2019/07/01

㉑参考資料の感想(ドキュメンタリー編)Auschwitz-Birkenau編14

見られるドキュメンタリーは、いくつかみたのだが、
自分的に興味深かったものだけいくつかピックアップ。
何年に、どこの国で制作か、というのもまた、みる時に一応参考にした。


『ヒトラーチルドレン/Hitler's Children』(2011年/ドイツ・イスラエル製作)

戦犯となり死刑になったナチスの最重要幹部、ゲーリング、ヒムラー、アーモン・ゲート、ルドルフ・ヘス(アウシュヴィッツ所長)、ハンス・フランク、の孫や子(しかも皆、容姿を強く遺伝している)にスポットを当て、インタビューなどを入れたドキュメンタリー。忌まわしい過去が血や名前により膿み続けている姿が、本当に重く辛いが、そこに救いや光もある。彼らの言葉が、本当に胸に響き、涙が出た。

『人は最期に歌をうたう/When People Die They Sing Songs』(2014年/アメリカ製作)

ホロコーストを生き延びたアメリカ在住のユダヤ人の母親が認知症になったのをきっかけに、音楽セラピーを通して、母娘が、家族の過去と今とに向き合う。悲惨で辛い出来事は消えずとも、その延長線上にある人生の時間が、優しく流してくれるんだなと思えた。

『ニュルンベルク裁判/Nuremberg Nazis on Trial』(2006年/BBC製作)

ドキュメンタリードラマで、第1回アルベルト・シュペーア、第2回ヘルマン・ゲーリング、第3回ルドルフ・ヘス(副総統)。再現ドラマの作りが、さすがBBCだなと思い、不謹慎ながら楽しんで見てしまった。エンターテイメント的。

『アウシュヴィッツ/Auschwitz: The Nazis and 'The Final Solution' 』(2005年/BBC製作)

6回シリーズ。かなり詳しく過程と経過と結果が順を追ってわかる。当事者の証言や今はない施設などをCGで再現しているので、わかりやすい。坦々と進んでいくが、内容はやはりかなり重く辛い。
BBCは、ドキュメンタリーを作るのが本当に上手い。

『アフター・ヒトラー/After Hitler』(2016年/フランス製作)

破壊し尽くされたヨーロッパの第二次大戦直後の混乱から復興、そして冷戦への動向を残酷に映している。
戦後は、敗戦国のドイツ人やナチスに加担した者が標的になり、侮蔑、嫌悪、略奪、暴力、強制労働、レイプ、処刑、リンチ…
目には目を…復讐が繰り返される。
そして、戦前から根強く残る反ユダヤ主義もまた消えず、地獄の収容所からギリギリで助かったユダヤ人たちは、居場所を求め大移動を余儀なくされ、また、やっとの思いで解放されたにも関わらず、猜疑心から集団で殺される事件なども起きる。
そして、人類は核戦争の脅威へと向かう…。

『ディファメーション/Defamation』(2009年/イスラエル人監督)

イスラエル出身のユダヤ人が撮るから成立する”反ユダヤ主義とは何なのか?”というドキュメンタリー。これは、なかなか面白かった。
だから、パレスチナ問題はややこしくなり、イスラエルは頑なになるんだな…。過去の傷は深く癒えないが、膿み続けては未来も暗く、世界はより窮屈になるんだろうとも思う。

『600万のクリップ/paper clips』(2005年/アメリカ製作)

ほとんど白人しか住んでいないアメリカ南部テネシー州の小さな田舎町の学校で、差別についてホロコーストについて学ぶ授業として始めたプロジェクトが、地域を、アメリカを巻き込んで、やがてヨーロッパや世界と、そして過去と未来につながっていくという話。
アメリカ南部の学校でのプロジェクトというのがすごい。
そして、これは教育の理想だなぁと思う。
大人たちの関わり方や、生徒だけではなく、先生が親が大人が地域が、世代や立場や距離を超えて学んでいく姿は素晴らしかった。

その他・まとめ

あと、言わずもがな、『映像の世紀』は良いです。
ナチス関連のドキュメンタリーは、オカルト的なテーマの物も多かった。
ナチスは、世界観政党なので宗教的なものに近いのかもしれない。
また、ナチスの幹部たち個々にスポットを当てたものなどあったが、どちらかといえば、”悪の凡庸さ”という意味で、アイヒマン(彼は幹部だが)や元SS、元党員など”普通”の人の話を見ている方が、ゲーリングなどを見ているより底知れぬ怖さがあった。
ホロコースト関連は一様に辛く悲しいものだった。
若かりし頃や過去を話す時に、人は思い出により若返るのか少しハイになって話す傾向にあると思う、だがフッとした瞬間に、どこの国のどの立場にいた人達であっても戦争の悲惨さを知る人たちは一様に、同じ仕草をする。
言葉を飲み込んで生まれる数秒の沈黙。
時折黙りこみ宙を見つめる表情。
言葉にできることよりも、表現の仕方がわからずにできる”間”や、意識だけが過去を辿ってしまう空気の中に、すべての真理が隠れているだろうと思う。
その見つめている宙には誰かの姿があり辛い光景があり、押し黙った沈黙の中には誰かの叫びや懇願、あるいは幸福だった時間があるのかもしれない。
恐怖や怒りや憎しみと同じレベルで、罪悪や悲しみ、虚しさが混ざり合って、言葉では表現しきれない押し黙った部分こそが戦争の真理なんだろうなと思った。
あるドキュメンタリーを見ていて、一つすごく嬉しいことを発見した。
たしか、ホロコースト体験やその親を持つユダヤ人と、ナチスの戦犯を親に持つドイツ人がイスラエルで対話するというドキュメンタリーで、対話の後にみんなでイスラエルのホロコースト記念館(ヤド・ヴァシェム)へ行った映像が流れていた。
お互いに会話しながら思い出しながら見学していく映像が流れていて、ある写真の前で、ユダヤ人の女性が、写真の中の少年を指差して、”彼、生きているわ!今は、ニューヨークに住んでいるの。私の従兄弟なのよ!”という会話があった。(翻訳されていないが英語の会話だったので気付いた。)
その写真がワルシャワ・ゲットーの記事の時に載せた写真で、その一番前で手をあげる帽子をかぶった少年を指差していた。
あの写真の人たちは、みんな殺されたと思っていたので、
あぁ、あの子は生き延びていたのか、とすごく嬉しくなった。
ワルシャワゲットー蜂起、収容所、そして、この幼さから考えて、生きているのは奇跡に近いと思った。
学生の頃からずっと知ってる写真だったこともあり、なんだか、無性に嬉しくなってしまった。