らした、冴えない洋服を着たやせ衰えた男だった
一つ下の弟への愛情深い献身的な介護と、母親の過剰な監視のもと、
慢性的な不眠と偏頭痛と鬱病を患いながら、おびただしい収集物のガラクタ(宝物)に囲まれた地下の仕事場で日々を過ごし、
唯一自分を自由にしてくれた空想と神への祈り(クリスチャン・サイエンスの敬虔な信者)で不遇な環境を埋め合わせ、
修行僧のように純真で禁欲的(いや、過剰な女性崇拝、又は、同性愛としてではないアニマ)で、69年間の生涯童貞であった
コーネルの子供っぽい、いや、純粋で崇高なエロスとフェティシズム
そこからの生まれる狂気じみて不器用な愛情表現が、あまりにいじらしく哀しい
近年再び日本で、草間彌生がにわかに取りざたされている
もしかしたら、草間彌生の唯一の年老いたボーイフレンド(約30歳差)として認識される方が、
この先日本で、箱以外でコーネルを一般的にするのかもしれない…
また通説では、コーネルの死で精神的に不安定になり長年のNYC生活から帰国したらしい
(これについては後付けの感傷だと思うのだけど…たぶん親の死と病気の合わない投薬と過労がかなり原因だと思うのだけど…私は。)
この本での草間彌生は、500ページ中ほんの1,2ページほどしか出てこない
その中の彼女は、こちらが不快になるくらいコーネルに冷淡で、怒りさえ覚える
名声とお金と作品への興味本位のみの自己中心的な関係にしか見えない
しかし、草間さんの自伝『無限の網』の中では、少しだけ違っている
そこに書かれている関係は、コーネルの廃人的容貌と狂人っぷりに困惑しつつ、作品とアーティストとしての尊敬と興味と、彼の境遇への哀れみや情が漂っていた
そして、この自伝でコーネルについて誰よりも多くページを割いている
いや、割かざるを得なかったのかもしれない
創作に追われていた彼女の時間を強迫的に奪えたのは、常人の時間軸で生きていない狂気のコーネルだけだったし
引きこもりの強烈なストーカー愛は、トラウマ的に生涯忘れられないだろう
それに、草間さんもまた愛に飢えて、情深く、ひどく繊細だったと思う
その彼女が、感傷的に過去のPTSDを語ったとしても、うなづける
毎日毎日、5時間以上の電話をかけて来て、ポストに1日何通ものラブレターが入っているなどという、草間さんが辟易していたコーネルのストーカー的愛情表現は、
彼にとっては、至極まっとうな愛しいモノへのいつもの愛情表現で、彼女だけではなかったみたいだ
だが、性愛としての愛は、たぶん、草間さんが初めてだったと思う
それまで、惚れやすく異常な女性崇拝と身体以外の部分への愛情による執着をしていたコーネルだが、一般的な性愛に関しては、裸体を目にすることさえ罪の様に避けてきた
だが60歳を目前にして、コーネルの神聖化した童貞力(一般的な童貞力とは180℃異なる)は、初めて一般的な興味へと降臨してくる
その時期、知り合った女性に、創作材料としてヌード写真やヌードモデルを切望したり(断られる)、大衆紙のヌード画像を切りぬいたりし始める
そして、その時期に出会ったのが、クサマ・ハプニングなどセックスをテーマに過激なセクシャルパフォーマンスをしてい草間彌生で、
彼女に(も)恋したコーネルは、すぐにヌードデッサンを誘う(ちなみにコーネルは、デッサンがまったくできません…)
彼女にとっては、もうすでに裸という概念に抵抗がなかったのだろう
コーネルは、はじめてみる生身の女性の裸体を凝視し、また性愛として実物に初めて触れることになる
その日のコーネルの日記には、恍惚さがフランス語で表現され、デッサンの線は興奮で震えていたという
"初めての女性"に入れ上げてしまうのは、普通の事
しかもの積年の想いが昇華されたのだ
コーネルは、作品にも心の宝箱にも、大切に慈しみしまっておくだろう
だが、コーネルはEDであった
もともとなのか、それとも長年の抑圧の為か…
そして、草間さんも男根恐怖症であった(その恐怖があの過激な作品を生んだ)
もしかしたら、それは2人にとって幸せな偶然の不運だったのかもしれない
たぶん、最期に会った時の2人 草間さんとコーネル |
この草間さんとの性愛のほんの少し前にコーネルは、ジョイスという18歳の女の子に悲しい片想いをする
それは、弟に対するのと同じように尊いまでに無償の愛で、まるで聖書の様だった
(これは、長くなるの下記*へ省略…笑)
私は、コーネルの作品だけを見て
ずっとフランス人だと思っていた
理由は、上記に書いたように作品が偏愛的でウェットに見えたのと、
作品のいくつかにフランス語が使われていたから
どちらにしても、
ねっとりと舌に絡みつき、鼻から抜けていくくぐもった吐息のような甘ったるさと、愛しく古く小さき物への少し病的な執着(フランスに対するポジティブな偏見と、ロマンティックとノスタルジアの独断的な和訳です)を感じたコーネルの箱は、オタクなフランス人アーティストにしか見えなかった
しかし、この本を読んでみて考えが少し変わった
コーネルの箱は、願望や怨念が染み込んだ箱ではなく
狂おしい愛や欲望は、収集する行為にあり、
箱は、自分が愛した美しいものたちの標本、または、葬いのための棺桶であり
生まれ変わるための子宮ではないかと
だから手放せず、それをお金に変えることが許せなかったし
他人にいくつもコレクションされるのを恐れた
彼は、臆病だけど愛情深いから、
永遠性と引き換えに
愛したものを大切に弔った小さな木枠の柩に、彼の好きな瞬間を納める
そして、それはコーネルの中で永遠の命を持ち、空想の中で生き続ける
コーネルと箱 |
そして話は、はじめに戻るが
私の作品のどこらへんの雰囲気がコーネルみたいだったのだろうかと考える
似ているのが、奇人的な性格ではなくて良かったけれど
そういえば、
小川洋子の『薬指の標本』という本に出てくる、依頼されては様々な標本を地下室で作る標本技術士の弟子丸氏は、コーネルからきているのかと思っていた
だけど、弟子丸氏ほどの余裕も色気も積極性も、コーネルには1ミリもない
それに、彼よりもよほど、現実のコーネルの私生活と対人スキルは奇異である
コーネルの箱はアイロニーや詭弁が見当たらないと思う
愛と慈しみが溢れている
そして、作品に時間的色気はあるが、全くエロ気がないのだ
だから、ウェットではなかったのだ
そう考えると、今度は、コーネルの箱に会いたくなってきた
--------
読書感想につかった本
『ジョゼフ・コーネル 箱の中のユートピア』
デボラ・ソロモン
|
●
『無限の網』 草間彌生 ちょっとこの人の文章の書き方苦手だった、自伝だったからかな |
『無限の網』の中から 意味が分からないから引用したくもないけど、なんか面白いので写真だけ クサマハプニングの一連の話が、全く賛同できないがイカレテいて面白かったので 2ページだけ抜粋したが、この章の全体の内容が相当狂っている しかも、聖書を焼いたとあったが、今の時世だったら首を切られていたかもしれない 国が違っていたら、確実に死のファトワーが全世界に宣告されていただろうな 反戦どころか、戦争勃発だよ… 怖い… |
●
『薬指の標本』 小川洋子 本当はこういう偏愛とかフェチみたいなものは、総じてエロくなるものだけど、 コーネルの場合は、全くそれがないから、すごい 同書収録の『六角形の小部屋』が好き |
---------
記*
ジョイスハンターとコーネルの悲恋
異常に惚れやすく、また、子供じみた執着と内気で臆病なため、何度も独りよがりの恋をして、その都度、空想で執拗に愛でては現実に打ちのめされ挫折してきたコーネルだが
60歳くらいの時、何処にでもある小さなコーヒーショップで出会った女の子に何十回目かの恋をする
小柄でふっくらした、ヨレヨレのブロンドの髪を背中まで伸ばした平凡な18歳のウェイトレス
ジョイス・ハンター
家出して、シングルマザー、お金がないから男の部屋を転々としていた
彼女もまた不遇であり、その悪循環な境遇から逃れるすべを知らなかった
コーネルの一見中学生のような純真な片想いは、
彼女(と悪い仲間)に利用され、ひどく裏切られてもなお、コーネルは彼女を愛し、何度も許していた
もう、それは無償の愛だと思う
ジョイス・ハンターが、コーネルを良くは思っていなかったとしても、
八方塞がりの彼女の短すぎる人生において、コーネルは、聖人君子そのものだったと思う
が、それは片側からの見方にすぎないのだろう…
彼女からしたら、もしかしたら、
惨めで可哀想な、孤独のロリコンの老人ストーカーで、金ヅルとしか思っていなかったかもしれない
気持ち悪いとさえ、感じていたかもしれない
だが、その頃のコーネルの日記には彼女が溢れていた
ここで、注意すべきは、
コーネルは片想いだったのだ
交際すらしていない
だから何もしていない
ただ彼女の働くカフェへ何度も通い、彼女を盗み見て、お手製のアート作品をコーネルの友人に渡してもらい、少しだけ話せるようになり、
慣れてから、画廊へデートに誘い、ランチをして、ほんの数回お家に招待して作品を贈り、お茶をした。
ほんの数ヶ月のほんの数回。
それで終わりである。
いや、大事なことを一つだけ抜かしてしまったが、
コーネルは、この時に人生ではじめてキスをしようとしたらしい…だが、それが口だったのか、頬がただ少し触れただけだったのかよくわからないが、歩いている途中に、
ただの一回だけ!
天にも昇る心地だったろう
彼のこの日の日記に、キスをしたと書いていた
それからすぐに、ジョイスはコーネルの前から姿を消してしまう
そして、その数ヶ月後、またいきなり友人を連れてコーネルの前に現れてて、作品が欲しいとたかりにくる
コーネルは傷つき、悲嘆に暮れ、断った
その2年後(この間に、草間さんとの関係があると思う)
こんどは仲間と共謀し、コーネルの作品を自宅から窃盗する事件がおきる
夜中に忍び込み盗まれたコーネルの作品は、画廊に安値で売りつけられていた
不審に思った画商がコーネルに知らせ事件が発覚する
が、コーネルは、仕打ちに心痛めても、告訴さえ躊躇していた
周りに説得されるような形で警察に告訴した後、
ジョイスの恋人が重窃盗罪、そして
ジョイスともう1人が軽微な罪で起訴された
それでも、コーネルは、自分を責めて彼女を救いたいと思い、弁護士を頼みにいき、
お金のないジョイスの保釈金をコーネルが用意する
そして裁判では減刑するために証言にも立たなかった
この時の弁護士がコーネルの事をこう表現している
"三分の一が詩人で、三分の一が東海岸出身の商人、そして残りの三分の一は、完全に頭のいかれた狂人"だと思ったと
そして、コーネルは保釈後も貧窮する彼女に度々生活費を援助した
だが、彼女は、12月18日(コーネルの誕生日の6日前)に他殺体で発見される、享年21歳
そして、警察から身元確認を頼まれたコーネルは、あまりに取り乱し、すがるように友人に頼み、代行してもらう
そして、彼女の遺体は、お金を出して葬儀を上げてくれる友人もおらず、長い間音信不通の親にさえも受け取りを拒否され、誰も引き取り手のいないまま、市営墓地に埋葬される前に、コーネルが名乗りを上げ、埋葬代を払い彼女のために場所を選んだ
彼女の突然の死により、悲しみのあまりコーネルは生涯、彼女を自分の中で生かし続け、慈しみ祈り続けることになる
この不器用すぎる純真無垢で慈悲深い老人の愛情深さに、胸打たれ少し泣いてしまった
0 件のコメント:
コメントを投稿