2019/07/01

㉑参考資料の感想(ドキュメンタリー編)Auschwitz-Birkenau編14

見られるドキュメンタリーは、いくつかみたのだが、
自分的に興味深かったものだけいくつかピックアップ。
何年に、どこの国で制作か、というのもまた、みる時に一応参考にした。




『ヒトラーチルドレン/Hitler's Children』(2011年/ドイツ・イスラエル製作)

戦犯となり死刑になったナチスの最重要幹部、ゲーリング、ヒムラー、アーモン・ゲート、ルドルフ・ヘス(アウシュヴィッツ所長)、ハンス・フランク、の孫や子(しかも皆、容姿を強く遺伝している)にスポットを当て、インタビューなどを入れたドキュメンタリー。忌まわしい過去が血や名前により膿み続けている姿が、本当に重く辛いが、そこに救いや光もある。彼らの言葉が、本当に胸に響き、涙が出た。


『人は最期に歌をうたう/When People Die They Sing Songs』(2014年/アメリカ製作)

ホロコーストを生き延びたアメリカ在住のユダヤ人の母親が認知症になったのをきっかけに、音楽セラピーを通して、母娘が、家族の過去と今とに向き合う。悲惨で辛い出来事は消えずとも、その延長線上にある人生の時間が、優しく流してくれるんだなと思えた。


『ニュルンベルク裁判/Nuremberg Nazis on Trial』(2006年/BBC製作)

ドキュメンタリードラマで、第1回アルベルト・シュペーア、第2回ヘルマン・ゲーリング、第3回ルドルフ・ヘス(副総統)。再現ドラマの作りが、さすがBBCだなと思い、不謹慎ながら楽しんで見てしまった。エンターテイメント的。


『アウシュヴィッツ/Auschwitz: The Nazis and 'The Final Solution' 』(2005年/BBC製作)

6回シリーズ。かなり詳しく過程と経過と結果が順を追ってわかる。当事者の証言や今はない施設などをCGで再現しているので、わかりやすい。坦々と進んでいくが、内容はやはりかなり重く辛い。
BBCは、ドキュメンタリーを作るのが本当に上手い。


『アフター・ヒトラー/After Hitler』(2016年/フランス製作)

破壊し尽くされたヨーロッパの第二次大戦直後の混乱から復興、そして冷戦への動向を残酷に映している。
戦後は、敗戦国のドイツ人やナチスに加担した者が標的になり、侮蔑、嫌悪、略奪、暴力、強制労働、レイプ、処刑、リンチ…
目には目を…復讐が繰り返される。
そして、戦前から根強く残る反ユダヤ主義もまた消えず、地獄の収容所からギリギリで助かったユダヤ人たちは、居場所を求め大移動を余儀なくされ、また、やっとの思いで解放されたにも関わらず、猜疑心から集団で殺される事件なども起きる。
そして、人類は核戦争の脅威へと向かう…。


『ディファメーション/Defamation』(2009年/イスラエル人監督)

イスラエル出身のユダヤ人が撮るから成立する”反ユダヤ主義とは何なのか?”というドキュメンタリー。これは、なかなか面白かった。
だから、パレスチナ問題はややこしくなり、イスラエルは頑なになるんだな…。過去の傷は深く癒えないが、膿み続けては未来も暗く、世界はより窮屈になるんだろうとも思う。


『600万のクリップ/paper clips』(2005年/アメリカ製作)

ほとんど白人しか住んでいないアメリカ南部テネシー州の小さな田舎町の学校で、差別についてホロコーストについて学ぶ授業として始めたプロジェクトが、地域を、アメリカを巻き込んで、やがてヨーロッパや世界と、そして過去と未来につながっていくという話。
アメリカ南部の学校でのプロジェクトというのがすごい。
そして、これは教育の理想だなぁと思う。
大人たちの関わり方や、生徒だけではなく、先生が親が大人が地域が、世代や立場や距離を超えて学んでいく姿は素晴らしかった。


その他・まとめ

あと、言わずもがな、『映像の世紀』は良いです。
ナチス関連のドキュメンタリーは、オカルト的なテーマの物も多かった。
ナチスは、世界観政党なので宗教的なものに近いのかもしれない。
また、ナチスの幹部たち個々にスポットを当てたものなどあったが、どちらかといえば、”悪の凡庸さ”という意味で、アイヒマン(彼は幹部だが)や元SS、元党員など”普通”の人の話を見ている方が、ゲーリングなどを見ているより底知れぬ怖さがあった。
ホロコースト関連は一様に辛く悲しいものだった。
若かりし頃や過去を話す時に、人は思い出により若返るのか少しハイになって話す傾向にあると思う、だがフッとした瞬間に、どこの国のどの立場にいた人達であっても戦争の悲惨さを知る人たちは一様に、同じ仕草をする。
言葉を飲み込んで生まれる数秒の沈黙。
時折黙りこみ宙を見つめる表情。
言葉にできることよりも、表現の仕方がわからずにできる”間”や、意識だけが過去を辿ってしまう空気の中に、すべての真理が隠れているだろうと思う。
その見つめている宙には誰かの姿があり辛い光景があり、押し黙った沈黙の中には誰かの叫びや懇願、あるいは幸福だった時間があるのかもしれない。
恐怖や怒りや憎しみと同じレベルで、罪悪や悲しみ、虚しさが混ざり合って、言葉では表現しきれない押し黙った部分こそが戦争の真理なんだろうなと思った。
あるドキュメンタリーを見ていて、一つすごく嬉しいことを発見した。
たしか、ホロコースト体験やその親を持つユダヤ人と、ナチスの戦犯を親に持つドイツ人がイスラエルで対話するというドキュメンタリーで、対話の後にみんなでイスラエルのホロコースト記念館(ヤド・ヴァシェム)へ行った映像が流れていた。
お互いに会話しながら思い出しながら見学していく映像が流れていて、ある写真の前で、ユダヤ人の女性が、写真の中の少年を指差して、”彼、生きているわ!今は、ニューヨークに住んでいるの。私の従兄弟なのよ!”という会話があった。(翻訳されていないが英語の会話だったので気付いた。)
その写真がワルシャワ・ゲットーの記事の時に載せた写真で、その一番前で手をあげる帽子をかぶった少年を指差していた。
あの写真の人たちは、みんな殺されたと思っていたので、
あぁ、あの子は生き延びていたのか、とすごく嬉しくなった。
ワルシャワゲットー蜂起、収容所、そして、この幼さから考えて、生きているのは奇跡に近いと思った。
学生の頃からずっと知ってる写真だったこともあり、なんだか、無性に嬉しくなってしまった。

2019/06/29

⑳まとめ Auschwitz-Birkenau編13

なんだかすっかり長くなってしまった。
たかだか半日(6時間程度)見学した内容だったのだが、実際見た想いや恐怖による強烈な好奇心に駆られて調べていたら、すっかりアウシュヴィッツ編だけで10記事以上になってしまった。(これでもだいぶ削ったのだが…)
書いている途中、調べたりして補填した知識もかなりあるが、基本的には行った時に感じたそのまま感覚を書く様にした。そして、中谷さんがガイドしてくれた場所をなるべく正確な順番に沿って書いた。
たぶんこのコースが、公式のコースの一つなのだろう。(修理修復で見学が変わることもあると思うが、ネットから見つけた下の地図の赤い矢印の順番。)
中谷さんのガイドに参加していた人の中に、旅先という雰囲気ではない感じで、とても綺麗な女の子がいた。
彼女は、ロンドンの大学で保存修復を学び、アウシュヴィッツ(アウシュヴィッツ・ビルケナウ国立博物館)に研修に来ていた。
ここにある紙媒体の資料などを中心とした文化財の保存を主に行っていると話していた。
アウシュヴィッツには、後世に残していかなければならない膨大な資料や展示物があり、また、そのどれもが貴重であり、大切な誰かの命のカケラでもある。
建物もだが、遺品は特にこまめな修復が必要となるだろう。
そのため各部門に、世界各国から優秀なスタッフが集まっていて、職場では基本英語らしい。
彼女が、別れ際に、もし時間があれば寄ってみると良いと教えてくれた場所がある。
その時、時間的にも精神的にも余裕がなかったので、結局、私は行けなかったのだが、次の機会があるのなら、絶対に行こうと思った(今、すぐに行きたい)。きっとあまり知られていないと思うので(特に日本だと)、自身の備忘録のために、そしてこれからアウシュヴィッツへ行く人の為に紹介しておきます。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ国立博物館の近くのHarmężeという小さな町にある修道院(なのかな?コルベ神父やその他のフランシスコ会の収容所での殉教者たちのメモリアルセンター/St.Maximilian Centre)のギャラリーに、舞台美術家Marian Kołodziej(ポーランド語名の発音がわからないです。すみません)の強制収容所での体験を描いた一連の(荘厳と言うべきなのかな?壮絶な)大作があるという。
上のHPから展示の様子を見ることができます。たしか、事前に連絡しておいた方が良いと言っていた気がします。英語ですが案内をしてくれるそうです。
(※写真はPaPの記事より。展示についてのことを書いてあります。→http://193.200.216.101/en/poland/history/news,507792,shocking-exhibition-of-former-concentration-camp-prisoners-works.html)
Marian Kołodziej(1921-2009)
ポーランドのアーティスト(主に舞台映画美術)
1940年、最初期にアウシュヴィッツに連行され(囚人番号432)、その後様々な収容所に回される。
1945年、マウントハウゼン収容所(オーストリア)の解放とともに、やっと自由になれる。
その後、クラクフの美術アカデミーへ行き、数多くの舞台・映画美術を手掛ける。
1992年、脳卒中で一部身体に麻痺が残りながらも、青年期の強烈な記憶(強制収容所での数年間)をテーマにした一連の大作を手掛ける。
ポーランドの詩人Zbigniew Herbertの 
“You have not survived simply to live. You have little time, a testimony must be given.”(Zbigniew Herbert)
という言葉を受けて、約50年の沈黙を経て制作に取り組んだ。
(※写真はwikipediaより)
どのドキュメンタリーだったか思い出せず、うろ覚えなのだが…。たしか、ドイツでは、医学を志す人が必ず読むものとして 『人間性なき医学』という本がある。
これは、医学・心理学者のアレキサンダー・ミッチャーリッヒとフレート・ミールケが共著(編集・解説)した、ナチスが行なってきた人体実験をまとめた本になる。
その本の序文に記されている言葉を一部抜粋する
“過去の償いをすることは、われわれ人間の力をもってしてはほとんどできないことである。しかし、過ちを克服することは、弱者であろうと強者であろうと、もっとも人間にふさわしい行為である。われわれの意図は、努力と恥を惜しまない人、歴史からすべてを学ぼうとする人を助けることであった。そのような人のために、われわれはおびただしい書類と愚行の記録を示し、その中に歩むべき正しい道を切り開こうとした。われわれは個々の人間の罪を暴露するためにそうしたのではない。われわれは、すべての民族を苦しみの中に巻き込んだわれわれの時代のすべての関係の一部を認識できるようにしたのである。われわれの罪を小さいものにすることはわれわれの関心事ではない。なぜなら、罪を知りながら生き延びるときにのみ、われわれは同時代の人びとの尊敬を獲得することができるからである。かれらの尊敬をえられるのでなければ、われわれの人生はもはや生きるに値しないのだ。”(『人間性なき医学』序文より抜粋)
今回の記事きっかけで目にした映画や本などの感想も書いておきたいが…それは、おいおいかな… 

⑲顔のない怪物(2018/6月) Auschwitz-Birkenau編12


もし、ヨーロッパ人が、ドイツ人が、ナチ労働者党が、いや、アドルフ・ヒトラーが全て悪いのだと思えたら、心穏やかにいれたのだろう。
学生の頃の愚かな私は、ホロコーストに関しては、ヒトラーが諸悪の根源だと思っていた。
大人になって、人間の歴史は、神話のように、一人の人間だけで全てが動くのではないということを知った。
(※Auschwitz Memorial and Museum/instagramより。
アウシュヴィッツで一番最初に見た展示物で、ヨーロッパ中のゲットーや収容所などからアウシュヴィッツに送られてきたことを表す地図。)
オシフィエンチムからクラクフへ帰るバスの中、変に興奮していた。
中谷さんのガイドで一緒だった人と車中で、あえて関係のない話をずっとしていた気がする。
ただただ自分の中で、全然怖くなかったと必死に言い訳をして、焦って混乱していた。
これをした人もされた人も同じ人間だと考えないようにしていた。
または、遠い昔の野蛮な時代(そんな時代があるかわからないが)の話だと思いたかった。
自分とは無関係だと思わなくては怖くて仕方なかったし、理解してしまうことで大きな原罪を背負っている事実から逃れられなくなると思った。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館には、さぞやヒトラーについての記述や写真があるのかと思っていたら、全くなかった。
11号棟にあったSS(親衛隊)の部屋が当時のままで、廊下からドアの窓越しに覗けるようになっているのだが、その部屋の壁に唯一ヒトラーの着帽した横顔の写真が一枚だけシンプルな額に入って掛けてある。
タイトルも説明もなく、言われなければ全く気づかない部屋のインテリアの一部だった。ただ、それだけだった。
(※Auschwitz Memorial and Museum/instagramより。正面に見える額入り写真がそれになる。)
この恐ろしい工場を作った怪物の正体は、”ヒトラーでした”とは終わらせてはくれなかった。
怪物は、社会であり、風潮であり、民衆だと言われているようだった。
怪物には顔がなかった。
そして、誰の顔にでも取って代わるものだった。
アウシュヴィッツで、残酷だ!ひどい!ナチスが許せない!と憤慨していれば、ずっと穏やかな気分でいれたかもしれない。
もしここで涙の一つでも流せたら、こんな恐怖に陥らなかったのかもしれない。
怪物になるには、
人種も生まれも環境も関係なくて、
ましてや、知識も財力も容姿も関係なかった。誰でもなくて、誰にでもなりうる。
誰でもが同じ轍を踏みうるし、もしかしたら今も気づかずに何かしているのではないか…、または、起きていていることを見ようとしていないこと、何の疑問も感じないことがすでに、怪物になりかけているんじゃないか…、と足元から恐怖が来る。
(※Auschwitz Memorial and Museum/instagramより。ビルケナウ。)
中谷さんも、こんなことを言っていた、
戦後、当時のドイツ国民の大半が、まさかナチ労働者党がそんな政党だとは思わなかったとか、自分は支持していた訳ではないとか言う人がほとんどだったらしい。
たしかに、ナチ労働者党は、初めは極少数政党だった。
それが、世界恐慌や第一次大戦の戦後処理などの社会風潮を利用し、また強硬な法案採決や国民の猜疑心や攻撃性を煽るようにして拡大していった。
それでもナチ党の得票率はピークでも37%ほどの少数内閣だった。しかし古参の右派と連立を組むことで、そして、国外への積極的な軍事侵攻と同時に、国内のインフラ整備や環境対策、圧倒的な景気回復、雇用拡大などにより、支持率は90%台までいったという。
この90%という数値をみて、ドイツ中が熱狂し支持していたと捉えるべきか、大半は、風潮に流されていただけのサイレントマジョリティだったのか、よくわからない。
自分で考えた末に、選んだ政権や体制、主張であるならば、たとえそれが間違っていても、間違えたと認識さえできれば、修正も反省もすることができる。
しかし風潮に流されている大衆が、選んだ意識もなく流された先がたまたま”そこ”であったり、なんとなく選ぶことをしないサイレントマジョリティであったなら、
それは、間違った選択肢を選んだことを認めずに、自分は知らなかったと居直り、挙句、他人のせいにして、相手を怒り、反省も修正もしないことが多いのかもしれない。
人が常に”正しい”選択だけをするとは、思わない。迷うし、間違うものだと思う、ただ、その選択に自分の意思や思考がなければ、間違いを正すことすらできない。
私は、自分が怪物になるかもしれないと怯えているが、怯え続けている内は、完全なる怪物になる前に気付けるのではないかと願っている。
もう、数年前になるが、
昨今、漫画が出て爆発的に流行っていた吉田源一郎の”君たちはどう生きるか”が全く流行ってない頃にこの本を読むきっかけとなった梨木香歩の”僕は、そして僕たちはどう生きるか”の冒頭に今でも私の戒めとしてたまに思い出す文章がある
“群れが大きく激しく動くその一瞬前にも自分を保っているために”(梨木香歩『僕は、そして僕たちはどう生きるか』冒頭より抜粋 )
自分を恐怖や不安から、少しでも解放するために、
考えることを他者から奪われないようにすることと、決して考えることをやめないということを、努力していかなければならないと思った。
ヒトラーのような人間は、この先も必ず出てくると思う。現に今までもいただろう。
それでもヒトラーのような強く鋭利でギラギラと見える物に流されてしまったり、思考を奪われてしまわないようにしなければならないと思った。
往々にして人は迷いやすく、歴史は繰り返されるが、過去から学び、人類の進化や叡智をも信じて、悲観せずに前を向いて歩かなければいけないんだろうな…
(※Auschwitz Memorial and Museum/instagramより)

2019/06/28

⑱人を残忍にするシステム(2018/6月) Auschwitz-Birkenau編11

※映画「スペシャリスト ~自覚なき殺戮者~」公式HPより
伊藤計劃の『虐殺器官』というSF小説がある。
その小説では、”虐殺の文法”を使った言葉が脳にある特定のモジュールに作用し、虐殺を誘引する、というもの。
案内してもらっている間に、中谷さんは何度か問いかけてきたのが、
なぜ、当時、医学や学術など文化水準が高いドイツで、このようなことが起きたのか…と。
そして、囚人の中にもカポ(監視役)というヒエラルキーを作り、それによりさらに劣悪な環境に陥っていたことも言及してから、
ある特定の条件(支配体制のシステム)が、このような悲惨な状態を作り出す一つの要因だというような話をした。
そして、アメリカの大学で、そういった心理学の研究がされ、結果がでているとの話をしていた。
だから、そのような状況(環境)を作らないようにすることが大事だとか、そんなことも言っていた気がする。
そういった心理的思考に陥る状況とは何だったのかと、ずっと頭に残っていた。まるで虐殺器官ではないか。
たぶん、彼が言っていたのは、ミルグラムの実験のことだったのだろう。
社会学者ハンナ・アーレントが、
戦後逃亡の末、モサドにより南米で逮捕されたアイヒマン(ユダヤ人大量虐殺を指示したナチス高官)のイスラエルでの裁判(1961年)を傍聴し、発表した著書『イェルサレムのアイヒマン』の中で、大量虐殺を指示した人間が、冷酷無比や猟奇的な人格ではなく、あまりに凡庸な何処にでもいるタイプの人間であったと書いて、”悪の凡庸さ”という表現をした。
ミルグラムもまた、この裁判を受け、”ごく普通の人間でも、権威や権力に盲目的に服従することで、平気で大量虐殺を行えるのか”というテーマで、翌年から”一般の人”を対象にいくつかの実験をする。
スタンレー・ミルグラム
アメリカの社会心理学者。イェール大学在職中に、社会におけるヒトの習性についてのいくつかの実験をする。その中でとりわけ有名なものが、電気ショックを使った”権威に対する服従実験(通称:アイヒマン実験)”。これは、興味深い(衝撃的な)結果が反響を呼び、また実験内容が倫理的に問題があると物議にもなった。(実験内容は、wikipediaにあります)
“実験の結果は、普通の平凡な市民が一定の条件下では冷酷で非人道的な行為を行うことを証明するもので、そのような現象を「ミルグラム効果」とも言う。”(Wikipediaより)
最終的に他人への罰として最大電圧(450ボルト)を使用してしまうにしても、その過程には何パターンかあるようだった
⑴実験に賛同し進んで罰を実行する人
⑵何も考えずに命令されたから(規則だから)、とにかくノルマのように従う人
⑶内心では抵抗を感じながら(口頭でも抵抗しながら)仕方なく服従する人
しかし、⑴であろうが⑶であろうが、悲鳴をあげ中止を乞う心臓の弱い相手に最大電圧を与え続けた被験者は、全体の6〜8割以上もいた。
“ヒトは権威に命じられると(そして責任を取らなくていいと保証されると)どんな残虐行為に対しても葛藤やストレスを無視できる”(ミルグラム)
これを”代理人状態”という。
”代理人状態の人間が得意な言い訳が、「自分の仕事をしただけ」、「私の仕事じゃない」、「規則を決めたのは私じゃない」、命令に従うことが行動基準です。他人の要望を遂行する道具のようになるのです”(ミルグラム)
ミルグラムは、1974年にその実験をまとめた『権威に対する服従』(邦訳『服従の心理―アイヒマン実験』)を出版。日本だと10年近く翻訳本が絶版扱いになっていたが、2008年に新訳で再版された(再版本を既読)
ミルグラムの本によると、ヒトの進化や生存においてヒエラルキー的な構造は有利であり、その中では良心や人間性に反してでも往々にして集団圧力に同調しやすく、権威には服従してしまう傾向にあるが、それは人類の習性に近く、人格的な問題ではないとし、また、こうした現象に陥らないために、個人でしっかりと考えや意志を持ち対抗する強さが必要とした。
ハンナ・アーレントもまた、
“アイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。思考する能力です。 その結果、モラルまで判断不能となった。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。〝思考の嵐〟がもたらすのは、善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬように”(映画『ハンナ・アーレント 』劇中スピーチより)
その後、ミルグラム実験を再現したドキュメンタリー『ショックルーム~伝説の“アイヒマン実験”再考~』(2015年/オーストラリア)を見た。
ここでは、上記(ミルグラムとアーレント)の結論に疑問を呈している。
心理学的に、代理人状態が起きることで、”善良な人”でも権威によって選択の余地もなく残虐なことをしてしまうという。では、悪い行為をしても仕方がなかったという前提だと、その行為者には責任はないのか?
また、上からの命令をお役所仕事でこなしてきたとされるアイヒマン
“私の罪は従順だったことだ” “大海の中の一滴 、上級権力の手中にある道具”(アイヒマン)
しかし、1945年、ドイツの敗色濃くなる中、保身に走った上層部からの虐殺中止命令を無視して、アイヒマンは独断でハンガリーのユダヤ人の強制移送を続けていた。
つまり、彼は盲目的で従順な子羊ではなく、ユダヤ人排斥への自覚と信念があり、自分が正しいと思ったからの行動ではなかったのか?
それと同じように、ミルグラム実験で服従してしまう大多数の被験者は、
自分は正しいことをしているという信念と自負があり(崇高な科学や未来に貢献しているという思い込みや、被害者の出来の悪さに不快感をしめした例もある)、むしろ”積極的な協力者”ではなかったのか?
また、”ミルグラム効果”(普通の平凡な市民が一定の条件下では冷酷で非人道的な行為を行うことを証明…Wikipediaから参照)とあるが、
その場合、命令されればされるほど、ヒトは従順に機械的に服従するはずである。
しかし、多くの場合、指示が命令的になると、反抗する割合が高くなるそう。
“続けてください。続けてもらわないと困ります。”という言葉に渋々も従っていた人が、“あなたには選択の余地が無い。絶対に続けてください。”と命令的に言われた瞬間、ものすごく反応しだし”選択の自由”を主張しだす結果が出ている。
まとめとして、ミルグラム実験が伝えたものは、服従と非服従の実験ではなく、選択は自分の中にあるというものではなかったのか?
また、選択肢があるのならば、命令した人間だけでなく、その命令を選択したヒトにも責任があるのではないか?
と、いうようなことを再考していた。
ちなみに実験場面の再現はなかなか迫真的で驚いた。
さて、
ナチスの中でも、収容所内でも、囚人の中でさえ作られた支配体制(ヒエラルキー)のもっともわかりやすい図が下のピラミッド構造になるのだが、(100分de名著より)
この構造を作ることで、指導者から指示を受けた側近の命令はエスカレーター式に流れる。
直接手を下すのは最下層のシンパになるが、責任に関しては常に上にあるので思考することもなく機械的な手足となる。 しかし、党員〜エリートに関しても責任回避ができ、また、上に行けば行くほど肉体的にも精神的にも負荷が減っていくため、罪悪感もなく、判子やサインで人を消せることになる。
つまり命令を従うことは、自分より上位の者の代理人となることになり、その責任の所在は自分にはなく、また善悪の判断や難しい決断などをする必要もないので精神的負荷が減り効率も上がる。
また、明確なピラミッドは、上昇志向を刺激するため、従順に服従することで出世することが出来、より良い生活、食事、仕事、秘訣(秘密)、などを手にすることができるのではないかと従順さを加速させる。
これは軍事国家やカルト教団に限った話ではなく、企業や宗教など現代の社会システムがほとんどこの形になっている。
これがたぶん人を残虐にするシステムの大まかな流れなのだろう。このシステムを作れば服従によりいくらでも”善良な人”を殺戮の機械人間とすることができると…
ミルグラムが1961年からの実験を10年後(1974)に著書でまとめた際、アメリカでは、ベトナム戦争只中で、反戦の機運が高まっていたこともあり、最後にベトナムで起きたソンミ村の虐殺事件を少し引用していた。
またこの本の2004年版の序文を書いた友人のジェローム・S・ブラナーがイラクのアブグレイブ監獄で起きた悲惨な拷問と虐待を引用していた。(これはミルグラム効果とは違うと思うのだが…)
そして、日本でミルグラムが近年少し話題になったのは、日大ラグビー部のタックル問題でではないかな…(それか尼崎事件かな…)
また訳者の山形浩生は、あとがきにルワンダの大虐殺を引用していた。
そして、蛇足としてこのミルグラムの服従実験批判をしている。(あとがきが面白かった!)
そこにもあったのだが、私も本文を読みながら不思議に思っていたのが、ミルグラムがヒトに対して性善説で話を進めていることだった。”普通の人は他人を理由なく傷つけたりはしない”という前提のもの。
いくつかのドキュメンタリーや戦争体験のものを見ていて感じるのは、性善説など妄信者の戯言でしかないと思った。
あるドキュメンタリーで、ハンガリー人のおじいさんが、目を爛々とさせながら、ユダヤ人狩りの話をしていた。見つけて引きづりだし、財産を奪った上で、収容所へ送り1人も帰って来なかったこと、そして、自分が子供の時に家族が、あるユダヤ人にひどい目に遭わされたから、そうなって当然だったと話していた。
インタビュアーが、
そのひどい目に遭わせたユダヤ人と、あなたが捕まえたユダヤ人たちは違う人ですよね?と聞くと。
目の光が消え、ボソボソと、しかしユダヤ人だし…と言い
しばしの沈黙の後に、下を見ながら
…悪くない人たちもいた…と小さく答えた。
ポーランドの小さな町で起きた、非ユダヤ系住民たちによるユダヤ住民の集団リンチ虐殺事件であるイェドヴァブネ事件は、ドイツ軍の関与はなく、平時には”善良な”住民が自主的に行ったとされる。
第二次世界大戦だけではなく、
前述のアブグレイブ監獄の拷問やルワンダの虐殺は、むしろ嬉々として映ってみえた。
相手をヒトとして見ていないからか、とも思うが、その人たちが日常的に動物虐待を好んでいるとも思えない。
そもそも、正しさや正義は、時代や状況で変わる非常に曖昧なもので、そのフワフワしたものに道徳や倫理というものが塗り付けられたのが文明であると思う。
もともとヒトは善でも悪でもないから、成長過程で塗られたその不安定なメッキは、フッとした瞬間に簡単に剥がれ、むき出しの生命の塊が出てきてしまうんじゃないかと思った。
野生的で狡猾で、好奇心と危機に敏感で、他者を顧みない生き物としての生存本能だけの塊。
それが文明社会では悪とされているだけなんじゃないかなと…思ってしまった。
もちろん、犯罪や残虐行為をまったく肯定するわけではないが、ヒトが悪意によるコントロールで意志を消され残虐になるのではなく、弱者を虐げたりすることは、ヒトが根源的に持っている動物的本能なんじゃないかと、思ってしまった。
いや、私の考えもまた、すごく偏ったものなのかもしれない…。
10代からヒトラーユーゲントに入り、熱烈なヒトラー信奉者で、最後は最前線で戦い、アメリカの捕虜となって終戦を迎えたある元ドイツ兵のおじいさんがドキュメンタリーで話していたのだが、捕虜の時に、何回も見させられた映像があるという、
それは、連合国軍が解放した強制収容所での、やせ細った囚人の様子や死体の山などの映像。
お前たちは、ナチスの元でこんなことをしてしまったのだと、お前たちがみずから選んだ政権によりしてきたことだ…お前たちに責任がある、と
しかし、当時の彼には、その意図は全く届かなかったという、自分のこととして考えられず、他人事のように”酷い映像だ。”と思っただけだという。
もう一つ、
アイヒマン裁判で証言され、またハンナ・アーレントも指摘し、そして、たしか中谷さんもガイドの途中で触れた気がしたが、
このナチスのユダヤ人絶滅計画に一部のユダヤ人(シオニスト)権力者が関わっていたという事実がある。
民族を生き残らせるための苦肉の策だったのかもしれないが、それにより、より多くの生命が奪われたことも書いておく。

2019/06/12

⑰アンネのいた場所(2018/6月) Auschwitz-Birkenau編10

数年前に、オランダ・アムステルダムでアンネの隠れ家を見学しようと思い、午前中にも関わらず、すでにかなり伸びた列に並んだことがあった。
並びながら、でも私は、アンネの日記を読んでいないんだよな…と後ろめたい気持ちになり、
そんな気持ちを察したのか、通り雨が降り始め、私は列から離れて別の場所へと向かってしまった。
アムステルダムを離れる前に、運河から少し入ったところで偶然出くわしたアンネの小さな像を見て、読んだらまた来ようと思った。
ビルケナウを案内してもらっていた時に、ここにアンネはいました、と、説明を受ける。
貧乏な辺境の農業倉庫の様な、煉瓦造りの簡素な平屋の建物に案内される。
中に入ると、外の明るさから急に、辺りが薄暗くなりヒンヤリとまた少しジメッとした感じがして、まるで地下に来た気分になる。
煉瓦の壁で細かく仕切られた圧迫感のあるその内部を見回して、外の光があまり入らない訳を知る。
そこは、ただの二段の棚がずらりと並ぶ、収容者の寝床だった。わずかな藁が布団で、一段に2~8人寝かされたらしい。
ポーランドは、冬が厳しく、特にこの地域は氷点下20度くらいにはなる。
となりの建物の窓を覗くと、たくさんの穴が20cmおきくらいに規則正しくあいた細長い板が、縦に長く3列あった。ちょうど家畜が個別で食べれる餌入れのような感じだったのだが、トイレだと説明された。1日2回しか使えなかったという。
(※ これは、木造バラックの方のトイレの写真 /en.Wikipedia )
終戦の約半年前、隠れ家から捕まり連行されてきたフランク一家の内、アンネと姉マルゴー、母親エーディトは、ここにいた。(父親オットーは、アウシュヴィッツの方へ)
その後、ソ連軍のアウシュヴィッツへの侵攻を恐れたナチが、アンネとマルゴーをドイツ国内のベルゲンベルゼン収容所に移送、そこで2人は、(アウシュヴィッツ以上の劣悪な環境により)不衛生と慢性の栄養失調のため収容所内で蔓延していたチフスにかかり、マルゴー、すぐ後を追う様にアンネ、が息をひきとる。ベルゲンベルゼン収容所がイギリス軍により解放されるわずか約1ヶ月前のことである。
残された母親は、娘が同じ場所にいたことだけが支えだったように、アンネたちが移送された後すぐに、ここで衰弱死する。(父親のオットーは、解放時アウシュヴィッツでソ連軍に保護される。)
彼女たちが例外ではなく、何百万人の内のガス室へ送られずにわずかばかりに地獄の中で延命した何万人の内の1人の話で、最期を克明に書くにはいたたまれないので、行方だけかいつまんで書いた。
戦争末期になると、ひどい労働力不足のため、ドイツ政府が囚人の勝手きままなな殺戮を一時的に中止し、抹殺すべき囚人の平均寿命を延長するように決定したこともあり、それまでの”政治犯”や”労働力としての男”、”実験材料”以外の即時抹殺という方針を少し緩めている。
女性であることもそうだが、アンネは当時14歳だった(13歳前後が生死の狭間になる)のだが、年の割に身長が高かったため、最初の死の選別で生かされる側になる。(この時、アウシュヴィッツに着いた1019人の内549人がガス室へと送られた。以前だとこの死の選別で、約25%しか生かされなかった…)
人間が生まれてくることに、大した理由も意味もないのだと思う。不幸も幸運もスロットのように誰の上にもふりかかるし、それが何かの啓示や意味のある特別なことでもないと思う。
そんなことはわかっているけれど、好奇心旺盛でクリクリと目が大きくておしゃべりで少し背伸びな14歳の女の子の時間を、彼女だけではなく、ただ特定の人種や思想だとかいう理由で刈り取られてしまうたくさんの命が、それだけのために生まれてきたのではないと思いたい。
そのむごさは、約75年前の話ではなく、ロヒンギャや、シリア、アフガニスタン、南スーダン、イエメンなどで今なお継続して起きているというのに…消える命を知らず生きるにはむごすぎるし、知りながら手を伸ばせないのも辛すぎる。
昔、小説で知った言葉だが、
テレンティウス(紀元前古代ローマの劇作家)の言葉を、ローマ帝国時代の哲学者で政治家のセネカが引用した言葉が心に残っている。
 ― テレンティウスという古代羅馬の劇作家の作品に出てくる言葉なのだ。セネカがこれを引用してこう言っている。「我々は、自然の命ずる声に従って、助けの必要な者に手を差し出そうではないか。この一句を常に心に刻み、声に出そうではないか。『私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない』と」。(梨木香歩”村田エフェンディ滞土録”より)
とりあえず、今度こそは帰ってきて、アンネの日記を読むことにした。
※写真は、アンネフランクハウスより。私が好きなアンネ5歳のポートレート。
1934年9/11撮影。
撮影前後の出来事
1933年1/30、ヒトラー首相就任。
同年、ナチ党がフランクフルト市議選でも圧勝し、ユダヤ排斥の風潮が高まってくる。
夏に、父オットーが家族の安全のため、フランクフルトからアムステルダムに拠点を移す準備で単身赴任。
翌年の1934年(この写真の年)2月にアンネもアムスへ引っ越す。
1940年5/10、ドイツ軍がオランダ侵攻
1942年7/5、隠れ家生活に入る
(第二次世界大戦 1939年9/1〜1945年9/2)