2014/06/28

ことばについて

最近、文章が自分の習慣から抜けてしまっていた
気にも、とめていなかったのだけど、
でも、そういえば、Blogの更新も写真だけだし、タイトルと一言くらいになっていた

英語が苦手な上に、やたら日本語が好きだから、
英語の取得に支障が出ると思って、
無意識に日本語をなるべく読まないようにしていた
でも、英語は、結局ぜんぜんできないままで、
その上、日本語も抜けてきた

言語自体は、なんでも好きだし、
理解できたら楽しいだろうなと思うけど、怠け者だから難しい

日本からはるばる出てきて、こちらに住みたがる人たちは、
日本に嫌気をさしていたり、日本語が面倒くさいという人がいて、
結構、おどろく。
カナダが住みやすいらしい
一生ネイティブの言語にはなれないであろうこの土地の方が、住みやすいとは、なかなかの決断なはずである。

日本で何があったというんだろうか…
年端もいかないのに、何か大変苦労してきたのかな、とか…
大きなお世話だが

私は、日本語の回りくどさも好きだし、独特の慣習も好きだ。
それに慣れてもいるし、文章の持って行き方や流れが、とても美しいものであることも知っている。

ニュアンスも含めて、ただただ美しいと感じられる文章を、果たして私は日本語以外で同じように感じることができるのだろうか…そのレベルまでの他言語の習得が出来ないだろうな

久々に好みの文章を読んでいたら、
あぁ、これ好きだなとか思って、
また書きたいなと思う

ちょっと前までの当たり前の習慣が、すっかり抜けてしまっていたのを思い出した

生きた年数の分、自分を変えるのは難しいことで、余程のショックを良い意味でも悪い意味でもある一定の期間受けない限りは、なかなか変われないと思う

だけど、習慣が抜け落ちることは、割と簡単らしい。
簡単だから、気づかない、
でも、気づいた時に、そこはかとない哀しみを感じる

抜け落ちたことが哀しいのじゃなくて、抜け落ちていたことに気づかなかったことが哀しいんだろうな

言葉は一生つきまとう、
どんな言語であれ、生きている間は、ずっと。

難しくて、面白くて、美しいもの

どんな言語であれ。

0 件のコメント: