2017/10/13

創作という名の、霞

カナダ在住のアーティストのEちゃんから
この人知ってるぅ〜?
と、聞かれた時に、池田学をはじめて知ったのが数年前

他のアート同様に、細密ペン画をしている人は沢山いるのだが、
有名になれるかなれないかは、
結局、運と努力なのかもしれない
もちろん才能はありきの話だけど
世の中、絵が上手い人なんて腐るほどいるんだよな…

先日まで、高島屋本店で池田学展があったので見に行くと
メディアに沢山取り上げられたからなのか、平日の昼なのに人がたくさんいた

佐賀県立美術館の方のポスターですが…
こっちの方が好きなので

暇なのは、じいさんばあさんと私くらいなものだから、年齢層が高めで
みな、ほぇ〜とか、細かいね〜、よくみえんよ、これは何かね…とかつぶやきながら見ていた

じいさんばあさんが好むようなアートじゃないと思うが、
この世代を動かすのはテレビと新聞なので、きっと大きく取り上げたのだろう

都内の美術館での展示ではない事を気の毒に思ったが、
アートに関心がない大衆層にも垣根を広げるには、百貨店の方がいいのかもしれないと、客層を見ながら思う

池田さんも言っていたが、
今のご時世、ネットで探せば、作品は見れるし、
特に平面作品の場合は、それで満足されてしまう場合がある

下手すると細密画だと、画質さえ良ければ、簡単にマクロにもミクロにもできるので逆に見やすかったりする

でも、サイズ感を掴めないのが二次元の難点で、
そのサイズ感がたぶん一番重要だったりする(アートに関わらず)
Rebirth, 2016. Pen & ink, 13 x 10′ (300 x 100cm). Courtesy the Chazen Museum of Art.
photo from http://www.thisiscolossal.com/2016/11/rebirth-manabu-ikeda/

漫画家が使う丸ペンの一番細いものを使っているらしいです
Manabu Ikeda at work, still from Clayton Adams.
photo from http://www.thisiscolossal.com/2016/11/rebirth-manabu-ikeda/

食肉処理場のベルトコンベアみたいに、絵から絵へと動いては、合流や脱退の増減を繰り返しノロノロと進んで行く生肉を想像しつつ
そのプロセスに自分も組み込まれて、会場内を回る

こんな人いきれの中で決められた手順で作品を見るのは、
気分も削がれるし、好きなように見なきゃ作品に失礼だと思うが、
日本だと仕方ないんだよな…と、作品の箸休めとして、眼前に迫るおじさんの頭皮を見つめる

あぁ、バベルの時もそうだったな、と白髪に繋がる毛穴を見つめながら思い出す

あの時など、怒り出す老人がいて、警備員がなだめていた…

そういえば、バベル展(東京都美術館)の感想は書いてなかったから、ここにまとめて書いてしまおう


私は絵が描けないから、とにかく絵が描ける人は尊敬する
池田さんの作品は、
たしかにすごかった
本当に時間がかかる仕事だし、
細部と全体(ミクロとマクロの視点で)の構成のバランスがとても綺麗だった
そして、すごく丁寧
あの作品サイズで、あの細かさを1㎝四方の中でさえ、手を抜いていない真面目な仕事をしている感じがした

つい職業病で腱鞘炎を心配してしまう

細密であれだけ大きいと、人はその仕事量に有無を言わさずに圧倒されてしまうんだろうな
とにかく細密画では信じがたい大きさである


この動画は、 Chazen Museum of Art(ウィソコンシン大学の美術館になるのかな)でのArtist-in-residence program時の制作風景(1枚の絵に3年3か月掛けて制作)で、工程がすごく分かりやすい動画

http://www.thisiscolossal.com/2016/11/rebirth-manabu-ikeda/
↑英語のarticleだけど、上の写真も動画もここから拝借した。
とても分かりやすくて良いです。


でももしかしたら、大きな作品をみるより
東京動物園協会の季刊誌の挿絵の動物の写実をみる方が純粋な画力みたいなのがよくわかるのかも
Canis latrans,2008,Pen & ink,19.3 x 16.2 cm

マクロとミクロの目を持ているのが、ものすごい才能なんだろうな
予兆,2008,Pen & ink,190×340㎝  photo from saga prefectural museum
ただ、混んでいて、好きに見れなかったのが、本当に残念だった
また、どこかの機会に、ゆっくり鑑賞できたらいいな
たしか今回なかったけど、船の絵も見たいし


でも混んでいると、周りの会話が聞こえて面白かったりもする

池田さんの作品は、細密画によくある遊び(ウォーリーを探せとか安野さんの旅の絵本みたいな楽しみ方やトリックアート的な楽しみ方)があるので、
あぁ!こんなところに〇〇がいる!これはよく見たら一つ一つが〇〇なのね!みて、あそこは〇〇をしている!とかアートに興味なくても万人が楽しめる仕組みになっている
安野光雄『旅の絵本Ⅶ』(中国編)より

"きっと描いていて楽しいんでしょうねぇ"、と近くにいた老年の女性が呟く

池田さんの気持ちは知らないけど、
私もこの言葉を本当によく言われるが、現実は全く楽しくない…
彼はどうだろうか…

途中、後ろに背の低いばあちゃんがいた、彼女は、見えなかったり、何かわからなかったりすると、私に尋ねてくるので、簡単に説明したりしていた

あと、おしゃべりな3人のマダムの会話もおもしろかった
"この人、芸大なのね。"
"さすがねぇ。"
"そーいえば、芸大卒の半数以上が、消息不明になるんだってよ。"
"すごいわよね〜"
という会話をしていた …

え?そうなの?芸大卒の知り合い、割といるけど、私の芸大以外の知人よりよほどしっかりしているが、これはまさか、missingしていない半数以下の貴重な人たちなのかな…

池田さんの興亡史シリーズのところで、小さな作品を見ながら(S0号より小さかった気がする…)
"4,5年前にこの作品を銀座の○○画廊で3万円で売ってたら、たっけぇなァ~て思うだろうなぁ"と、後ろのおじさんが大きな声で呟くのを聞いて、複雑な気分になりながら進むと
眼前に"興亡史"の城の大作が見えて、バベルを思い出した
興亡史,Pen & ink,200×200cm  photo from saga prefectural museum
池田さんの作品は写真に作品サイズを書いているので、注意してみてください
例えばこれなら"2m×2m"ですからね!!
サイズはかなり小さいが、細かさで言うと、ブリューゲルのバベルは、凄まじかった
視力だけが取り柄の私でさえ裸眼で追えない…
しかも、油彩であり、筆で描いているという脅威

The Tower of Babel (Pieter Bruegel the Elder, 1570)

バベル展は、上半期一番楽しみにしていた展示だった
理由は、まだ見たことのない2枚のヒエロニムス・ボスの作品が初来日だったからなのだけど

25点のみが、世界に現存するボスの絵だと言われているが、昔から好きな作家なので、10代から機会があれば海外の美術館に行くたびに探した
ので、たぶん、すでに10枚くらいは実物をみていると思う(真作らしい"のも含む…)
今回来ていた2枚の内の一つ『放浪者』
たしか、この絵は、数枚の組絵作品だったはず(だからこれは丸い形)だけど、今はバラバラになっていたはず
Hieronymus Bosch: The Wayfarer, circa 1500–1510

バベル展は、表題のブリューゲルとボス以外にその時期の作家や工房作品が色々来ていたが、さほど好みの作品はなかった(彫刻は面白かった)

エッチング(銅版画)作品もいくつかあった、
モノトーンな細密画とエッチングの相性の良さは言うまでもないが、
逆に、相性が良すぎて素人目には違いがわからないと思う
エッチングの作品
ピーテル・ブリューゲル1世(下絵) / ピーテル・ファン・デル・ヘイデン(版刻)
「大きな魚は小さな魚を食う」 1557年 Museum Boijmans Van Beuningen, Rotterdam, the Netherlands 


池田さんも、エッチングを数点出していた
やはり、相性がよく
同じ手間をかけるなら、エッチングにして枚数を増やした方がよほどお金になるだろうな…と素人は思ってしまう

池田さんのインタビューで聞かれていたが、
宮崎駿に似ていると言われているらしい
(彼自身は影響を受けたアーティストはいないと言っていた)
それをいうなら、大友克洋にもでしょ(大友さんは、バベルで内部を描いていたな)
宮崎駿『風の谷のナウシカ』(原作漫画)より
大友克洋『AKIRA』より、一部分
大友克洋による、バベル内部
大友さんの手描き内部をデジタル技術で融合したらしい

我々の世代は、アニメーションや漫画などから多大な影響を受けているから、無意識のうちにそれが出てしまうのは仕方ないんだろうな
特に、ファンタジーやSFをテーマに描いていると如実に辿ってしまう

だから、そういうものたちの寄せ集めの池田さんの作品やモチーフに既視感を覚えるのは、仕方のないことで(そもそも、たぶんモチーフの選択が自然物と既製物や人工物だし)

余程、草間さんのようなご病気か、ドラッグを使えば突拍子も無いものがうまれるかもしれないが、LSDや瞑想でsatori "してまで描くよう不健康さや狂気は池田さんからは、全く感じない

あと、もちろんアニメーションや漫画だけでなく、それまでの自分が目にしたアート、デザイン、物語、映画、自然物…全ての影響下に我々の思考は存在する

現代において、センス=知識量だと言われているから、知識と経験が多ければ、センスはおのずと身につくのかもしれない

情報に溢れ、なんでもネットで調べられるこの時代だからこそ、
(老衰した私の脳細胞に深く刻み込ませるためにも)本物を見ることの大切さがあるとは思う
Jean Henri Gaston Giraud
Jean Henri Gaston Giraud
超有名なフランス人漫画家

人間にとって何も明かされてない時代
たとえばロウソクの光が届く範囲しか見えず暗闇や悪魔が存在した時代とか
科学的解明がなされず錬金術や天体の研究で、魔法や精霊がいた時代とか、
そうゆう不明瞭や不可思議が溢れていた時代の人たちの作品、
たとえばボスやブリューゲルの時代の作品は、見たことのないものが存在していて、今でも私をドキドキさせる
ボスの絵から生まれたフィギュア
figurines by Netherlands-based Parastone

でももう、そうゆうことは、どんどん少なくなっていくのかもしれない

それを考えると、すごく悲しかった

ただ、それに近いものを体感できるとしたら、まだ、文学と旅の中には、あると思うのだけど…

それは、私の願望なのかな…

新聞世代にもわかるペン画だと、
去年まで朝日新聞連載小説の沢木耕太郎の春に散るの挿絵を描いていた、中田春彌
この人もうまくて、よく挿絵をみていた(これで知ったけど)

今回、名前をあげたのはすごく有名な人ばかりだけど、
本当に世の中、超絶的に絵がうまい人はいっぱいいてキリがない

きっと絵がうまいだけじゃ、有名にはなれないんだろうな
逆に、絵がうまくなくても有名にもなるし
絵の才能よりも有名になる才能が長けている方が、絵を描き続けることができるんだろうなぁ
両方持っている人も、もちろんたくさんいるけど

話は変わるが、
たしかtumblrで見つけて、画像保存していたが
link先がわからなくなって、これ誰が描いたか知りたいのだけど
ご存知の方いますか?
なんかこの人、見たことあるんだよな…
私に似ているとか、そういうことではないと思うけど…

2017/10/07

新党、チョコミン党。



引きこもって制作している内に過ぎ去った私の誕生日に立ち上がった新党が、もっぱら話題の中心らしく

いや、やめてください…
その日に生まれたのは私だから、1日ズラしてくださいよ、と緑っぽい画面にうらめしく思う

相変わらず、右に左に騒いでいる画面と民心(ダブルミーニングじゃないです…たぶん)に、デジャブを感じる
が、
出陣する方は、官軍になるか賊軍になるか戦々恐々で、みんな死にものぐるいなんだろうことは、よくわかる
勝ちたい人はどんな手を使っても勝たないと何にもならないから仕方ないと思うので、
指を舐めて風をみたり、ダウジングで鉱脈を探したり、すべからく頑張っていただきたい

しかし残念なことに、
制作していると、本当に心が虚無になり、どうでもよくなる
人のことも隣のことも、自分のことも世界のことも、食べたものも(料理は別腹)、そして制作以外のすべてが煩わしいし、どうでも良い

こういう人が増えると、自ずと社会は衰退へ向かうので、前回言いましたが、仕事は休みながらやりましょうね

しかしこれは、だれでもなる現象なのかな
ということは、働く層の投票率が悪いのは、仕事のしすぎなんじゃないか?

制作中、基本は家から出ない
まー出れないっていうのが正しい表現なのだけど
でも、たまにどうしても出なきゃならない用事(支払いとか)があるから、外出するのだけど、
どうでも良いから寝癖で出てしまう

そこまでは、よいけど、
こないだふっと気づいたのだが、
私は、歩きながらずっと制作の事を考えて独り言を言いながら両手で形を作っていたらしい
意識高い系の会議中の手つきみたいな身振りを、ブツブツいいながら、頭悪そうにこねくり回している

そういう自分の気持ち悪さに、
通り過ぎる人から何度かあからさまに見られているということに気づき、やっと気づく

だから、制作中に外に出たくないのだ

まー、そんな気持ち悪くても、頭は切り替わらないので、帰り道も1人で手話の練習みたいな感じでブツブツと帰る

近所の人は、久しぶりに見たら私の気が触れてしまった、と思うだろう

ま、そんな感じなので、
ここ数日、一通り納品も目途が付きそうで、窯の調子も悪いので、人界で暮らすためのリハビリも兼ねてのんびり制作していたら

制作中に使っていた先月の新聞の記事が目に入る



なんということか、
末端な代表を選ぶ権利も持たず、まだこの世に15年しか生を受けておらず、身を焦がす恋もしていないだろう男の子が、世界に心を痛め、責任と贖罪を感じているという…

さぁ、安穏と暮らす日本の大人のみなさん、
シリアやイエメン、パレスチナ、チベット、南スーダン、ソマリア、コンゴ、クルドにロヒンギャ、ボコハラムにアルカイーダ……うん、大和文字じゃないからよくわからないですよね
そんな舶来ごとよりまずは日本だろ!って思いますよね
うんうん、だったらなおさら
この日本の少年を心労から救ってあげてください、

問題提議したり、深く考えることはとても大事なことだけど、この歳から、こんな風に苦しく考えていたら、この子の精神が持たないと思うのです

これならわかりやすいし簡単ですよね、彼、日本人だし、これは我が国の問題ですね

苦しんでいる子供がいるんだから、大人がちゃんとしなきゃね


ちなみに、私は今年からチョコミン党に完全に入党してしまった
もう、胃袋鷲掴みである

それまでの私は、
あんな歯磨き粉味なんか、食べ物じゃない!悪魔だ!捻り潰してやる!ってくらいにアンチチョコミン党だったのだけど…

見栄もプライドもかなぐり捨てての移籍です

ま、要するにそういうことでしょ、
いまのゴタゴタは

話は変わるけど、こないだ久しぶりにまたカズオイシグロの未読本を読もうかなぁって図書館で見つけて手にとっていたのだが、
まずは読み掛けからと保留にしてしまったら、昨日の騒ぎ。
受賞には納得するが、当分、図書館から彼の本は消えるのか…とまた、数週間のつもりが数年後まで保留になるなと、がっかりしてしまう

日本国民は、ミーハーだもんね

書籍が売れるのは良いことだけど

ミーハーなのは、文化だけにしないとな

2017/10/04

高尚な童貞力、あるいは、フェティシズムの琥珀


大学院の修了制作展で、わたしの作品を初めて見た友人が、
後日、感想として、
コーネルみたいな雰囲気だね、と言ってくれた

その時まで、コーネルを明確に認識したことはなかったが、作品は見たことがあった

コーネルのもっとも有名な作品は、コーネルの箱と呼ばれる一連の箱作品
両手に抱えられる程の大きさの手作りの木箱の中に、収集したスクラップやガラクタを使ったコラージュで感傷的な幻想世界を生涯で800点以上作っている

その数年後、たまたま、コーネルの箱を集めた企画が美術館であり、
認知してから実物を見に行く機会があった

実物からは、なんとなく暗く屈折した偏愛や固執みたいなものを少し感じて、
見ているとひどく不安になったが、嫌いではなかった

ただ、彼の作品は、写真の方がなんとなくアクが抜けていて見やすい
実物は、作風と素材のせいもあるが、
アンティーク店に入った時の独特な気味の悪さや不快感があり、非常にウェットなので、
写真だとそれが和らいでノスタルジアやロマンティックが強調される気がする

それから、10年くらいたって、
たまたま国立近代美術館の常設展で、コーネルの箱が一つ展示されていた
たしか、"Vienna Bread Bakery(ウィーンのパン屋)"だったかな
見た瞬間に、なんとも言えない気持ちの悪さと目眩を感じて、貧血みたいになってしまった

臆病で不遇な引きこもりが、地下の部屋で、世界中を旅した先で泊まるホテルや街を夢想して作ったんだろうと想像すると、それは私にはあまりに切なく苦しかった
"Vienna Bread Bakery(ウィーンのパン屋)"

ジョゼフ・コーネルは、アメリカを代表する偉大なアーティストの1人
キュビスム、シュルレアリスム、抽象表現、ポップアートと移行するアメリカ美術史の中でどれにも属することを拒み、どれにも入り込んで、多くの作家に影響を与えた
晩年に、一定の評価を受け、アーティストとしての名声は、今なお続いている

『ジョゼフ・コーネル 箱の中のユートピア』は、そのコーネルの伝記である

空想の中で生きた、人付き合いが苦手で慈悲深い風変わりな紳士
空想の中にとどまり続けるには周りの環境がそれを許さず、また、受難が多ければ多いほど、空想で世界を補完していた

彼は愛情表現が非常に特殊すぎる
その点が、彼の人生も作品もすべてを支配していたし、頭がおかしいとか人嫌いだとか思われていた要因だと思う
そして、他人と肉体的にも精神的にも交わることに支障をきたしていた
ユートピア・パークウェイの自宅の庭
ジョゼフ・コーネルは、名声とは裏腹に、
生涯のほとんどを、母親と小児脳性麻痺の弟と一緒に、アメリカのニューヨーク州クイーンズのユートピア・パークウェイ(寂しい田舎町)にある小さな木造家屋で暮らした、冴えない洋服を着たやせ衰えた男だった

一つ下の弟への愛情深い献身的な介護と、母親の過剰な監視のもと、
慢性的な不眠と偏頭痛と鬱病を患いながら、おびただしい収集物のガラクタ(宝物)に囲まれた地下の仕事場で日々を過ごし、
唯一自分を自由にしてくれた空想と神への祈り(クリスチャン・サイエンスの敬虔な信者)で不遇な環境を埋め合わせ、
修行僧のように純真で禁欲的(いや、過剰な女性崇拝、又は、同性愛としてではないアニマ)で、69年間の生涯童貞であった

コーネルの子供っぽい、いや、純粋で崇高なエロスとフェティシズム
そこからの生まれる狂気じみて不器用な愛情表現が、あまりにいじらしく哀しい

近年再び日本で、草間彌生がにわかに取りざたされている
もしかしたら、草間彌生の唯一の年老いたボーイフレンド(約30歳差)として認識される方が、
この先日本で、箱以外でコーネルを一般的にするのかもしれない…
また通説では、コーネルの死で精神的に不安定になり長年のNYC生活から帰国したらしい
(これについては後付けの感傷だと思うのだけど…たぶん親の死と病気の合わない投薬と過労がかなり原因だと思うのだけど…私は。)

この本での草間彌生は、500ページ中ほんの1,2ページほどしか出てこない
その中の彼女は、こちらが不快になるくらいコーネルに冷淡で、怒りさえ覚える
名声とお金と作品への興味本位のみの自己中心的な関係にしか見えない

しかし、草間さんの自伝『無限の網』の中では、少しだけ違っている
そこに書かれている関係は、コーネルの廃人的容貌と狂人っぷりに困惑しつつ、作品とアーティストとしての尊敬と興味と、彼の境遇への哀れみや情が漂っていた
そして、この自伝でコーネルについて誰よりも多くページを割いている
いや、割かざるを得なかったのかもしれない

創作に追われていた彼女の時間を強迫的に奪えたのは、常人の時間軸で生きていない狂気のコーネルだけだったし
引きこもりの強烈なストーカー愛は、トラウマ的に生涯忘れられないだろう

それに、草間さんもまた愛に飢えて、情深く、ひどく繊細だったと思う
その彼女が、感傷的に過去のPTSDを語ったとしても、うなづける

毎日毎日、5時間以上の電話をかけて来て、ポストに1日何通ものラブレターが入っているなどという、草間さんが辟易していたコーネルのストーカー的愛情表現は、
彼にとっては、至極まっとうな愛しいモノへのいつもの愛情表現で、彼女だけではなかったみたいだ

だが、性愛としての愛は、たぶん、草間さんが初めてだったと思う

それまで、惚れやすく異常な女性崇拝と身体以外の部分への愛情による執着をしていたコーネルだが、一般的な性愛に関しては、裸体を目にすることさえ罪の様に避けてきた
だが60歳を目前にして、コーネルの神聖化した童貞力(一般的な童貞力とは180℃異なる)は、初めて一般的な興味へと降臨してくる

その時期、知り合った女性に、創作材料としてヌード写真やヌードモデルを切望したり(断られる)、大衆紙のヌード画像を切りぬいたりし始める

そして、その時期に出会ったのが、クサマ・ハプニングなどセックスをテーマに過激なセクシャルパフォーマンスをしてい草間彌生で、
彼女に(も)恋したコーネルは、すぐにヌードデッサンを誘う(ちなみにコーネルは、デッサンがまったくできません…)

彼女にとっては、もうすでに裸という概念に抵抗がなかったのだろう

コーネルは、はじめてみる生身の女性の裸体を凝視し、また性愛として実物に初めて触れることになる

その日のコーネルの日記には、恍惚さがフランス語で表現され、デッサンの線は興奮で震えていたという

"初めての女性"に入れ上げてしまうのは、普通の事
しかもの積年の想いが昇華されたのだ
コーネルは、作品にも心の宝箱にも、大切に慈しみしまっておくだろう

だが、コーネルはEDであった
もともとなのか、それとも長年の抑圧の為か…
そして、草間さんも男根恐怖症であった(その恐怖があの過激な作品を生んだ)
もしかしたら、それは2人にとって幸せな偶然の不運だったのかもしれない

たぶん、最期に会った時の2人
草間さんとコーネル

この草間さんとの性愛のほんの少し前にコーネルは、ジョイスという18歳の女の子に悲しい片想いをする
それは、弟に対するのと同じように尊いまでに無償の愛で、まるで聖書の様だった
(これは、長くなるの下記*へ省略…笑)



私は、コーネルの作品だけを見て
ずっとフランス人だと思っていた

理由は、上記に書いたように作品が偏愛的でウェットに見えたのと、
作品のいくつかにフランス語が使われていたから

どちらにしても、
ねっとりと舌に絡みつき、鼻から抜けていくくぐもった吐息のような甘ったるさと、愛しく古く小さき物への少し病的な執着(フランスに対するポジティブな偏見と、ロマンティックとノスタルジアの独断的な和訳です)を感じたコーネルの箱は、オタクなフランス人アーティストにしか見えなかった

しかし、この本を読んでみて考えが少し変わった

コーネルの箱は、願望や怨念が染み込んだ箱ではなく
狂おしい愛や欲望は、収集する行為にあり、
箱は、自分が愛した美しいものたちの標本、または、葬いのための棺桶であり
生まれ変わるための子宮ではないかと

だから手放せず、それをお金に変えることが許せなかったし
他人にいくつもコレクションされるのを恐れた

彼は、臆病だけど愛情深いから、
永遠性と引き換えに
愛したものを大切に弔った小さな木枠の柩に、彼の好きな瞬間を納める
そして、それはコーネルの中で永遠の命を持ち、空想の中で生き続ける

コーネルと箱


そして話は、はじめに戻るが
私の作品のどこらへんの雰囲気がコーネルみたいだったのだろうかと考える

似ているのが、奇人的な性格ではなくて良かったけれど

そういえば、
小川洋子の『薬指の標本』という本に出てくる、依頼されては様々な標本を地下室で作る標本技術士の弟子丸氏は、コーネルからきているのかと思っていた
だけど、弟子丸氏ほどの余裕も色気も積極性も、コーネルには1ミリもない
それに、彼よりもよほど、現実のコーネルの私生活と対人スキルは奇異である


コーネルの箱はアイロニーや詭弁が見当たらないと思う
愛と慈しみが溢れている
そして、作品に時間的色気はあるが、全くエロ気がないのだ
だから、ウェットではなかったのだ

そう考えると、今度は、コーネルの箱に会いたくなってきた

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読書感想につかった本

『ジョゼフ・コーネル 箱の中のユートピア』
デボラ・ソロモン

『無限の網』
草間彌生

ちょっとこの人の文章の書き方苦手だった、自伝だったからかな

『無限の網』の中から
意味が分からないから引用したくもないけど、なんか面白いので写真だけ

クサマハプニングの一連の話が、全く賛同できないがイカレテいて面白かったので
2ページだけ抜粋したが、この章の全体の内容が相当狂っている

しかも、聖書を焼いたとあったが、今の時世だったら首を切られていたかもしれない
国が違っていたら、確実に死のファトワーが全世界に宣告されていただろうな

反戦どころか、戦争勃発だよ…
怖い…


『薬指の標本』
小川洋子

本当はこういう偏愛とかフェチみたいなものは、総じてエロくなるものだけど、
コーネルの場合は、全くそれがないから、すごい
同書収録の『六角形の小部屋』が好き



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記*

ジョイスハンターとコーネルの悲恋


異常に惚れやすく、また、子供じみた執着と内気で臆病なため、何度も独りよがりの恋をして、その都度、空想で執拗に愛でては現実に打ちのめされ挫折してきたコーネルだが
60歳くらいの時、何処にでもある小さなコーヒーショップで出会った女の子に何十回目かの恋をする
小柄でふっくらした、ヨレヨレのブロンドの髪を背中まで伸ばした平凡な18歳のウェイトレス
ジョイス・ハンター

家出して、シングルマザー、お金がないから男の部屋を転々としていた
彼女もまた不遇であり、その悪循環な境遇から逃れるすべを知らなかった

コーネルの一見中学生のような純真な片想いは、
彼女(と悪い仲間)に利用され、ひどく裏切られてもなお、コーネルは彼女を愛し、何度も許していた
もう、それは無償の愛だと思う

ジョイス・ハンターが、コーネルを良くは思っていなかったとしても、
八方塞がりの彼女の短すぎる人生において、コーネルは、聖人君子そのものだったと思う

が、それは片側からの見方にすぎないのだろう…

彼女からしたら、もしかしたら、
惨めで可哀想な、孤独のロリコンの老人ストーカーで、金ヅルとしか思っていなかったかもしれない
気持ち悪いとさえ、感じていたかもしれない

だが、その頃のコーネルの日記には彼女が溢れていた

ここで、注意すべきは、
コーネルは片想いだったのだ
交際すらしていない
だから何もしていない

ただ彼女の働くカフェへ何度も通い、彼女を盗み見て、お手製のアート作品をコーネルの友人に渡してもらい、少しだけ話せるようになり、
慣れてから、画廊へデートに誘い、ランチをして、ほんの数回お家に招待して作品を贈り、お茶をした。
ほんの数ヶ月のほんの数回。

それで終わりである。

いや、大事なことを一つだけ抜かしてしまったが、
コーネルは、この時に人生ではじめてキスをしようとしたらしい…だが、それが口だったのか、頬がただ少し触れただけだったのかよくわからないが、歩いている途中に、
ただの一回だけ!

天にも昇る心地だったろう

彼のこの日の日記に、キスをしたと書いていた

それからすぐに、ジョイスはコーネルの前から姿を消してしまう

そして、その数ヶ月後、またいきなり友人を連れてコーネルの前に現れてて、作品が欲しいとたかりにくる
コーネルは傷つき、悲嘆に暮れ、断った



その2年後(この間に、草間さんとの関係があると思う)
こんどは仲間と共謀し、コーネルの作品を自宅から窃盗する事件がおきる

夜中に忍び込み盗まれたコーネルの作品は、画廊に安値で売りつけられていた
不審に思った画商がコーネルに知らせ事件が発覚する

が、コーネルは、仕打ちに心痛めても、告訴さえ躊躇していた
周りに説得されるような形で警察に告訴した後、
ジョイスの恋人が重窃盗罪、そして
ジョイスともう1人が軽微な罪で起訴された

それでも、コーネルは、自分を責めて彼女を救いたいと思い、弁護士を頼みにいき、
お金のないジョイスの保釈金をコーネルが用意する
そして裁判では減刑するために証言にも立たなかった

この時の弁護士がコーネルの事をこう表現している
"三分の一が詩人で、三分の一が東海岸出身の商人、そして残りの三分の一は、完全に頭のいかれた狂人"だと思ったと

そして、コーネルは保釈後も貧窮する彼女に度々生活費を援助した

だが、彼女は、12月18日(コーネルの誕生日の6日前)に他殺体で発見される、享年21歳

そして、警察から身元確認を頼まれたコーネルは、あまりに取り乱し、すがるように友人に頼み、代行してもらう

そして、彼女の遺体は、お金を出して葬儀を上げてくれる友人もおらず、長い間音信不通の親にさえも受け取りを拒否され、誰も引き取り手のいないまま、市営墓地に埋葬される前に、コーネルが名乗りを上げ、埋葬代を払い彼女のために場所を選んだ

彼女の突然の死により、悲しみのあまりコーネルは生涯、彼女を自分の中で生かし続け、慈しみ祈り続けることになる

この不器用すぎる純真無垢で慈悲深い老人の愛情深さに、胸打たれ少し泣いてしまった



2017/09/25

仕事は休みながらやりましょう

手書きで箱書き…
量が多い納品が、ギリギリで終わった…
よかった…

当然のことですが、大事なことなのであえて言いますが

人間、ちゃんと休まないと、心が壊れます

私の場合は、単細胞なので、ガンガン心壊していく方向になるけど

電話もまともにできないくらいコミュニケーション能力が極度に落ちています
まだ、他の制作が終わらないので、このままなんだけれど…


昨日、千駄ヶ谷でのグループ展?フェス?が終わりました
自分は一度も行けなかった(搬出までおまかせしてしまった)のですが、
お越し下さった方、ご興味持ってくださった方、本当にありがとうございました

今回のような和気あいあいとした展示をここ何年もしていないなと
搬入の時に感じて、なんだか複雑な気分でした


話は変わるけど、
Googleで"運送する 英語"って検索してみると
なんか、ちょっとほっこりする




あと、前から思っていたけど、ネットでなにか検索すると、
引きこもり自立支援とADHDチェックのバナー広告がやたら出るのが気がかり


2017/09/12

ねこを少し出します。


ほとんどねこしか出さないのですが、
グループ展?フェス?に少し置かせてもらいます

いま、あまりに次の締め切りでテンヤワンヤすぎて、
全く本人は顔出せないですが、作品だけ置かせてもらいます。

もしご興味あれば、どうぞよろしくお願いいたします。


家鴨窯フェス2017

2017年9月17日(日)~24日(日)
※20日休み

12:00~19:00

ギャラリーボビン
渋谷区千駄ヶ谷4-17-2

家鴨窯→ http://ahirugama.gaw.jp/
(あぁ、びっくりした!今ググったら、同名のアダルト熟女サイトがトップに来た。
同名のサイトが、これだとビックリしますね。。。ビックリしない様に上記のURLで家鴨窯のblogに直接とんでください。)


実を言うと、
以前2.3回ほどボビンさんに行ったことがあるのですが、
毎回迷っています…

久しぶりに行くので、
今回の搬入で、ちゃんとたどり着けるか非常に心配です…

家鴨窯さんこと池田さんが、
推しメン(推しているメンバー)を集めてフェスをするみたいです。

私は、なんだかわからず、通りすがりにたまたま声をかけて下さり、
その頃、この時期は暇だと思っていたので、
あまり考えずに軽く受けていました。

空間はそれほど広くはないですが(記憶だと…たしか)、
17日(日),18日(祝),22日(金)には、投げ銭ライブやケータリングの飲食もあるみたいで、
アットホームなお祭り(陶芸市?)みたいな感じだと思います。


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信憑性は全くないと思うが、文末が面白いので

いや、子供の頃に頭を強く打たなかった人は、むしろいないと思う
子供は、頭を無意味にぶつける生き物でしょ・・・

大人になっても、不注意で1年に2回くらいは頭を強く打つしさ

EMちゃん(仮)なんか、3年前にNYCのMOMATでガラスの扉に強打して、
ひたいから血流していたし

それを笑っていたら自分も、
今年、銀座でドアマンの前でガラスの扉に勢いよく激突して、
あまりの強打に唖然とされたし…

…割らなくて本当に良かった

ガラスの扉は、キケンです
しかも綺麗に磨きすぎだから
余計に見えないから…



2017/08/15

ルンタ


菩提樹の巨木を見上げると、色とりどりの旗が枝にたなびいていた
遠い異国のこの土地でも 、人々は願いを叶えるために 、何枚もの布をブッダの悟りの木に飾る
まるでお寺の絵馬の様だ
風にたなびく何千もの祈りは、 天からの風に乗せられて 、私の頭をかすめてとおり、 やがて人々の生活の匂いを嗅いで 、空へまっすぐ駆け上る
何枚もはためく布たちは 、路地裏に干された洗濯物のように 、人々の生活を心地よく映し出していた

香りの強い花を捧げた祭壇の上は 、狂ったように咲き乱れたあの世の川のほとりの様で、鮮やかすぎる色の配列が視界の中で点滅する
目の裏に若干痛みが走り、瞑った暗がりに花の匂いだけが流れ込む
怖さと心地のよさを感じて
ふらりと揺れた足元に
痩せた犬がまとわり付いた
貧相に見えるその犬も
目玉は綺麗に澄んでいて
瞳に宿った恍惚の光と影が入り乱れ
まるで悟りを啓いた後の仏陀の軌跡を追うように


※10年以上前にスリランカに行った時に書いた散文と写真
昔、どこかに載せた気もするけれど…

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Pray for peace.

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何をどこに祈れば良いか、近年、よくわからない
どこの誰に祈っていれば、願いを聞き入れてくれるのか
それとも祈っているだけでは、誰の命も心も救えないのか

あまりに過酷で悲惨な人々は、ここからは遠すぎるし、
周りのがなりたてる声がうるさくて、
彼らの声がぜんぜん聞こえない

祈らないで、考えればいいのかな

イカヅチを持ち、グロッソラリアを操る我々にとって、
近代の神は、知恵と暴力なのかな

近現代史をみていると、旧約聖書のヤハウェの真似事のように感じる

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あ…制作していると、考えがシニカルになりやすいな…苦笑

いつも散文が頭に流れると、
ただ走り書きのような状態でそれを書き留めるから、基本的にタイトルがない

この散文もタイトルはなかった
あえてつければ、旗"かな…とか、まとめる時に、後日考えていた

けど、数年前にルンタという言葉を聞いた時に、ピタリと貼りついた

ルンタ(རླུང་རཏ་)
チベット語で、風の馬という意味
人々の願いや祈りを神々に届け、真言を世界に広める聖獣、天を馳ける馬
仏旗に描かれている馬の絵は、ルンタを表している


…あれ!?今気づいたけど、もしかして、日本の絵馬の起源なのかな??

2017/08/12

さよなら、ぼくのなつやすみ


初夏から休みなく仕事は続いていたのだけど、
やっと、ほんの少し見えた仕事の目処が、全く見えなくなりました

夏休み、というか、
休み自体が皆無な状態で半年すぎそうな雰囲気になりました…
いや、半年と言わず、来春まで続きそうで、暗くなる

こうやって、大人の一年は、あっという間にすぎていき、
あと20年もすれば過去50年分の記憶は脳細胞から綺麗に消滅してしまい、幼少期の肥大した記憶のみを何度も繰り返し思い出しながら、人生の深い眠りにつくのだろうな…と、
うつうつと考えながら、制作している

みなさんは、しっかり遊んで、たくさん思い出を刻み込んでください。


自分でこの状況に追い込んでいるんだから、
意外とワーカホリックなのかな、
とても、日本人らしいです。


せめて3日間くらい、涼しい部屋で、ぶっ通しで本を読みたいな…
と、読みたい本を近くに積んでおいてあるのだけど…


手を使いすぎて、手首から肩にかけて、湿布だらけの図
(同情を誘うように押し付けがましく写真を添付してみる…)


話は変わるけど、
こないだ読んでいた本の中に、大きな獣が、強いストレスを感じると身食いをする描写があるが、人も全く同じなんだよな


昔、クラスに爪を噛む癖の同級生が数人いた気がするが、あれも完全に身食い
あの癖が不思議すぎて、当時、ちょっと真似をしてみたら、
なるほど、これは癖になるかもな…と、思った記憶がある
矯正するのが大変そうだから、それ以上する気にはならなかったが。
カニバリズムの一種にもなるのかな…

いまの子供も爪を噛む癖の子は結構いるのかな
子供に触れる機会がない(というか人と会える機会がない)から、わからないけど

ま、爪は細菌の塊だからね…

制作していると、くだらないことしか考えないです

どうぞ、みなさまもご自愛くださいませ