晩夏の薫りがかすかに残る頃
季節ものを目にして、学生の時にお世話になった方のお母様の好物を思い出し贈ると
丁重なお礼とともに、1つの訃報も受け取る
在学中にお世話になり、葉書などを出していたが、10年近くお会いしていなかった先生だったのに
もうどうやっても、この世で会えないことを頭と心で認めなければならないのは、なかなかの難儀である
御葬儀に行けもせず、ソワソワと、何をしたらよいのかわからないでいると
先輩が、御香典などの連絡をくれて、何かできることに、少しだけ気持ちが救われる
もう、自分もいい歳だし、下にはたくさん後輩もいるのに、未だにそんな先輩方のようになれる気がまったくしなく、頼もしさにすがり、おんぶに抱っこである
見た目がムックみたいで、穏やかで大きく優しくて
のんびりした山形弁訛りで目尻を下げて笑う、とても温かい先生だった
モシャモシャの髭面なのに、手がとても綺麗で
ロクロの上で、それは精巧に動いて、黄味色の磁土が飼い慣らされた生き物のようだった
実は内緒にしていたが、先生が見本で作ってロクロ場に置かれていた蓋物を、演習終了後に勿体無いから勝手に釉掛けして焼きました(後で、白状したが)
下手くそな生徒だったが、根気よく教えてくれたはずなのに、
覚えているのは演習内容より他愛のない雑談ばかりで、
玉の輿に乗る方法とか、学校に連絡がきた古い知人の話とか、先生の弟子入り時代の話とか、好きなスニーカーの話とか、そんなことしか覚えていない
もっと学んでおけば良かったとほぞを噛む思いばかりだが、
でも、そんな話こそ、制作中にふと思い出して、殺伐とした気持ちが少しホッコリするのだから、
まったく教え甲斐のないダメな生徒だが、教わるとは不思議なものだと感じる
そんな事情で同級生に連絡を取ると、
卒業する時に、先生から一人ひとりに手紙をもらったという話になった
全然記憶になく、言われてもピンと来ない
もうその頃の記憶も曖昧である
大切な手紙類は基本的に取ってあるので、箱の中を探してみると、テープが少し黄ばんだ飾り気のない白っぽい封筒に入ったレポート用紙が出てくる
もらった状況は思い出せないのだが、
あぁ、確かにこれは、読んだなぁと思う
暗に私個人に向けた言葉なのか、一卒業生に向けた言葉なのか、いまいち判断がつかないが、
手紙なのに、
口癖の、何だべなぁ…と、何度か吐きながら
物作りについて独り言のような手紙だった
その頃の私は何を思ったのか忘れてしまったが、
10年近くたって再度読むと、今の私の痛いところを突かれているなと、少し考え込んでしまった
自己紹介するときの、単なる記号として、陶芸家ですと伝えるが
自分を陶芸家だと思えたことがなくて、カテゴライズする必要はないのかもしれないが、
じゃあ何かと聞かれたら困るし、説明するのも面倒臭い
でも、先生の手紙から、この人はやきものが好きで良いモノを作り続けている人なんだなぁとしみじみ感じる
陶芸家ってこういう人であって欲しいという理想そのものなのだから
私の陶芸に対する罪悪感は募るばかりだ
最後に会った卒業後のある時に、やはり別の訃報に集まった席で、ふくちはこれを予知していたんだなぁっと私の出した手紙を握りしめて聞いてきた時があった、が…
先生こそ、今の私を予知していたのですよね?と聞きたいけれど、
…もう、できないじゃないですか…
何だべなぁ…
今頃、薬師如来の御前におられて、7回目の審議の頃だろうか
早すぎるよ、先生
0 件のコメント:
コメントを投稿